ダンディーな演技で数々のアクション映画やドラマで活躍し、「石原軍団」を率いた俳優、渡哲也(わたり・てつや=本名、渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日、肺炎で東京都内の病院で死去した。78歳だった。告別式は近親者で済ませた。
兵庫県出身。1964年に日活に入社、「第二の石原裕次郎」と大々的に売り出され、翌年、映画「あばれ騎士道」でデビュー。「東京流れ者」や「無頼」シリーズなど、学生時代に打ち込んだ空手の腕前も生かし、新時代のアクション映画のスターとして活躍した。
71年に、石原裕次郎さんが設立した石原プロモーションに移籍。深作欣二監督の「仁義の墓場」や「やくざの墓場 くちなしの花」などのヤクザ映画で評価を高めた。70年代後半からは「大都会」シリーズなどの刑事ドラマで人気を集めた。石原プロが制作した「西部警察」では、角刈りにサングラス姿でショットガンを放つ大門刑事を演じ、評判を呼んだ。
歌手としても活躍し、73年発売の「くちなしの花」が約90万枚を売り上げるヒット。全日本有線放送大賞金賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場した。
87年に石原さんが亡くなった後、石原プロの社長に就任。舘ひろしさん(70)、神田正輝さん(69)ら、「石原軍団」と呼ばれる個性的な所属俳優を率いた。
91年に直腸がんで手術を受けたが、その後もNHK大河ドラマ「秀吉」、映画「誘拐」「時雨の記」、テレビドラマ「熟年離婚」などに出演。こわもての刑事役から、篤実な人柄がにじみ出る上司や父親役まで、年齢とともに円熟味を増しながら幅広く演じ続けた。
慈善活動にも積極的で、小児がん撲滅に力を注ぎ、「石原軍団」を率いて東日本大震災などの被災地で炊き出しを行った。2005年に紫綬褒章、13年に旭日小綬章。弟は17年に死去した俳優、渡瀬恒彦さん。
15年に急性心筋梗塞で入院した後は表舞台から遠ざかっていた。近年は肺気腫で自宅療養しており、昨年の石原さんの三十三回忌法要にも姿を見せなかった。先月、石原プロは来年1月に芸能事務所としての業務を終了することを発表していた。(読売デジタル 8月14日)
私の記憶では1991年に直腸がんを患い人工肛門となった。
私の会社の1年先輩がやはり会社の検診で直腸がんを発見され、即刻入院となったが結局©人工肛門を使用せざるを得なかった。
渡さんも先輩も、本人が言わなければ人工肛門など微塵も感じさせない活躍ぶりだった。
しかし78歳とは若すぎますね。残念でした。
ここに謹んでお悔やみを申し上げるとともに、渡さんのヒット曲をアップしてみます。
「くちなしの花」
司会は堺正章
落語では「くちなしや 鼻から下は すぐにあご」
なんていうのがありましたが、不謹慎でした(汗)
「くちなしの花」 「旅姿三人男」
石原裕次郎とのデュエット
「あじさいの花」
動画は吉永小百合との共演映画
「東京流れ者」
どうも女優さんは松原智恵子さんみたいですね
二人とも若すぎて見間違えてしまいます