スーパー戦隊シリーズの原点 | 直芯のブログ

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徒然なるままに、心に移り行くよしなし事を・・・

いつもいつもどうでもいいことばかり気になってしまうのだが、ある時スーパー戦隊シリーズの原点はどこにあったのだろうかと考え始め、その考えに憑りつかれてしまった。
私が子供の頃から続いている唯一の特撮ヒーローと言えば、どんなに特撮不毛の時代でもしぶとく生き残ったスーパー戦隊シリーズだった。
『機動戦士ガンダム』の登場で、80年代以降は大人向けのリアルロボットアニメが時代の主流になっていたにも関わらず、特撮ブームはもう70年代で完璧に終わりになっていたにも関わらず、ウルトラマンは『ウルトラマン80』で終わり、仮面ライダーは『仮面ライダースーパー1』でシリーズに終止符を打っていたにも関わらず、スーパー戦隊のシリーズだけは時代の流れに背いて逞しく生き残り続けた。
アニメの世界では、ウルトラマンや仮面ライダーと共に始まった『マジンガーZ』に端を発する東映の巨大ロボットアニメは、円谷の子会社だった日本サンライズの『機動戦士ガンダム』に端を発するリアルロボットアニメに押され、前者を受け継ぐ『六神合体ゴッドマーズ』と、後者を受け継ぐ『太陽の牙ダグラム』の裏番組戦争を最後に、合体変形を売りにした東映アニメは子供向けということで時代に合わず、アニメの世界から消えて行った。
その東映アニメの巨大ロボットの要素をスーパー戦隊シリーズは見事に吸収し、ウルトラマンも仮面ライダーも、そしてタツノコプロの『ガッチャマン』の要素も吸収するようにして、スーパー戦隊シリーズは日本人の想像力の集大成としてそのスタイルを確立し、挙げ句にハリウッドにまで進出している。
それがどこから始まったかと言えば、答えは明白、『秘密戦隊ゴレンジャー』に決まっている。
『ゴレンジャー』の時から作風がくだらねえなとは思っていたが、今もスーパー戦隊シリーズにはその名残りがあり、真面目にシリアスに作られていない。
ハリウッド製のスーパー戦隊『パワーレンジャー』もそうだ。
ただ『ゴレンジャー』の後番組『ジャッカー電撃隊』のみが、シリーズ中で唯一真面目にシリアスに丁寧に作られていた。
制作スタッフはそこで力を出し切ってしまったらしい。
宮内洋が最高に恰好良かったのは、この作品だと個人的には思っている。
音楽は『キカイダー』やアニソンで有名な渡辺宙明さんで、私は個人的に友人なのだが、『ジャッカー電撃隊』の時は大人っぽい雰囲気を出そうとこんな工夫をしたとか楽しそうに語っていたのを思い出す。
それを聞いた私は「ジャッカー電撃隊まで宙明さんの作曲だったのか」とその事実に驚いてしまった。
いい曲は全て宙明さんの作曲ではないかと衝撃を受けていると、宙明さんは私の顔色を見て場違いなことを言ってしまったと思い、話題を変えてしまったという残念な思い出がある。
もっと聞きたかった。
戦隊シリーズ3作目は『バトルフィーバーJ』だが、ウィキペディアで調べると2作目『ジャッカー電撃隊』と3作目『バトルフィーバーJ』の間には開きがある。
でも私の記憶では『ジャッカー電撃隊』の後番組は『バトルフィーバーJ』という認識であり、クラスの友達もみんなそういう認識だった。
当時は『円盤戦争バンキッド』とか『忍者キャプター』とか似たような戦隊ものが濫造されていたが、それでもやっぱり『バトルフィーバーJ』が本道で後番組だという認識だった。
この『バトルフィーバーJ』は、前二作とは大きな違いがあるらしい。
企画にアメコミのマーベルが関わっているようだ。
道理で作風にそんな匂いを感じる。
とうとうアメコミの要素までこの時に吸収したらしく、そのため後にハリウッドでも制作されることに繋がったようだ。
東映は『ザ・カゲスター』で明らかにアメコミの影響を受けていたが、東映とマーベルの関係は日本版『スパイダーマン』から始まっていたようで、生身に近いスパイダーマンがライダーキックやバロム爆弾パンチで敵怪人をやっつけるのは合わないため、マーベラーという戦艦が変形したレオパルドンというロボットに搭乗し、巨大化した敵怪人を巨大ロボットでやっつけるという設定が新たに加わった。
それが特殊な兵器で敵怪人にトドメを刺す戦隊ヒーローにもよく合うのか取り入れられ、ロボットアニメの要素まで加わったのが3作目『バトルフィーバーJ』だった。
4作目の『デンジマン』ではマスクがゴーグルタイプになり、そのデザインが恰好いいということで、以降のシリーズでは全てゴーグルタイプのマスクになった。
そしてタイトルに「マン」が付くのも『デンジマン』から始まった。
『デンジマン』は主題歌の良さもあってえらくヒットした記憶があるが、この作品で戦隊ヒーローとしてほぼ全ての要素が出揃ったと思える。
しかし、まだ足りないものがある。
『バトルフィーバーJ』ではただ単にロボットが戦艦から排出され、『デンジマン』ではデンジファイターという戦闘機がロボットに変形する設定だったが、この時点では『ゲッターロボ』や『コンバトラーV』のような合体という要素がない。
だから『デンジマン』をスーパー戦隊シリーズの原点と言うことはできない。
5作目の『サンバルカン』ではいよいよ合体という要素が登場するが、『サンバルカン』は3人しかいない特殊な編成であり、内容的にも『デンジマン』と繋がっているので、これを原点と見るわけには行かない。
それに3人いるのに合体するマシンは2機であり、わざわざ合体する理由も分からない。
そこで6作目の『ゴーグルファイブ』を原点と見るべきかと思いきや、ゴーグルファイブは5人いるのにマシンは3機で、メンバー各自にマシンが与えられてるわけじゃない。
それと『ゴーグルファイブ』からメンバーにグリーンがいなくなり、ブラックになったという特殊性も気に食わない。
大体、戦隊シリーズの人気が落ち始めたのが『ゴーグルファイブ』辺りからだった。
理由は、ベビーブームのターゲット層が大人になり始めたことや、時代の主流がリアルロボットアニメに移行し、特撮ヒーローは時代遅れ、ガンプラがブームになっていた時代背景が挙げられる。
この後、『ダイナマン』→『バイオマン』→『チェンジマン』までグリーンが廃止されてブラックが続き、おまけに合体するマシンも精々3機までで、メンバー全員が自分のマシンを持つに至ってない。
だから、わざわざ合体変形する意味が分からない。
10作目の『超新星フラッシュマン』ではようやくメンバーにグリーンの色が戻って来たが、相変わらず合体メカは3機でメンバーの人数分あるわけじゃない。
11作目の『光戦隊マスクマン』でようやく合体マシンが5機になり、メンバーそれぞれが自分のマシンを持ち、それが母艦から発進して合体変形してロボットになるというスタイルが確立される。
それまでに11作も費やしたのだ。
だが、『マスクマン』では再びグリーンがブラックとなってしまったのが気に食わない。
12作目の『ライブマン』ではロボットが2体になり、メカに関して印象が散漫で訳が分からなくなって迷走している。
色はグリーンが戻って来たもののピンクがなくなり、ブルーが女性となって益々迷走している。
13作目の『ターボレンジャー』では、初めてタイトルに「マン」が廃止されて「レンジャー」になった。
それが現在まで続いている。
マシンに関しては益々迷走していてよく分からん。
戦艦から出撃というスタイルがなくなり、ロボットが基地という感じで、もう語る気もしない。

ちなみに色に関しては、『ターボレンジャー』以降もグリーンの代わりにブラックが続き、17作目の『五星戦隊ダイレンジャー』でようやく原点のグリーンが戻って来る。

だが18作目の『忍者戦隊カクレンジャー』では再びグリーンがなくなり、ピンクもなくなり、ブラックとホワイトに変わっている。

19作目の『超力戦隊オーレンジャー』ではまた元に戻り、ブラックは途中編入される6人目の戦士となる。

その後は大体当初の五色に落ち着くが、時々グリーンの代わりにブラックが入ったりするので、もうこれ以上触れないことにする。
こうして振り返ってみると、『光戦隊マスクマン』辺りがスーパー戦隊シリーズの基本が確立された最初の作品だったと言えるのではないだろうか。
全ての要素が確立された原点がどこなのか、それははっきりとしない。
『ゴレンジャー』とも言えるし、『バトルフィーバーJ』とも言えるし、『デンジマン』とも言えるし、タイトルでは『ターボレンジャー』とも言えるし、仕切り直しをしたという点では『五星戦隊ダイレンジャー』とも言えるし、はっきりとこれが原型と言える作品はない。
でも、メンバー全員のマシンが揃ったという点で、11作目の『マスクマン』に原型を辿れるのではなかろうか?
だが、こんな後の時代の作品など私はリアルで観ていない。
今も戦隊ものは観ていない。
つまらないからだ。
観ても『パトレンジャー』辺りがいいところだった。
『マスクマン』は面白いのだろうか?
DVDを借りて観る気もしない。