物心つくころには

保育園に

入れられていた。

 

保育園では

おてんばなあまり怒られっぱなしで

どこにも居場所はなかった。

 

おむつがとれるのも

遅くて…

母は育児放棄をしはじめて

いつも局部が赤くなり

痛かったことを覚えている。

 

だんだん荒れて行く母を横目に

あたしはしっかりしなきゃ

いけないと子供ながらに思っていた。

 

タバコの灰がたくさんあるテーブル。

その上にはいつも100円玉が寂しそうに置かれて

あたしはそれを握りしめて近くの駄菓子屋さんに行く。

 

大好きだったメロンパンを買いに行き

それを一人散らかった部屋

暗がりで食べる。

 

それがあたしの夕飯だ。

 

母は電気もつかない部屋に

あたしだけ残して仕事へ行ったのか

遊びに行ったのか

無言で夜出かけていく。

 

重い鉄の塊みたいな玄関ドアだけが

「いってきます」と言ってるように

音を出して閉まった。

 

メロンパンの食べかすが

床に落ちていたのを母が見ると

「何でこんなとこに落とすん?」と

早朝叩き起こされ

何発か叩かれた。

 

母は泣きながらまた言った。

 

「あんたなんか産まなきゃ良かった」

 

「ママ。大丈夫?」

 

母は無言で涙を流し

あたしを叩いた。

 

「ごめんなさい。生まれて来てごめんなさい。」

 

そう言うのがいっぱいいっぱいだったあたしに

母は

「テーブルの上で食べなさい」

そう言い残しベッドに行って眠りについた。

 

どのくらい保育園に行かせてもらってないんだろう…

 

一日夕飯だったメロンパンが

いつからか一日1回のご飯になった。

 

母が眠りについた昼間は

お人形とアンパンマンのビデオで

時間を潰した。

 

朝買いに行ったメロンパンを

すぐに1個食べずに

何回か空腹の時に食べる。

 

 

部屋中物で溢れ

1人ぼっち感が増した。

 

そしてタバコの灰でいっぱいになった

ガラスのテーブルで

涙を流してメロンパンを1回だけ頬張った。

 

そしたら涙が溢れた。

 

要らない子なんだって実感して

母を起こさぬよう

声を押し殺してワンワン泣いた。

 

 

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30数年経ったいまでは

メロンパンは大好きから普通に変わり

年に1回食べるか食べないかの

存在に変わった。

 

それでもメロンパンを食べると

涙が溢れて仕方ない。

 

そして虚しさと悲しさで胸がいっぱいになる。

 

子供たちがメロンパンを食べて

「美味しいね」

その横で涙を流すあたしを見て

上の子が言う「ママ、大丈夫?」

 

「大丈夫よ。メロンパン美味しいね」

 

そういうとまた「美味しいね」って子供が言うから

「うん。」って言ってあたしは笑った。

 

 

メロンパンすごい美味しいから

こうしてあたしはママと一緒に

食べたかったんだよ。お母さん。