こんにちは。
昨夜は4時30分まで読書をしていたので、そのままオールをしてやろうと思っていたのですが、1時間だけ寝ようで爆睡をしてしまいました。
どーも皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ということで、本日は「善悪は社会が決めている」というテーマでブログを更新していこうと思います。
なんかちょっと硬いテーマなのですが、俯瞰して考えてみると「確かに!」って思うことだと思うのでそんなに難しい話ではないです。笑
なんか、最近は回転寿司の店でイタズラをするいわゆるバカッターみたいな人がたくさん炎上をしていて、この世の中も混沌を極めているなあと実感をしているところなのですが、、、
確かに、そんな回転している寿司を勝手に取ったり、なんかイタズラをしたりするのは許されない恥ずべき行為だとは思いますが、ふと善悪とかって時代によって本当に違うよなあっていうことを思ってしまったんですね。
これには本当にたくさんの例があるので自分の知っている範囲の例で言うと、、、
今は不倫とかで世の中はすぐに騒ぐし、一夫一妻制の世の中になっているのでスキャンダルとかにも敏感だと思いますが、昔の国では一夫多妻制で上手くやっていた国もあったし、その一夫多妻制にも「全ての妻に時間やお金を平等にしないといけない。」的なルールなどもあったりして、そのおかげで貧しい女性が救われる機会が増えて、たくさんの女性が出産をして子供を産めるようになり、世の中が上手く進んでいったことがあったのも事実であると。
他にも人類は奴隷という身分を公に認めていて、実際に奴隷の身分の人を今でいう物と同じように売ったり買ったりしていた過去もあるし、日本でも昔は電車のホームでも、ましてや車内でも普通にタバコを吸っていた過去もあるし、実際に国として教育をし出したのも本当にここ最近の話であって、狩猟採集やその近くの時代などでは、子供も普通に働く一員としてのカウントであったし、そもそも教育という概念さえなかった時代も往々にしてある。
他にももっとあるが、あげすぎるとキリがないのでこの辺にしておくが、このように時代時代によって良いとされていた事、悪いとされていた事などは全く違うし、そこでの良いとか悪いとかの基準は、やっぱり社会によって決められているんだろうな、と思う。
ただ、この社会というものが定義づけられているものであればわかりやすのだが、僕の中に「これが社会だ」っていう明確なものはないし、多分誰もが社会というものの中にぼんやりと方向性を見出していて、こっちなんじゃないかなって付いていっているような気がする。
それが社会というものだと思うし、最近ではグローバルや多様性が謳われているが、別にここに反対するような意見があったって僕は良いと思ている。
僕は自分のパーソナリティを持っている人とか、そういう人と関わったり、話をしたりするのが好きなのでこれには賛成であるが、別に多様性に反対する人がいるのも多様性だなと思っているのも事実。
だって多様性ってそういう事だし、いろんな人がいてそこに賛成をする人もいれば、めっちゃ反対する人もいて、性的マイノリティーな人もいれば、ストレートな人もいて、そうやって個々人が自分のアイデンティティーを持った上で、それを社会が気持ちよく、マイナスな感情を出さずに迎え入れてくれるのが多様性という事なんじゃないかなと僕は思っている。
なんかいつの間にか多様性の話をしてしまっていたが、やっぱり今良いとされている事、悪いとされている事は今の社会が決めているものであることが多い。
さらにそれは簡単に書き換えられることが本当に多いものであると。
なので、僕は自分の判断基準として善悪というよりかは、自分の美学に触れるところ「かっこいいのか」「かっこよくないか」で決めるのが良いと思ったということ!
(これがこの話の1番のミソ。笑)
IWGPのキングが言っている通り。
「悪いことすんなって言ってんじゃないの。ダサいことすんなって言ってんの。」
これがとっても大事な判断基準だと思った。
だって、善悪はこの社会の変容によって簡単に書き換えられてしまうものであるし、そこに頼っていても仕方ないので、かっこいいのか、かっこよくないのか、僕はこの判断軸でこれからも判断していきたいと思うし、そうするといつの間にかブレない自分が作られているんじゃないかなと思うわけです。
というわけで、本日は「善悪は社会が決めている」というテーマから、なんか自分の価値判断の基準まで広げて話をしてみました。
ではまた!