アトピーは、私が生まれてから24歳まで、付き合ってきたものです。

  

生まれた家庭では、それは常にそういうものとして麻痺した状態で付き合ってきたのだけれど、それを子の為に克服出きた経験から、

現在アトピーに奮闘しておられる方々への提案が出来るとススメていただいた事もあり、

私が作ってきた加工品が、アトピーの方も一緒に食べられる事が前提である作り方である事を、その価値をもっと大事にし、本当に必要な方に届けられる様にとの事もあり、

万人向けでもいいけれど、あえてアトピーを意識した、より本来の自分の自然に近づく為の教室を開く事になりました。

先輩方が支援しくださり、今後、定期開催していくので、

アトピーにまつわる話をまとめるページをつくりました。

 

以下はアトピー治癒のページにupしている記事です。

ご興味あれば、是非、お関わり下さね♡

https://www.facebook.com/groups/322714805081433/

 

以下

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ステロイドを使わない!?

そんな馬鹿な!!

 

私のアトピー全盛期には、

ステロイドに異議を唱える人なんてそうはいませんで、

思春期の子供が にわか勉強で ステロイドが危ないから 出さないでくださいと言ったところで、

まともに取り合ってくれるお医者さんはいませんでした。

 

出さないでくださいと言ったのに出されて、

これはステロイドではないよと言われ、

調べるとステロイドであったり、

 

ステロイドを使わないで治る訳がないと怒られたり、

散々点々した背景には、

  

治ると言った医者の言う事を信じて、言う通り薬をぬりキチンと通いの数年後に、これは一生付き合っていく病気ですと言われた事が大きかったのです。

 

ただ、誰もが口をそろえてに病院に行けというだけの環境でした。

病院に行く以外の選択肢なんて、考えられなかったのです。

  

長引いてしかも悪化している状況に、手の平を返された、

治ると信じさせた事、お金と時間を費やさせた事への責任は全くなく、

高校生だった私は、

ああ、医者って、ただの人間だったんだって、

全く当たり前のことに気が付いたんです。

 

叔母が心配して、一冊の本を紹介してくれました。

「顔潰れても輝いて」

  

病気になった病院に行くという常識が崩れたのが、この時でした。

  

 

ピアノが大好きで、

絵が大好きで、書が好きで、

料理が好きで、

 

手を使う事しかなかった私が、

アトピーで手がボロボロで使えなくなり、

水を使うと痛くて、

手を洗うも体を洗うも、日々の些細な習慣が拷問の様になってくる、

避けたいけれど不潔にはなりたくない思春期、

 

ちょっとぶつかっただけで血が噴き出して、

触るものみな、血痕がつく、

顔はいつも腫れぼったくて、

何も手につかなくなって、

 

まあ、それだけじゃない、思春期だから色々あるんだけれども、

夢も希望もない、学校なんぞ途中で帰って海辺をふらふら、世話になった人達に迷惑をかけずに死ぬ方法を色々と調べ始めた、

  

そんな私が、

ある時、

自転車置き場で、

ふと、何かに気が付いたのです。

 

風が吹いただけだったのですが、

それは、メッセージを運んできたんです。

 

10年後は、今とは全く違う世界で違う自分を生きてるよ。

 

その自分を見たくないか?って

 

 

  

大人の言う事以外の選択肢を知らなかった

世間知らずの高校生が

 

自分の病気は自分で何とかしなけりゃならないのだと、

気が付いた。

 

その頃、漠然と美術関係の進路に進むと思っていた夢見がちの私は、

絵を描く事を辞め、本を探しはじめました。

 

学校の図書館には薬草の本がありました。

たった一冊だけ。

 

病院で治らない、一生付き合っていく病気だと言われたということは、

人間の世界ではこれを治す術はないのだ。

 

ここには薬草の本が一冊しかない。

もしかしたらこの分野は、まだ開拓されていないのかも知れない。

ならば、私は一生かけて、この世界を開拓し、アトピーを治す方法を見つけよう。

  

  

 民間療法なんて、それこそ沢山あったのでしょうけれども、

私の住む世界に薬草の本が一冊しかなかったことで、

私はそんな事を思い込み(笑)

 

薬草、当時走りだったハーブ、

そういう世界は農業だ!と、

  

当時、田舎は、農業では食べて行けない、って言われていた。

農業なんて、勉強が出来なくて進路選択の出来ない人が行く進路だと言われていて、自分もそう思っていた(笑)

だから全く視野に無かった選択肢であったのだけれども、

 

そういう所へ行くという事への恥かしさを隠し持ちながら(笑)

でも、元来命いっぱいの外の世界が大好きだったこともあり、

そこに何やら得体の知れない可能性を感じ、

いきなり農業に進路を変えたのです。

  

それまでまったく知らなかった世界が開けてきました。

  

  

人生って、こうして見たら、悪かった事なんて一つもなかったです。

苦境程、大きな転換期、その度に、素晴らしい体験をいただいてきました。

 

 

それから、本当に10年後は、当時まったく考えもしなかった世界に居たのです。

 

私は10年後だって、まだまだ苦しい最中ではあったけれども、子供を授かり、アトピーを克服し、

当時は、自分は社会に適応できないと、無気力になっていたのに、10年後は、コミュニティで堂々一つの仕事を任され、独立採算で自立していました。

  

  

そうして、

20年後も、30年後も、

まだまだ思いもよらない未来が待っているのです(笑)

 

生きているって凄い!!