相手のアクセスに対し何をするのか。

 

何の為に何をするのか。
自分が言いたくて言うのか、
相手の為に、最も有効と思える事を選択できるかどうか。

 

本当に、うっかりただ口で済まそうとする癖。
子が生まれた時にとても自覚させられた。
口で動かされて育った私は、
そういう親の有様を嫌いながら、やはり、安易に口先で物事を動かそうとする。


子は模倣しながら育つから、
口で動かせば口で人を動かそうとする子になる。当たり前。

 
寄り添って、一つずつ。
自分が変化して見せて行く。

 
それが、私にはとてもとても、大変だった。
とてもとても、誇りを持ってやってきた。
 
そんな大変さも、子にとっては、当たり前に望む環境なんだからねえ、
子って、
本当に、
人生の中で最も尊ばれることを求めてくるねえ。あらためて。
鍛えていただきましたm(__)m

  

 

ある友人が、あまりにも怪我ばかりしてるから、私は又、彼女の問題に気持ちがフォーカスされていたんだけれど、
口で何か言いたくなった衝動に、おっとっと、気が付いて、
言う前に気が付いたエライと自分をほめながら(笑)
なんだか、久しぶりにそんな事を思い出した。


批判で改善することって、あまりないな~。
それを、最近、痛感させられる出来事がよく起こり、とても訓練させてもらっている。

 

これの続きなんだなって、思うと、本当にどういう仕組みか解らないけど、感心。

http://ameblo.jp/hagoromo321/entry-12289326581.html

 

 

ある友人が、考えずにポンポンもの言って、私がそれへの回答をすると切れる。
私としては、バカやろ~と叫びたいところを、この忙しい中時間を取って、丁寧にひも解いて付き合う準備しても、聞かない。

 
その後、奴がまともな思考回路を取り戻す事を信じて
ちゃんとお陰様のネットワークを意識しながら言葉を選ぶ訓練(笑)

  

何とでも言ってください。

  

それでも、
何だろう、去年までとは確実に違う。

  

誰かさんと喧々諤々やっていた頃の、自分の正当性を相手に知らしめたいところに強烈に引っ張られるパターンに、
確実に意識的になれて、選択出来る様になっている。

 

自分の正当性を相手に知らしめたいって、
相手に否定されて、自分を信じる事が出来なくなる時に起こる。

 

相手が思う様に酷い人間なのかも知れないと、思って動けなくなりそうな自分を、そうじゃないよと、揺らされる度合いが強い程、強く反発する。

  

揺らされるのは、相手の言葉をキチンと受け止めている誠実さだと思ってきたけれど、

 

でも、それは、実は甘え癖なんだ。

 

貴方が信頼してくれなきゃ、私はダメになってやると、

身を挺して要求していたんだ。

 

相手に、親を、投影していた。

 

今は、自分で、引き受けられる。
だから、
外からの信頼も、それに伴い徐々についてきている。


幸せ。

 

 

 

 

この話は一度、ここで終わる。

ここから先は、客観的に、理解されにくい話を少し、自分の為に書く。

 

 

本当は、

この下に、深く連なる

幾重にも重なる自分を

感じている。

だから、スタンスを変える度、違う本当がある。

これが、自分や周りを混乱させる元になるから、出さない様にしている。

 

 

本当は、どうなんだろう。

これまでの試行錯誤等、ただの徒労だったと思う様な

上記の様な繊細な人間模様等何の意味もなさない様な、かけ離れた世界に

同時に存在している自分がいる。

 

私は一体どういう風になっているんだろう、知りたいと思う。

私の大本の実感では、

私の一番コアな部分は、絶対的に大きい。

私は巨大で、上空からあたりを見下ろす。

 

祖父は赤ん坊の私を見て最初に、聡い子だと言った。

私は本当は、

全く相手の何倍も強く大きい事を、知っていた。

でいだらぼうの様な、

収まりきらない自分。

それを、

隠す必要があった。

相手を守る必要もあった。

だからずっと自分が折れてきた。

 

そうして、皆と同じ土俵に上がる為に、自分の中に人間を育てた。

焼けどをし、4度の手術をし、人並み以上に痛い思いをして

その子を、人並みに傷ついた子供に育てた。

その子に同化して、この40年間生きてきた。

 

自信が無かったと、思っていたけれど、

深い所では、

全くそんなことが些細な事であることを知っている自分もいた。

 

私は、赤ん坊の時に感じた世界感の違いを、

大きな自分を、

今、人間の体で、どう使えるのか、

どう使うつもりで生まれてきたのか、

 

多分、

この数年で、思い出す。

 

そぎ落として、

意識的なった時に見える、瞬間。

腹に居る時の、大山の様な絶対的な自信。

あの瞬間が維持できれば、

 

この不可解な自分を使える様になるはずだと、思っている。

 

 

人の小さな世界を全てと思い込んで生きてきた人間が、

八百万の雑多な世界に、足を踏み入れ、

あまりにも広大な世界の広がりに目を見張る。

 

 

「共に生きていくんだよ。」

 

 

どれだけの事に打ちのめされ、

世界感を崩されても

 

その望みだけが

変わらない。

 

自分の奥底にあり続ける。

 

それが、

唯一

 

私が私である事を繋いでいる。