私の真実は何だろう。
何が大事で、その為に何をするのだろう。



嘘のない自分をと開いてきた自分の中に、今度は、嘘を抱き込んでいく事をゆるしていく。
それは、よく考えてみれば、父がやってきたことだった。

家族を守る為に、したくないこと、自分の儀に反する事もしていく。
そうして、大事な家族に誤解され嫌われることも、やり切ってきた。

父が守った家族は、バラバラで、相手に歩み寄る事を知らないままだったけれども、
自分のことを大事にしない家族であるのに、
下手な自分にどれ程嫌気がさしても、やることをやって父は、守り続けた。
だから、この家族の未来は開けたんだと思う。

父が守り、手をひき連れ歩き、育てた私は、長い事父を誤解していたけれど、
それでも、
家を継いでいく為に必要を養ってきた責任感は父からもらったものだ。
万結里が生まれ、私は変わり、長く続いた閉塞感は壊れ、全てが変わった。

コツコツ守りついでいく力が、扉を開いてくれた。


嘘なく生きれるって、守ってくれた人達が用意してくれた舞台であったのだ。
自由に舞いなさいと。
その愛に、気付いていたい。


私は自分が本当の望みを手に入れる事が絶望的な状況にあった為に、全部をホールドして未来にもっていく為に力を蓄え、外側の世界から内側へ降りて行こうとした。

  
家族一人一人の立場と思いと、その我慢や努力がわかるから、自分の欲求だけを見ることは出来なかったし、
自分が切り捨てられたくない様に、選べない大切を、すべて守りたかった。

望みの具体的な情景は、象徴である。
自分の望みをピンポイントで選んで多くを切り捨てることで、結局は切り捨てたもの達の結果に胸を痛めて幸せ等ではいられない。

 
皆の幸せを追及してそれがいつしか自分の幸せと繋がっているところで、全部まるく治めたかった。

私がそう望んで取り組んで来た様に、
相手もそうなんだろうか、



私は、面白くない人生を前向きに面白くして行く為に、本当に欲しい未来を諦めずに追及することをしてきた。

誰もがまともに取り合わないような夢を、本気で叶えてやろうと、それは娘という存在が私にもたらした責任であり、娘の未来を支える為と思えるなら、がぜん前向きになれた。

 

それを本当の意味で面白くさせてくれた相手がいた。

どんなスタンスでもいい。相手との関係性を、何かしら積み上げて、構築したかった。
自分が感じた可能性を、現実の世界に少しずつでもいいから表していきたかった。

そんな相手と、私は現実世界で何も積み上げる術はなかった。


真っ直ぐに本当の気持を投げかける事自体、とても大変な事だったのに、
そんな勇気も、あっさりとくじかれる。
せめて確認したい。それも叶わずNOとされる度に、信じた自分の感覚全てを否定された様に感じてきた。

私は貴方を信じてはいけないのか?
知りたい。何を考えているのか、

NOと言いながらYESの態度、YESと言いながらNOの態度。

いい加減にしてよ!判んないから聞いてんのに
相手を憎らしく思う事もあった。

そんな時、何に引っかかって苦しいのか、私は知っている。

自信が無いからだ。

自分の粗に原因を探して何を変えれば上手くいくのか、そこを見れば結局は絶望的になって匙を投げる。

 

そんなこと、ごちゃごちゃ考えずに自分を真っ直ぐ生きて行ければいいのに、

思う様に舵取り出来なくて
相手を思いやる余裕がなくて、いつも自分のことばかり。

 

そんな子共じみた私の不安や被害妄想を、ぶつけて
離れて立とうとする度に寄り添って傍にいてくれた相手をどう思えばいいのかわからなかった。


相手の本当の大事を、私は知らない。

けれども、
大事を貫く為の手段は色々あって、それが一見相反するように見える事もあることを、知っている。

別に、自分の都合の良い様に解釈しているわけじゃない。
相手の本当がわからなかろうと、相手が目指している大枠は私のそれと同じもので、
大きな、皆の幸せの為のその努力はめぐり巡って、お互いを生かす。
どういう形であろうと、

そこを貫ける一貫した力は、信じられる。

 

何の為に出会ったんだろう、

自分はどうしたいの?



   
相手が信じた未来を、相手がちゃんと形にすることが出来れば、

自分は、
自分が大事な相手の大事を守れれば、

充分ではないのか。

全てが私にとってはかけがえのない経験だったじゃないか。

生きているだけで、出会っただけですごいラッキーだったねってところ。
そこに下りていこう。


昨日、
一つの決断をした。

私も、
もう、現実世界で本当を貫こうとするのはやめよう。
誠実さって、本当に大事なものを守ることや、相手を大事にすることの中に真摯に対していけばいいのであって、
何が本当かなんて、実際には何の意味もありはしない。
 
本物になりたくて、本当の気持ちを掘り下げ続けてきて、その事が逆に

揺れ続ける自分を人目にさらし、人を安心させてあげられない。


それって、何を大事にしているのか、

本当に自分にとって大事なものことの為に、手段を選ばずカードを出していく。

 

目的だけは、明確にしていければ、いいよね。

 

やってきた。毎度。

何年かかろうと、信頼を勝ち取れる。

その自信があるから、出来る。


私は下手だけれど、まだまだたっぷりトライ出来るからね。

そうだね。自分の荒っぽさを上手にくるんでそつなく演技できる様になったら、大人って感じになるじゃん!


あれ?

 


ということは、

  

私って、今まで大人じゃなかったの!?
 

 

・・・

 

 

私が大事にしたいことは、

生きる事。

その中にもっと深く入り、辺り中を大切に愛しながらくらしていきたい。

その願いは、多分社会から切り離した自分だけの世界を作っていければ、容易く手に入る。

そうしている人は沢山いる。

 

私は、それを手に入れることが出来ない環境に生まれて、

それを手に入れる為には、周りを変えなければならなかった。

その為に自分を変えてきた。

自分が社会に表す表現の形を、変えてきた。ひしゃげた内外の通路を少しずつ手入れし、そこに意識的になって、

 

結果が次々と私を喜ばせてくれて、出来ると、信じた。

その道の途中で、相手と繋がった。

 

その先に何があるのかはわからない。

けれども、私は相手が鍵を持っていると、そう思った。

少なくとも、今までになかった経験をさせてもらってきて、

動かなかった扉、使えなかった自分の機能が動きだしている。

大きな目的が同じなら、私が相手の駒でも、私が相手を必要とするのでも同じこと。

ありがとう。この自分を使わせてもらうね。

 

出会う全ての人の中にかけがえのない輝きが織り込まれている。

そこで出会い、喜び祝う交流を、

もっともっと、丁寧に、命に降り立つ生き方を、

繊維一つ一つ大事に繕い、より軟らかく心地よく使われ続ける布地。

家も、道具も、手入れしながら豊になっていく。

スーパーフードなんて言わなくたって、環境が与えてくれる自然の果実や野草で最も体に必要なものだけをいただく食。

ご先祖達が願った子孫の幸せ、

沢山の存在が同時に存在して、それをさわりとせず、隣の存在を、縁を楽しむ。

この手の感触、

声、もっともっと、芯から通して、

 

 

今は忙しすぎてそこに立てない。御免。見えててもスルーするし、荒っぽい波動で動いていれば、文句も言うし喧嘩もしかねない。

それでも、

 

この、自分の大事を、皆の大事と繋げて、皆の大きな喜びをつくり出す。

この目的と、手段。

私が手に入れた手段はパーマカルチャーと、農産加工。

これを使って、

10年以内の地域循環の基礎をとの中期目標。

 

神々は、私に都合の良いことしか言わない。

1000年先の生存環境を守るんだよと、

風土1000年?その基礎を作れと?そういう意味?

そうして乗せられて、走れる日、

おいおい、このちっぽけな私に何が出来るんだい。

何から手をつけていいのか判らなくなって、途方に暮れる日、

 

揺れながら歩んできたここから、

 

何か、新しい流れが、もっとスピードに乗って行ける流れが、見え隠れしている。

多分、今年中には、見えるようになる。

 

 

今までは、生きる為に、否応なしに、それしかなかった。

今度は、

きっと面白い。