みーちゃんが旅立ちました。
最期を看取れませんでしたが、半分目を開けて
いつもの眠たそうな目で見ていました。
二日前初めて病院に連れて行きました。
私の考えは、元々野生なのだから生まれたまんまの姿で一生を過ごして欲しかったので去勢もしていません。
たから、弱った時も年齢的なものだと思って覚悟していましたが、見てて辛くなり16年で初めて病院に連れて行きました。
注射をされ泣く姿に胸を締め付けられ
私に向かって初めて本気で噛みつきました。
本当に初めて
私の手は血がしたたり落ちるほどてしたが
痛みよりみーちゃんがこんなに嫌がってるのかと思っただけでした。
それだけイヤだったのでしょう。
検査の結果、腎不全。
猫特有の病気。
獣医師さんに一週間ほどの入院を勧められましたが、もし入院中に亡くなるようなことがあれば私は、病院を責めてしまう。
それにみーちゃんがこんなに嫌がってる。
『ずっと一緒にいたんだから、家で過ごして通院します。もしそれで亡くなってしまっても最期は、一緒にいたいから』と言い連れて帰りました。
仕事に行く前に
『行ってくるね。』
と言ったら声にならない言葉で『ミャー』と鳴く仕草を口でしました。
あれが『さよなら』だったんだ。
当たり前ですが
家でずっと飼ってたので
この16年8ヶ月の間私の全てを見てきたみーちゃん。
引っ越しも寝るときも常に一緒。
落ち込んだ時も、嬉しいときもいつも家でずっと一緒だったみーちゃん。
母親とも18年しか一緒に住んでなかったので
みーちゃんは、2番目に長い。
私の愛する人を亡くして
父親を亡くして
母親を亡くして
そのときも一緒だったみーちゃん。
私の人生の縮図を毎日見てきて
私の『絶対的存在感』だったみーちゃんを亡くして、まだこんな悲しみが残ってたんだと感じました。
『死にはメッセージが込められてる』
住職に言われた事があります。
みーちゃんのメッセージを考えて
これから先の人生を考えたいと思います。
ただ、
もう私の周りには心寄せる場所が何も残ってない。