不安を感じても不安について考えることはやめましょう | 最強最後の十年を望む

不安を感じても不安について考えることはやめましょう

今、このままやっていて大丈夫なのか、という不安は常にあって当たり前なのかもしれません。

毎日勉強していて、このままのやり方で本当に合格するのか、ということは誰でも考えると思います。

模試や定期テストで良い点数が取れたとしても、それは現時点での評価であり、これから先、周囲も自分も同じ時間を経て入試に臨むのですから、自分が周囲より優れている状況を最後まで維持できるかどうかはわかりません。

でも、試験の結果が良かったのですから、展望は開けています。

暗澹となるのは、模試や定期試験等の結果が思わしくなかった場合です。
なにか根本的なことが間違っているのではないか、このままでは合格できないのではないか、などと考えが悪い方に傾いていってしまうかもしれません。

今、受験勉強している方は、誰一人として志望の試験に合格した経験をお持ちの方はいないでしょう。当たり前のことですが、このことが不安の第一要素なのです。

この、成功体験がない、ということが不安を煽る元凶です。


成功したことがないのですから、どうしたらいいかわからないことが出てきます。
手探りと言ってもいいでしょう。だからこそ、誰かに保証してもらうか、試験で評価してもらうか、自分以外に訊きたくなるのです。

不安は誰にでもあるものです。
不安があって当たり前ということです。

ここで助言したいのは、不安をますます強化するようなことはやめましょう、ということです。

不安を感じても、不安について考えることはやめましょう。
いくら考えても合格、不合格を予め予測することは不可能です。

合格できるかどうかわからない、と考えるのは当たり前なのですが、その中に入って更に悩む必要はありません。

このままやっていて大丈夫かと思うこともあるでしょう。


私の答えは皆さんには伝わりにくいと思いますが、目標を定めて真面目にやっているのなら、大丈夫だということです。

目標を定めるということは、過去問が出来るようになる、ということです。


過去問ができるということが、一番合格に近い道筋と考えられるからです。過去問を目指して真面目に勉強していけば、合格できる可能性は高くなるはずです。

今やっている基本が終わらないんだ、応用や過去問にいつ入れるかわからない、などと言ってはいけません。

 

でしたら、並行してやるべきです。
そんなこと言ったって解けるわけないじゃないか、とも言ってはいけません。

歴史の論述問題でしたら、最初から資料、参考書、あらゆるものを参考にして書いてください。なにも見ないで書く必要はまだありません。今は、まとめ方、書き方を実践する時期です。

英語の長文でしたら、最初に挑戦してみて読めなければ、訳を見て対訳を勉強するように読んで下さい。


そして繰り返し読んで、そのレベルの英文に慣れるのです。
志望校や、似た長さの他学部、他大学の長文を同じように読み込みましょう。
いずれ読めるようになります。

他の科目も同じです。
数学、小論文、どのような科目でも、わからなければ、答えを見てしまうか、あらゆるものを参考にして解いてみて下さい。

まずは、そのレベルものを解く道筋を理解するのです。

今は体験するときです。
本番の試験レベルのものを体験していき、そのレベルに追いつくための時期です。

基礎を整えるとともに、試験レベルに追いつくための体験学習を、この秋から始めていくのです。

不安については、不安を感じるけれども、それについては考えない、という方法で乗り切って下さい。

不安を感じたら、それを勉強するエネルギーに変え、ますます勉強するのです。

不安だけれども、俺はやる、私はできる、と思い込み、勉強を続けていると、あるときから、ほんの少しの光明が見えてきます。

 

そしてやがて、これはきっと合格できるかもしれない、と思えるようになります。

絶対の自信ではなく、このままやっていけばなんとかなるぞ、と実感できるようになってくるのです。或いは実感や思うといった意識レベルではなく、日々の勉強が当たり前になって、不安を感じなくなってくる場合もあります。

これは私の体験でもそうでしたし、これまで一緒にやってきた受験生を見ていてもそう思いました。

私の場合、暮れの寒い時期に、図書館帰りの暗くなった帰路の途中で、もしかしたら、いけるかもしれない、と前触れもなく感じたのが最初でした。

そして年が明け、2月に受験票が家に届く頃に漸く不安を思わず、日々やっていることが当たり前になってきたのです。


合格できるかもしれないとは意識できませんでした。しかし、迷うことなく勉強に入っていけるようになり、地に足が着いたような感じになったのです。

もう後はないし合格できるかどうか、かなり不安になり、毎日押し潰されそうになりながら無言で図書館にいた私は、気が狂いそうなときもありました。

それが嘘のようになくなり、なにか希望を感じ取ることができるようになったのです。

いつか闇は照らされるのだと思います。