10日は笠間で仲間達の輪の中のイベント出店の帰り道、
何やら良く判らない心持ちになって泣いた。
  
帰りに水戸の恩師の家によって甘え、ご飯を食べさせてもらい、
9時過ぎに帰ってきて両親がテレビを見ている中でお鍋の中の野菜をもらってコタツに入った。
するといつもは父のところに座る猫が隣に来て座った。
  
私は一応親猫の立場であるけれども(笑)
この子の世話が必要なくなってからは自分の状況が猫どころではない日常の為に
この子に対しNOサンキューの素振りで自分に寄せ付けなかったので、あからさまに自分の所に来るというのは滅多にない。
ちょっとは毛を逆立てて見せた。
けれども、彼が私を見る目を見て、何か気遣いでもしてくれているようなのでほおっておいた。
 
  
その時、自分がどういう状態なのか、自分では全く感じ取れなかった。
ただ、
力が入っている。そう思った。

  
  
今朝  
夢を見た。
  
電車が終着駅について、沢山の人達がおりて行く中、私は妹達を起こした。
起こされると不機嫌になる子供達。
面倒なのでほおって、自分は毛布を三人分?
とにかく広げた荷物をまとめる暇もなく電車から降りなければならない。
人ごみの中、沢山の荷物を持って降りるのも大変で、降りてからたためばいいと、布団などはそのままがさりと抱えて。
妹達も状況把握が出来ないまま自分の判断で降りて、
私に置いていかれたと思ったのか、探しながら呼びながら走って行ってしまう。
私は追いかけるも、とても追いつけない。
大きな声で呼んだけれど、聞えていない。
仕方がないから自分のペースで歩き出す。
  
 
もう一つ。
 
私は何やら片づけている。
妹達が?仲間達が?
賑やかにお喋りしながら玄関口で、
父が来て、今から出かけるというので、私を待っていて、
私がやっていることが らちあかないと、板をまとめて奥に滑らせている動きにちょっと手を貸して難なく片付く。
そうしてさらに私がまだ終わらない様子を気にしながら行く。
 
 
もう一つ。

自分は今テスト中であったらしい。
出来ましたかと尋ねられ、テスト中であるということを全く忘れていたので、
白紙のものを出すか、少しは出来る所を埋めてみるか迷って、
でも、何一つ正解を書けないことを知っていた。
自分には無理なのに、この答案用紙を潔く提出することが出来ないで焦っている。

  
  
  
自分は恵まれている。
皆が自分を気にしてくれていることを感じてきた。
今回の出店でも、それ以前からも、私はずっと助けてもらってきたのだ。
なのに、この気持ちは何なのだろう。
私は感謝が足りないのだろうか、何か、満足していない。

そう思って帰ってきて、
この夢を見て、
私の今の現実の感じ方をなんとなく知った。
 
  

今朝。
母達が食べた残りのオジヤが、お鍋を空ける為にであろう、どんぶりに入れておかれていて、
これは確か昨日の朝からこうであったのだと見て取れた。
毎度母はこういったものを置きっぱなしにして駄目にしてしまう傾向があることから
私はいつも、そういったものが周辺にないか探して、片づける目的と合わせて食べる様にしている習慣で、
今朝私は、そのどんぶりを見つけて迷っていた。
というのも、
それは自分の体に合わなそうな感覚的なものがあったからだ。
 
でも、他には、昨日母が餅にしようとして失敗した固い玄米があって、
それを食べる方が間違いはなかったんだろうけれども、
柔かそうで美味しそうで、すぐに食べられるオジヤの方を選んでしまった。
  

そうして、食べてから、足の裏が切れる感、消化がつらい感が出て、
食事でわざわざ余計な体調不良を引き寄せる自分の在り方にがっかり。
  
両親はコタツで、テレビを見ながら市販の御菓子を食べていた。
それを横目で見ながら自分の部屋で自分のやることの中に入っていく。
今、私は何を感じていたんだろう。
  
暖かくゆったりした空気感、この中に入れない感、
両親、又は一般の人達が食べているものが私にとっては選ばなければならない状況。
いつも自分には、他者とは違う時間が必要だった。
でも、
私は度々他者と同じようにしようとして、その為に余計な面倒を自分に引き受けなければならなかった。

ならば最初から潔く自分の道だけに集中すればいいのに、それを思った。

幼い頃からそうだった。
入院の為に、通院の為に、私が見ていた世界は他の同級生達には判りえないものだったし、
冬になるとアカギレの為に手を使うあらゆる物事が配慮なしには進められなかった。
  
我慢を強いられる分、大人達の特別扱いが、私には当たり前で、そういうものに慣れていた。
  
周りの何倍も大人になる必要があり、父はそのように私を扱ったけれども、
母は私を出来ない子供として扱い、人と同じであることを要求した。

私は
その両方を、同時にやろうとしてきて、
大人と同級生への対応をわけ、それぞれが自分に期待することに敏感に反応してきたけれども、

学校に上がって徐々にハードルが上がるにつれ、お手上げになった。


一昨日upしたfacebook記事。
何故あの様な文が、私の中から出て来たのか、
今、ようやく見えてきた。

私は力が入っている。

私は、皆の期待に応える自分を、つくろうとしている。
そうして、それがとてもしんどいのだ。


持続可能性を求める自分が、何を求めていたのか知っている。
自分がどうすれば持続可能に自分をやっていけるのかということだ。


春には古傷の影響が出て来るという。
頭の施術痕が久々に痛んでいた。

今まさにその古い、先送りしてきた何かが片づけ時ですよって、
世界がその為の材料を、全部用意してくれている。その匂いが来ていた。
  
だから、そこに何があるのか、
もう少し、
探ってみる。