母にはいくつかの顔があった。

 

離婚後

物心つくまで前までは

いいお母さんだったと

聞いた。

 

体の弱いあたしのことだけを

考えて病院によく連れて行ってたらしい。

入院中も母がトイレに行けないくらい

あたしは母から離れない子だった。

 

そういう話を祖母から聞いた時は

胸にあった棘が少し取れた

そんな気さえした。

 

でも母は物心つく2.3歳で

スナックのママになった。

 

母の2つ目の顔だ。

 

数人の若いお姉さんに「ママ、ママ」と頼りにされ

よく微笑んでいた。

 

それと同時にヤクザの愛人になった。

 

母の3つ目の顔だ。

 

露出する服や派手な服を身に纏い

真っ赤な口紅。

お母さんがどんどん変わって行くことに

子供ながら不安だった。

 

ヤクザの愛人になると「姐さん」と呼ばれ頼りにされ

よく料理を作っていた。

 

 

「ママ、ママ」

あたしの声は

お母さんに響くことを

聞いてもらうことも

なくなった。

 

2人っきりになると必ず

無言になりあたしはお人形に

喋りかけた。

 

母は母親をやめて

スナックで働く女の子のママになり

ヤクザの女になった。

 

日に日に大きくなるお母さんの体の絵。

 

その事実をただただ小さい

あたしは静観するしかなかった。

 

ただ世間一般で受け入れてもらってないヤクザの人たちが

あたしのことを可愛がったのも確か。

 

「好きなもの買ってあげる」

「一緒に遊ぼう」

「一緒にご飯食べに行こう」

 

そしてスナックで働く女の子たちは

「綺麗な髪の毛だね。縛ってあげる」

そう言いながら三つ編みをしてくれた。

「クッキー作ったからあげるね」

手作りのクッキーをくれた。

 

母が可愛がった女の子たちは

あたしを可愛がってくれた。

 

母に愛されてないけど

母が大切にしてる人たちは

あたしを受け入れてくれた。

 

 

夜で働いてるって女の人たちと

体に絵が入ってるカタギじゃない人たちってだけで

子供のあたしからしたら

母より何倍も何十倍も大切にしてくれた人たち。

 

不思議なもので

30数年生きて来て

そういう人たちへの偏見が

全くないのはこの時の感情が

未だに残っているからだと

思っている。

 

 

「女の子はなー

可愛くおらなあかんよ?

そうしないと誰からも愛されへんからな」

 

たまたま機嫌よくお風呂に入れてくれた母が

ニコニコしながらあたしに言った。

日に日に大きくなる母の背中の龍が怖くて

強張った顔で「うん。」と言った。

 

そしたら…

ぱっちーんと鋭い音と

痛さが左頬に走った。

 

「ほんまに憎たらしい子やな。」

 

そう捨て台詞を吐き

あたしを置いて母はお風呂から出て行った。

 

その後、泣いても叫んでもお風呂から出しては

もらえず…

「ママの背中の龍が怖かったんだよー」

なんて言えず…

 

ただただ暖かかった体が冷えて来て

自分の体をこすったり

ぬるくなった湯舟に入ったり

それを何度も何度も繰り返した。

 

それからどのくらいの時間が経ったか

わからないけど…

出してもらった時には

涙すら出て来なかった。

 

この頃からだろう…

あたしは泣いても意味がないということに

気付いた。

 

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お母さんの言ったように

可愛い女にはなれませんでした。

でもあたしはずっと

20何年

いや、30何年

愛される女を目指してたように思う。

誰かに愛してもらえるように

自分を取り繕って

失敗して それを繰り返した。

誰かに必要とされたくて。

 

あなたのようにいくつの顔を持った女に成長してた時

あなたのようになっていました。

 

お母さん。

あたしはあなたに愛されたかった。

目一杯愛されたかった。

それが誰かではなく

ママ。あなただけで充分だった。

 

我が子の頬は自分の頬とくっつけると

ほっと幸せな気分になること

ひっぱたくものじゃないこと

 

お母さん知ってる?

 

 

「ママ、ママ」と泣いた

あの日にもし帰れたら

お母さん

あたしの涙 拭ってくれない?

 

優しく頬を撫でながら。