諦めることを覚えた子供が、大人になり授かった子供に育てられ、そうして、
妥協せずに突き進む生き方をはじめた。

子供に、命いっぱいに生きて欲しかったから、
模倣してもらえるそういう生き方を、ちっぽけな自分に、課した。
 
そうしてみた時、景色は変わった。見え方が変わった。
   私の世界は変わった。  
    
   
    
皆、人生の初期に、妥協を覚えて、今のこの社会のこの有様。
   
小学校に入り、違う価値観がある事に気付いた。
それまでは、誠実さや真剣さ、器用さ、気が利くことや、何かに没頭することを大事にされてきた。
学校に入った途端、要領が良いということが一番大事なのだという価値感が表れた。
いじられて潰されると、自分がされたように、

静かに没頭している者をつるし上げ潰す。
いつのまにか、
自分の没頭していたことは適当に切り上げて周りに合せるようになる。
  
   
命の限り精一杯生きることが、出来ない社会。
諦める度、希望を捨てる度、
外面ばかりで中身の無い世界が増殖する。
  
自分が低い土地に越してきて、それで浸水被害に合ったからって市役所に苦情?

低い土地だろ?当り前だろ?その代わり綺麗な湧水の恩恵を受けてるだろ
隣の土地が耕作放棄地になって、セイタカアワダチソウの花粉で洗濯物も干せない被害の凄さで苦情、
耕作放棄地ではなくて、減反政策なんで、国の政策で作れないのだと言う地主。
 
文句を言う前に出来ることってあるだろう?他にいくらでもあるだろう!!
 
なんでそんな馬鹿な奴らの為に、川が死ななきゃならないんだ、
それだって祖先が子々孫々のことまで願ってつくり込んで来た

自然を生かした灌漑だ。
田も、水路も、湧水を聖域として守ることも、
野生動物たちに、お供えするから人間のつくる作物を食べないでほしいと頼む為の、
本来霊的に働きかける鳥追い等の年中行事も、
どこをおさえ、どこを守って行かなければならないか、どこが経絡、要か、
祖先は、より豊かになる様に工夫しながら守りついできた。
そんな創意工夫も、僅に生き残った蛍も蟹も水草も、あの小さな小魚も、全部死んじゃうんだよ?
水元の生態系を潰したら、もう二度とその命の密度は蘇らない。

  
それによって生かされてきた自分達の命が、何に守られて生きて来たか、
何を潰したら生きていけないか、痛い思いしなければ判らないんだな、

やったことは返ってくる。自分が自分の子孫の首を絞めてるって
想像することが出来ないんだ。

川を側溝にしたり、土地を太陽光発電所にしたり、
何も考えていないやつらの答えだ。

本当に故郷をどうしていければ一番いいかって考えたら
そういう馬鹿な言い訳は出てこないはずだ。

私は国の政策だとか常識だとか関係なく必要を選んできた。自分は自分の責任で
母子家庭で個人事業主でお金も時間も無い中、田を手作業でこなすなんて毎年馬鹿なことやってると知ってても、
それでも、一年だって諦めずにつないできた。
自分の生き方が問われているんだよ。
  

  
皆、とても暴力的な力で抑え付けられて、
諦めることを覚えた。
切り上げることを覚えた。
嘘をつくことを、適当に合せることを、覚えて、
だから無責任。全部誰かのせい。

私もそうやって生きて来た。
  
その延長線上に、このろくでもない社会が出来た。
  

  
私は今、めっちゃ腹立って、ご飯と芋をそれぞれどんぶりいっぱい食べても収まらず、
ひとしきり泣いて、ひとしきり怒って、社会を恨んで、又食べて、

それでこれを書き始まった。
  
  
誰の為に?
貴方の為でもあるだろう!
貴方が10年後に後悔するだろ!
    
  
全部可能にする。その姿を見せていく。
出来るってこと見せて行く。
  
土地を借りるのに毎年100万円かかる?
はあ?
そういう条件であれば逆に100万集めれば言うこと聞いてくれるんだろ。
 
  
  
生まれてきたからには、与えられた全部を存分に使って、
自分の中に生まれた想いを、信じた思い描く世界を、
  
何が何でも、形にする。

  
その為に邪魔になるものは、どんな条件が表れたって、片付けてやる。