オプトの歴史と逸話⑦~ 地震キット特需と立つ鳥跡を濁さず (2011.1.23) | オプトHLD CEO 鉢嶺登 オフィシャルブログ

オプトの歴史と逸話⑦~ 地震キット特需と立つ鳥跡を濁さず (2011.1.23)

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1995年1月に入り間もなく、朝会社に着いてテレビをつけると
阪神淡路大震災が映し出されていた。
私は関西に馴染みが薄く、神戸周辺に親戚も取引先もいなかったので
あまり心配は無かった。
むしろ取引先の1社に防災グッズを販売している会社があり、
ピンときた。

外資系企業向け「地震キット」の販売である。

その日のうちに取引先と打ち合わせ商品化を決め、
2日後には広告FAXを外資系企業へ打った。
当社自らが広告主となって効果を試したのである。
地震後わずか2日後とタイムリーであったこと、
地震を怖がる外資系企業社員向け限定商品だったことが話題になり、
マスコミにも注目され新聞やラジオで紹介された。

ラジオで紹介された時は注文電話が突然なり始めたが、
オフィスには私一人、電話1台,FAX1台のみ。
1台を「お待ち下さい!」と言っても
結局は数件しか注文を受けられなかった(笑)。

ラジオの注文は放送後ほんの1‐2分に集中し、
その後は何もなかったように電話は鳴らなかった。
まさに嵐のようだった。

しかし、開業当時の当社にとっては
地震キットの売上は 恵みの雨 になった。
とにかく食べていくためには必死だった。

地震キットが某外資系金融機関から150個も大型注文が入りそうな時、
帝国データバンクからアポ依頼が入った。

創業間もない頃はよく信用調査が入ったものだ。
まだ売上も、利益もほとんど無いと分かると、
彼らは前職である森ビルへ問い合わせをした。

「鉢嶺登という人物は信用に足る人物か」照会をしたのだった。

幸いにも人事部の方や先輩諸氏は誉めてくれたお陰で無事大型受注でき、
この時、
「立つ鳥跡を濁さず」
の意味をまさに身を持って実感した。

ビジネスをする限り
「信用」
「評判」
は重要。

やはり、その環境、その場できっちり信頼を勝ち得る仕事を成し遂げることが重要で、
後ろ足で泥をかけるように辞めて行った場合は必ず後で大きなしっぺ返しが来るものである。


1995年は3月に地下鉄サリン事件も起きる。
いつもなら霞が関駅で乗り換えるところ、
偶然その日は赤坂見附駅で降り、難を逃れた。

起業後今までで、
神戸大震災、
地下鉄サリン事件、
911事件の映像は
未だに鮮明に記憶に残っている。


次回はいよいよ第1号社員こばの登場。

~⑧へつづく~