【巡礼で読経は必要か?】
そもそもの話として「巡礼において、読経は必要なのだろうか」という話。
宗教上の話ではなくて
・歴史的経緯(故実的に)として
・巡礼の伝統として
みたいな方面での話で…。
例えば、四国八十八ヶ所。
起源は諸説ありますが、一般には
「衛門三郎が弘法大師に謝罪するため」
という説が知られています。
※衛門三郎
托鉢に来た弘法大師の鉢を叩き割って追い返した権力者。
後に身内の不幸が続き、追い返した僧侶が弘法大師だと知り、謝罪するために弘法大師を追って旅に出て、死の間際に弘法大師と再会して謝罪したとされる。
さて、ここで疑問。
衛門三郎は写経や読経をして寺を巡っていたか
答え:不明
伝説では「弘法大師に謝罪するためにお寺を巡った」とあります。
その際に行ったのは
『衛門三郎がここに来ました』とメッセージを残した(※納め札の起源とされる)
と伝わっているだけで、写経を奉納したとか、読経したとか、そういう内容は一般的に見かける範囲では残っていないようです。
資料を調べても、戦前(=現代の先達制度による巡礼作法やルールの定着以前)は
御詠歌(御本尊や寺院を称える短歌)を唱える
というもので、その伝達についても
古参のお遍路(今でいう職業遍路)から新顔のお遍路へ
みたいな感じらしく、お寺や僧侶側から「お経を唱えましょう」という指導はなかった模様。
偶然知り合った御詠歌講の方(90代)が戦前仕様の四国八十八ヶ所の御詠歌を1曲だけ覚えているそうなので、唱えていただけたのですが…
なんというか、童歌(山寺の和尚さん)かな?みたいな…( ̄∇ ̄)
その方曰く
『親(90代の親世代なので、明治時代あたりの方と思われます)から聴いた限り、当時の流行歌のメロディで、みんな好き勝手に唱えてたと思う』
らしいです、はい(´⌯ ̫⌯`)
今でいう替え歌っぽい…?
もしかしたら、オッペケペー節(明治時代の流行歌。音声が残っている日本最古の歌)仕様の御詠歌とかも唱えられていたのかもしれません(っ ॑꒳ ॑c)
なんというか…
今みたいに「作法が〜」みたいなものではなく、もっと自由で、親しみのあるものだったんでしょう。
ただ、まぁ明治時代の『お遍路』というのは差別対象で、旅館に泊まるときは頭陀袋などの遍路用品は見えないように隠し持つ必要があったようですが…
例えば、西国三十三所。
徳道上人が閻魔大王から授かった33の宝印をいただいて、極楽往生を目的とする旅で
「霊場を巡って御朱印をいただく」
という意味では西国三十三所が始まりとされます。
伝承について調べてみると、解釈はいろいろあるようですが、大雑把にいうと
『観音菩薩の慈悲の教えを広めなさい』
と言われ、宝印を授けられたという感じ。
一般的な受け取り方をすると
「お寺を巡り、僧侶から教えを受けなさい(法話を聴きなさい)」
ということになるのではないかと。
※在家における、宗教上の最重要事項
『◯◯◯を唱えるだけ』のような教えであっても
宗教指導者(僧侶など)の話を聴く必要はない
とは言われないため、事実上は『僧侶から法話を聴く』のが最重要事項と考えられます。
少なくとも伝承のなかの宝印の授与条件に
『読経しなさい』
『写経しなさい』
といった、巡礼者側が『お経』に関する何かを行なうような具体的指定は見当たらない。
というわけで
という感じ。
西国2番札所 紀三井寺の住職(執筆当時)の著書
朱鷺書房 西国巡礼のすすめ(1997年発行)
によると
『紀三井寺で巡礼作法を学んで、西国巡礼へ出発するのが通例(要約)』
とあるので、西国三十三所では、少なくとも近代はしっかりと事前研修的なものが行われていたようです。
明治時代の巡礼ガイドに掲載されてる西国三十三所の巡礼時に唱えるよう記載されてるものを確認すると
読経内容は
資料を読む限り、寺院では
観音経秘鍵の最後の一節を唱える
というのが基本のようです。
※准胝観音 大呪や延命十句観音経は『日課』であり、『仏前で唱える』という指定はされていない
〜余談〜
宝印は現代のものと全く異なる形状のようです。
※コマ番号6/34の右側のページ
文章を読むと「右の御手に宝印を〜」という書かれている。
つまり『徳道上人が宝印を授かった』とあるだけで、宝印の個数は記載がない。
おそらく、明治中期以降に『徳道上人が33の宝印を授かった』と改定されたと思われます。
※中山寺の御印文などにも印の数は記載がないため、1つしかなかったのか、33あったのかなどは不明。
【オススメの経本】
青幻舎 わたしの般若心経
著者 蓮沼 良直
個人的にオススメの経本はこちらです(`・ω・´)
同名または類似の書名で
祥伝社から出版されている松原 泰道 著
説話社から出版されている小河 隆宣 著
回向文の意味,意義については天台宗公式の法話集などが読み易いと思います。
え〜( ̄▽ ̄;)
ひらがなの般若心経が読み易いかどうかは人により異なります…。
画像を見てわかるように経本は
現代日本語の楷書(主に明朝体やゴシック体など)で書かれているとは限らない
という感じなので( ゚ー゚)ムツカシイネ
ちなみにそのまま文字起こしすると
『はんにや志んぎやう。』
※『し』は紛らわしいため『志』などを代用することがあります。
※書体によっては『之』が『し』のような形状になるためです。
江戸時代は教育が義務化されていないため
・識字率が現代ほど高くない(それでも当時は世界トップクラスと言われている)
・書体が現代のように規格化されていない(書体にも流派のようなものがあった)
といった理由のようです。
ちなみにこの経本がスラスラ読めるなら
二千円札に書かれている和歌がスラスラ読める
と思われます( ̄∇ ̄)
〜宗派の公式経本〜
宗派の正式なもので、いわゆる『熱心な人』などが使ってることが多い。
ただ、お経が全部載ってる、みたいなものが多いので使い易いかどうかはまた別問題。
収録内容が濃いため、法事から日常使い,巡礼まで幅広くカバー出来るのが利点ですが、物によっては600ページほどあるので携帯には不向き。
[華厳宗]
華厳宗在家勤行法則
編集兼発行 華厳宗宗務所
[法相宗]
薬師寺勤行次第
奥付 法相宗大本 薬師寺
[聖徳宗]
聖徳宗課誦
奥付 総本山 法隆寺藏板
[真言律宗]
真言律宗仏前勤行次第
奥付 真言律宗 総本山 西大寺
[東寺真言宗]
東寺真言宗在家勤行法則
発行者 真言宗総本山 東寺 東寺真言宗 教学部
[高野山真言宗]
仏前勤行次第
発行所 高野山真言宗教学部
[真言宗醍醐派]
観音経
発行所 総本山醍醐寺
[真言宗智山派]
真言宗智山派勤行聖典
発行所 総本山 智積院
[天台宗]
天台宗日常勤行式(音読・訓読記載)
発行所 比叡山延暦寺
[天台寺門宗]
天台寺門常用勤行式
発行 天台寺門宗 教学部
[天台真盛宗]
讀經要文集 在家勤行式 法語集 和賛集
発行 総本山 西教寺
[和宗]
四天王寺在家勤行儀
発行所 日本仏法最初 和宗総本山 四天王寺
[黄檗宗]
禅林課誦
奥付 書林 合名会社 其中堂
[臨済宗妙心寺派]
臨済宗妙心寺派勤行聖典
発行所 臨済宗妙心寺派宗務本所
[曹洞宗]
曹洞宗日課諸経要集
発行所 曹洞宗宗務庁
[融通念佛宗]
新修 融通念佛宗聖典
発行所 融通念佛宗宗務所
[浄土宗]
浄土宗勤行式
発行者 大本山 百万遍知恩寺
[浄土宗]
折本 浄土宗日常勤行式(阿弥陀経・真身観文・般若心経付)
発行 浄土宗
[時宗]
時宗勤行式
発行 光輪閣
[本山修験宗]
本山修験勤行常用集
奥付 総本山 聖護院門跡蔵版
[金峯山修験本宗]
金峯山勤行儀
発行 総本山金峯山寺
〜霊場の経本〜
いわゆる『巡礼の公式経本』に相当する経本。
巡礼特化なので、日常使いにはやや不足感。
ただ、法事などには対応していないため、文字通りの専用仕様。
なぜか薬師霊場,地蔵霊場には専用経本が見当たらない…
[四国八十八ヶ所]
奉納四国八十八ヶ所 附録・御詠歌
[知多四国八十八ヶ所]
知多四国巡拝のおつとめ
編集 知多四国霊場会
[西国三十三所]
西国三十三所勤行次第
発行所 西国三十三所札所会 先達委員会
[坂東三十三所霊場会]
観音霊場勤行式
坂東三十三所霊場会(奥付に編集,発行などの記載はなく、霊場会名のみ記載)
[四国三十六不動霊場]
四国三十六不動霊場 六波羅蜜修行次第
発行所 四国三十六不動霊場会
[東海三十六不動尊霊場]
東海三十六不動尊霊場 巡拝法楽集
東海三十六不動尊霊場会 事務局 成田山大聖寺内
[九州三十六不動霊場]
九州三十六不動霊場勤行次第
発行所 九州三十六不動霊場会
[西国三十六不動霊場など、汎用]
霊場巡拝諸経要集
発行 株式会社 四季社
〜大手経本出版社〜
永田文昌堂
大八木興文堂
仏具店などでよく見かけるのはこの2社。
日本佛教普及会
こちらはAmazonなどの大手ネット通販や大きな書店などで見かける出版元です。
隆昌堂
寺院オリジナルの経本などで割と見かける出版社です。
これらの他にも中小の出版社が多数あり、中には現在でも江戸時代の版木を使って手刷りしているところなどもあります。