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あらすじ
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。

 

ひと言
やっと借りることができた村上春樹、それも2冊まとめて♪。読みやすく、えっ!この後 どうなるの?と読者をわくわくさせるのはさすがですが……。あれ、これどこかであったような……。
中でも一番許せないのは、南京虐殺事件のこと。
もうすぐ 6月23日の「慰霊の日」を迎えますが、あの凄惨な沖縄戦で亡くなられた方は日本軍、沖縄県民、米軍をあわせても約20万人。それを40万人の虐殺とは…。
村上春樹は多くの国で翻訳されて多くの人に読まれるということを全く考慮していないような無責任な記述。こんな人にノーベル賞なんて取ってもらいたくはありません。

 

 

しかし「騎士団長」という言葉には、私の記憶を微かに刺激するものがあった。その言葉を以前、耳にした覚えがあった。私は細い糸をたぐり寄せるように、その記憶の痕跡を辿った。どこかの小説だか戯曲だかで、その言葉を目にしたことがあるはずだ。それもよく知られた有名な作品である。どこかで……。
それから私ははっと思い出した。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』だ。その冒頭にたしか「騎士団長殺し」のシーンがあったはずだ。私は居間のレコード棚の前に行って、そこにある『ドン・ジョバンニ』のボックス・セットを取り出し、解説書に目を通した。そして冒頭のシーンで殺害されるのがやはり「騎士団長」であることを確認した。彼には名前はない。ただ「騎士団長」と記されているだけだ。……。
このオペラにおける彼は、名前を持たないただの「騎士団長」であり、その主要な役目は、冒頭にドン・ジョバンニの手にかかって刺し殺されることだ。そして最後に歩く不吉な彫像となってドン・ジョバンニの前に現れ、彼を地獄に連れて行くことだ。
考えてみれば、わかりきったことじやないか、と私は思った。この絵の中に描かれている顔立ちの良い若者は、放蕩者ドン・ジョバンニ(スペイン語でいえばドン・ファン)だし、殺される年長の男は名誉ある騎士団長だ。若い女は騎士団長の美しい娘、ドンナ・アンナであり、召使いはドン・ジョバンニに仕えるレポレロだ。彼が手にしているのは、主人ドン・ジョバンニがこれまでに征服した女たちの名前を逐一記録した、長大なカタログだ。ドン・ジョバンニはドンナ・アンナを力尽くで誘惑し、それを見とがめた父親の騎士団長と果たし合いになり、刺し殺してしまう。有名なシーンだ。どうしてそのことに気がつかなかったのだろう?
(5 息もこときれ、手足も冷たい)

 

 

免色は続けた。「暗くて狭いところに一人きりで閉じこめられていて、いちばん怖いのは、死ぬことではありません。何より怖いのは、永遠にここで生きていなくてはならないのではないかと考え始めることです。そんな風に考えだすと、恐怖のために息が詰まってしまいそうになります。まわりの壁が迫ってきて、そのまま押しつぶされてしまいそうな錯覚に襲われます。そこで生き延びていくためには、人はなんとしてもその恐怖を乗り越えなくてはならない。自己を克服するということです。そしてそのためには死に限りなく近接することが必要なのです」 「しかしそれは危険を伴う」 「太陽に近づくイカロスと同じことです。近接の限界がどこにあるのか、そのぎりぎりのラインを見分けるのは簡単ではない。命をかけた危険な作業になります」 「しかしその近接を避けていては、恐怖を乗り越え自己を克服することはできない」 「そのとおりです。それができなければ、人はひとつ上の段階に進むことができません」と免色は言った。
(24 純粋な第一次情報を収集しているだけ)

 

 

「盧溝橋事件があったのはその年でしたっけ?」と私は言った。 「それは前の年です」と免色は言った。「一九三七年七月七日に盧溝橋事件が起こり、それをきっかけに日本と中国の戦争が本格化していきます。そしてその年の十二月にはそこから派生した重要な出来事が起こります」 その年の十二月に何かあったか?
「南京入城」と私は言った。 「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の来に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」
(36 試合のルールについてぜんぜん語り合わないこと)

 

 

「理論的には」と騎士団長は言った。「しかしそれはあくまで理論上のことである。現実にはそれは現実的ではあらない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることは、ほとんど不可能だからだ。何かを考えるのをやめようと考えるのも考えのひとつであって、その考えを持っている限り、その何かもまた考えられているからだ。何かを考えるのをやめるためには、それをやめようと考えること自体をやめなくてはならない」 私は言った。「つまり、何かの拍子に記憶喪失にでもかからない限り、あるいはどこまでも自然に完全にイデアに対する興味を失ってしまわない限り、人はイデアからは逃げることができない」 「イルカにはそれができる」と騎士団長は言った。「イルカ?」 「イルカは左右の脳を別々に眠らせることができるんだ。知らなかったか?」 「知りませんでしたね」 「そんなわけでイルカはイデアというものに関心を持たない。だからイルカは進化を途中で止めてしまったのだよ。我々もそれなりに努力はしたのだが、残念ながらイルカとは有益な関係を結ぶことができなかった。なかなか有望な種族だったのだがな。なにしろ人間が本格的に登場してくるまでは、哺乳類の中では、体重比でもっとも大きな脳を持つ動物であったから」 「しかし人間とは有益な関係を結ぶことができた?」 「人間はイルカとは違って、ひと続きの脳しか持っておらんからね。いったんぽこっとイデアが生じると、それをうまく振り落とすことができないのだ。そのようにしてイデアは人間からエネルギーを受け取り、その存在を維持し続けることができたのだ」「寄生虫みたいに」と私は言った。
(38 あれではとてもイルカにはなれない)