心が安定しているのに、体が何故か元気じゃなくて、

眠くて眠くて、
特に疲れることをしたわけでもないのに何でだろうと思いながら、
その自分の体感に寄り添っていたかった。
そんな時間を、前はとても焦っていたけれど、今は大事にしている。
もう一段階、自分の深いニュートラルに降りたいと思っているから。
  
  
友から借りたある本6巻を読んでいた。
私はこの本を読む時、いつも警戒する。
 
大変為になる事が書いてある部分が多いのと、何かと話題性があり、
幾人かの友人達の感じた世界を把握しておきたいので、読むようにはしているけれど、
  
そこには光と影が織り込まれて、
最初は、一族が愛ある家庭と持続可能性を獲得していく様子、
くらし方の描写に引き込まれたけれど、
話しが社会を裏で動かす勢力の陰謀話しにうつると、私は少し、気分が悪くなった。
丁寧に全部を読めない。
  
私の中には、違う真実があった。
その真実にそぐわなくても、この本が間違ているとは思わない。
人はその人の歴史から言葉を紡ぐから、
文化の違う人の翻訳本であれば捉え方が自分の捉え方と合わない様に感じるだけなのかも知れない、
この本を嫌悪する自分を、もっと探ってみたくなってこれを書き始めた。
  
  
策略を暴く様な話には、それ自体がこの本の策略に思え、
そう見えた途端、
漠然と引き込まれていた前半の話の中で自分が感じていた自分感を、思い返していた。
  
この本を読んでいる時にこの世界に沈み、そこで体験する自分、
ここで湧きあがる自分の側面が、私は好きではない。
  
自分が純粋な人間に感じてしまう、

その誘われ方は、しっかり意識していなければ気が付かない。

  
良い本ではある。こんな風に社会が変化していければと思うし、

具体的に現実創造の仕方が書いてある、それは自分でもやってきていた手法だから、その有効性もわかる。とても社会的に影響力のある本だ。

  
でも、なんとなく、
私は、この本が、人の選民意識を浮かび上がらせていくことに気が付いている。
  
  

実はここ数日の出来事で自分がどう影響を受けているのか、
知りたかった。

そのことと、この本で感じたことが、気になった。

  
  
  
ある人を気に入った。
一見調子良く普通に立派に見えながら、
その実、とても純朴な部分を隠している人だった。
  

人と対する時にエネルギーが合わなくてへこたれる時がよくある私は、
純朴な人が好きだ。そういう人と居ると疲れないから。

誰だってそういう部分を持っていながら隠している。
その隠し方、武装の仕方にはそれぞれの癖があるんだけれど、
  
その人は、意外にあっさりと武装解除してくれた。
そういう人が世間では少ないので、貴重だと思うとつい、

私は執着する傾向がある(笑)

 
特に一人ではやれない物事を志している中で、その人の持つ可能性を見た私は、
強烈に引っ張ってしまった。
  

  
私は相手の中の3つの相手を見ていた。
・表面的な世間への対し方、世渡りの仕方、
・内面の美しさ
・何らかの原因で深く傷ついていて、それをカバーする為の癖が覆い、素直なその人らしさが開花するのを妨げていて、
自分のこれまでの経験から見ても、相手が開花するには結構な時間や様々なきっかけを要するということ、
けれども、そういう方向性を志向していること。

相手は体を壊していた。
でも、私であれば相手を導けるだけの手法、手腕がある。
助けたいと思った自分、
  
その時、傍にいた先輩が私をさとした。
人は相手を受け入れる以上のことは出来ないんだよ。
自分でその気にならない人を引っ張るのは相手の気付きを遅らせて邪魔するだけ。
 
  
そりゃそうだ。それが最大、最高のこと、判っているけれど・・・
私だってどれだけ関わって助けてもらったか知れないのに・・・
 
そんな一連の自分の動きを見ていた。



私はこういう事で何度か失敗している。
とても助けたいと思って、自分の時間を思いっきり裂いて、
そこに深く入っていってしまう。
  
昔そんな事で人一人助けた気になって、その人が社会性にどんどん開いていくのを見て、とても嬉しかった。
でも、相手は、私から見たら不幸なあり方、そこから出る気はなかった。
結果相手は私に嘘をつき、それが分かった私は 相手と別れた。
 
その時、それを促してくれた先輩が居て、自分が何をしていたのか
見えてきた経緯があった。

その時学んだこと、

自分のおごり
 
私は相手を貶めていたということ、
  
そもそも相手は不幸ではないのだ。
例え不幸だと言っても
助けて欲しいと言われても、
  
相手が自分で這い上がろうとしない時、
私はただ見ている事しか出来ない。

なのに私は毎度強烈に引っ張ってしまう。
  
  
その癖を、見ていた。
これが、選民意識なのかも知れないと。
自分はそんな時どんな気分なのか、
  

相手を助ける立場というのは、
とても気持ちの良いものだ。
逆の立場の時、私はどれ程苦しいか、
  
この間も、強烈に体験したばかりだ。
好きな人に助けて欲しいと思っている自分、
それを受け入れてくれた相手、
 
それは嬉しかったと同時に、
相手に重たい自分を押し付ける事を受け入れられない自分がいた。
恥ずかしくて、消えてしまいたい自分にジタバタした結果、
  
やったことが帰ってきていたと、
自分がその前に同じ様な思いをさせていた事に気が付いたばかりだった。


何かと出会い、引き出される様々な自分、
そこに起こる事に、もっともっと意識的でいたい。

 
相手を大事にするとはどういうことなのか、

学んでいる。