成すも成さぬも生なれば
生きる為に成すも又有
神を求めて仏に仕える
仏とは人の本質なり
仏教ではない仏
神道ではない神
我の中に関知出来るそれらを
生の舞台に
人に伝える必要は無し
ただそのものを生きる為に
この世でその生の場を空ける為に準備し整える
整える間に40年かけ、
生がつきてしまったとしたらどうだろうと、
私は問いかけた
この十年を とくと感じて生きよう
目覚めて10年成せることあらばいずれ
目覚めながら整える 場を 人を 行として
行必要あらば この生を行とし、
行開けて舞台へ
毎 日常を舞台へと昇華する
そこに生きる
年を必要とするなら年を
時代を必要とするなら時代を
先人の終わらせられなかったものを終わらせ
この世に新しい時を用意しよう
受け継ぐ者達に
これが私が出来得るかぎりのこと
10年、たっちゃったね(笑)
10年前を見たら余程使い勝手が良くなった自分を、
もっと感謝してもっと喜んで使っていこうと思いました!
忘れない様に書いておく(笑)
この本文は、10年前の、私の中の本体との対話。
それを何と呼んでいいのか、
誰の中にもある、その人の過去生を超えた魂の歴史を全部一まとめに持っている存在。
ある意味神なんだと思う。
私はずっと、そこを自分として舵取りを明け渡して生きたかった。
その存在が、この人間社会から見て、無敵だったから。
全てを知っていて、何に困る事もなく、
堂々としていた。
私がこの体をまとって育ってきた歴史から積み上げた個性は、あまりにも強い不安恐怖に支配され、不安定で、生きる事そのものが、とてつもなく苦しかった。
意識を腹に置けば、一足飛びに無敵の自分になれるのに、
けれど、本体はそれを許さなかった。
心も、体も、
今生のものをキチンと作り込んで、使えるようになって、
そこから、
全体として生きて行くことを、促した。
その先に、いつも、びっくりする様な未来を見せられて、そういう形の人参をぶら下げられて(笑)そこにたどり着きたいから、
私は、小難しい今生の設定にチャレンジし続けてきた。
そんな日々を、ブログというツールで人と共有してみる気になったのが10年前なんだな。おっかなびっくりやり始めた。
ブログは、私をとても助けてくれた。
知らない誰かがコメントをくれたりして、
現実世界で人と繋がるのが容易でなかった自分、今まで表現出来なかった、本当に思っていることの内面とダイレクトに繋がってくれる人達が寄せてくれる信頼に、
私が、私を生きる事を、とても後押しされてきた。
この歩みを、沢山の戴いた奇跡を、
ここに入れていく前段の、
自分の本体との対話