受戒は生きている間に受けるものである
というのは本来の仏教の教えであるかと思いますが…
最近、このテーマの法話を聴くと
現場の僧侶は『理想論』を説いてるだけで、何も考えていないのは?
都合の悪いことから目を背けてるのでは?
と感じることが…(´・ω・`)
【疑問点】
独身時代に受戒している場合、結婚後にトラブルになる場合がある。
また、戒名が原因でトラブルになって、助けを求めてもアテにならないのではないか。
よくあるのが
菩提寺が法話で
「受戒は生きてるうちに」
と説いて、檀家に受戒を薦める。
これは問題ないのですが…
例えば、独身者が受戒したとして、将来的に
・結婚相手の苗字を名乗る
・結婚相手が他宗派の檀家
・結婚相手の実家や親族が宗教に熱心なタイプ
という場合。
結婚相手の『家』の祭祀の関係者である
・菩提寺
・実家
・親族
などの全員が個人の信仰を尊重するタイプなら良いのですが…。
これらの中に
「うちの家の者と結婚したのだから」
という『家』や『宗派』を絶対視する方(※)が居られる場合がトラブルになりがち。
※複数の宗派を並行して信仰する、ということを一切認めないタイプ
トラブルになった場合、実家の菩提寺は
・結婚相手の菩提寺
・結婚相手の実家
・結婚相手の親
など関係者全員の説得にあたってくれるのか?
これは特に
・結婚相手本人は「配偶者の信心を尊重する」という考え
・結婚相手の菩提寺,実家,親族は「結婚したのだから改宗必須」という考え
といった環境で、亡くなった場合に起こり得る話です。
もし、夫婦別姓が可能になれば『うちの家の者』という根拠が薄れる可能性もあるので、問題は減るのかもしれませんが…。
結婚の際に確認事項としてよく取り挙げられる『宗教』って
・日本で多数派の宗教(神道&仏教)であるか
・新興宗教や新宗教(明治以降に新設された宗教)であるか
などの確認だけで
『伝統宗教への信心深さ』みたいなのは確認なし
という傾向があるので
『独身者(特に若い世代)へ受戒を薦める』
という事を行うと、この手の問題は起こり得ると思われます。
【具体例】
私の知ってる範囲だと
密教の檀家の女性(以降、妻)と、法華教の檀家の男性(以降、夫)が結婚した。
妻は独身時代に、菩提寺の薦めで戒名をいただいている。
結婚後、妻が亡くなった。
夫は妻の信仰を尊重し、密教での葬儀準備に動き、妻の実家の菩提寺に連絡。
夫の実家は妻の信心を無視して『家の宗派』を重視。
喪主である夫の意志を無視して、夫の実家は法華教の菩提寺に連絡。
妻の実家は
「それぞれの家の事情などもあるので」
と口出ししない方針。
結果として
『喪主(夫) vs 喪主一族(夫の実家&親族)&菩提寺』
という対立構造となる。
※妻の実家の菩提寺は
「他所者が口出しするな」
で押し切られて黙らされた模様。
という事態になった例が…(´・ω・`)
最終的には
通常の通夜&葬儀は法華教で。
葬儀後、妻の実家の菩提寺(密教)で喪主のみで骨葬。
というカタチを取ったと伺いました。
※骨葬
火葬後に葬儀を行う形式。
一部地域では令和の現在でも行われる。
【私的見解】
一般論とか、法律上の話ではどうなるのかわかりませんが…
上記の例なら、妻の菩提寺に対して、私は下記の様に考えるかなぁ…(´・ω・`)
[自坊で授戒会を行った場合]
喪主である夫から妻の葬儀について求めがあれば
「家なんて関係ない!この人はうちの檀信徒です!」
と強く出てほしい。
少なくとも、法脈上は住職の直下に連なる者。
そこからSOSが発信されたのに、助けないのは無責任では?
[総本山や教区の授戒会への推薦状を書いた]
会場や戒師に違いはあれども、檀信徒としての所属は『妻の実家の菩提寺』
葬儀の連絡をする時点では、妻は法華教は受戒していない。
つまり『夫の実家の宗派』でしかなく、妻自身は宗教上において正式な所属は密教。
寺院が独自に口を出すのは拙いと思いますが、喪主である夫からSOSが発せられているのだから、助けるために動いてほしい。
[総本山や教区の授戒会への参加を薦めた]
上記2例と違って道を示しただけで、後押しはしていないし、直接的にも間接的にも関わっていない。
そのため「うちの檀信徒です!」って主張する根拠としては、弱いなぁ、という印象。
この場合は、密教寺院は喪主に助けを求められても動き難いかなぁ…。
動くかどうかのは寺院との付き合いの状況次第,住職の性格次第かなぁ。
というような気がするので、例え夫の実家や菩提寺から『口出しするな』『関わるな』と言われても『相談に乗る』くらいはしてほしい。
[受戒を薦めた]
「機会があれば〜」と受戒を薦めただけで、授戒会に関する情報提供もしていない。
ということは、情報収集から手続きまで全部自力だから、密教寺院は完全に話の外側。
表立って相談に乗るのもちょっと避けられるかもしれないけど、相談にのって貰えたら嬉しいなぁ…。
【檀家】
『檀家』とは、どこまでか。
公式見解は宗派毎に異なるようです。
公式サイトに掲示してある宗派もあれば、宗則(宗派の規則。会社でいう社則にあたる)に定義が規定されてるだけで一般向け公開してない宗派もあります。
公式サイトで宗則が一般公開されている宗派もあります。
宗派による定義はさておき。
日本の法律上において祭祀(主に先祖供養)の相続は
『慣例に従う』
ということになっています。
現在は、慣例に従う事については
・現行憲法で否定された家制度
・「故人がどう望んでいたか」という事実認定がほぼ全てで、檀家とか家制度は法的には無効
となっているとのことです。
コメントで教えていただきました。
ありがとうございます。
調べてみたところ、高等裁判所の判例がいくつか見つかりました。
※最高裁の判例はみつけられなかったので、最高裁の判例があるのかは不明。
簡単にいうと
『管理者死亡時において、不動産や預貯金などのような、具体的な相続条件が設定されていない』
という感じ。
不動産や預貯金などのいわゆる遺産は
優先順位1位が『配偶者&子供』
優先順位1位に該当者がいない場合は『親』
『親』の該当者もいない場合は『兄弟』
という順に続柄を基準とする事が法律で決まってます。
しかし、祭祀施設(墓や仏壇など)に関しては優先順位が設定されていません。
何故か?というと
『分家が亡くなったら、本家の墓に入る=親戚全員が同じ墓に入る』
という事が何百年も前から行われてきている=慣例があったため。
その影響もあって、お寺側は令和の現代でも
・血縁者
・血縁者の姻族(結婚相手)
であれば『檀家』という扱いになる所が結構多い印象。
つまり
『檀家の配偶者になった時点で、檀家とする』
という扱いになるのが、お寺側の基本認識。
役所や銀行,郵便局などでよくある
『同居配偶者=代理人』
という扱いではなく
『檀家の一人』
という扱いになってる場合が多い印象。
【無理が出ている、と感じる点】
この檀家制度は
・転居が珍しくない
・男女同権で、個人として同等の権利がある
という現代社会において無理が出てきているのでは?
と感じる事があります。
[転勤,転居が珍しくない]
通信インフラの整備とインターネットの普及により販路拡大,広告掲載のハードルが低くなったこともあり、全国各地に営業所などを設ける企業が増えてきました。
また、高速道路やトンネルなどの交通インフラが整備され、物流網が発達したことに加えて保存や運搬の技術が発達したことで地価や法定最低賃金の低い地域へ工場や倉庫などを設けることが可能になりました。
例えば、飲食業界のセントラルキッチン制などが最もたるものでしょうか。
そのため、転勤,転居というのは珍しくない会社も…。
ちなみに、私の面識のある中では、38年間(大学新卒〜60歳定年まで)で18回転勤が最多。
その息子(現在40代後半)も転勤族なので、転校,転勤による転居が累計16回です。
[他宗派の檀家と結婚するのは珍しくない]
上記の転勤,転居の加えて、東京一極集中の影響や、経済圏が東名阪を中心にしている影響などもあり、他県出身者との結婚も珍しくない。
例えば、オフィスの同じフロアで働いている人は全員、出身県が違うという場合でも「へぇ〜そうなんだ」程度で、特に話題にする程の珍しさはない感じ。
都道府県が違えば、主流となっている宗派も違う。
そうなると、当然ながら『他宗派の檀家』との結婚も多くなる。
このため『檀家』の基準を『家』としている現行制度では
『結婚したら、苗字を変える側を強制的に改宗させる』
という前提になってしまっています。
もし、夫婦別姓が可能になったら、どうなっていくのかは判かりませんが…
この改宗が前提になっている事と
「生きてる間に受戒しましょう」と説く事
この2点の差異の穴埋めはどの様に…?と。
また、現在の離婚率は約35%と言われているので、再婚するとまた宗派が…?
※私の知り合いで、独身時代に受戒,結婚後に別宗派で受戒,離婚して、再婚後にまた別の宗派で受戒して、計3宗派の戒名がある人もいます。
この点について、僧侶に質問すると
「そうなった時に相談してもらえれば一緒に考えます」
みたいな曖昧な事ばかり…(´・ω・`)
【お寺的に、触れてほしくない部分?】
「お寺へ行こう」
「お寺で仏の教えを聴こう」
「生きてる間に受戒しましょう」
というお寺はありますが、先に挙げたように
「婚姻に伴う強制改宗」
という問題には一切触れられていません。
訊いても
「実際に起こったら考える」
「相談してもらえれば対応する(具体的な回答なし)」
「臨機応変に対応」
という感じで、基本方針というか方向性にしても
「相談に乗りますよ」
という程度に留まる。
このあたりの注意喚起というか、サポート体制を整えずに
「受戒をしよう!」
と理想論を述べている。
そんなふうに感じます…(´・ω・`)
せめて、頭の中でシミュレーションしてみるとか、そういうのはないのかなぁ…と。
私が、何故この点が気になったか?というと
妻は独身の頃(20代半ば頃。当時は僧侶になる気はなかった)に受戒して、戒名を持っていた
ということから
『他宗派の僧侶』ではなかったら、どうなっていたんだろう?
と思ったため。
うちの菩提寺の住職に
「うちの妻、僧侶になる前から戒名ありましたけど〜」
って聴いたら、なんか言い訳っぽい言葉で濁して
最終的に『家同士の問題なので』といって、自己責任論を展開
みたいな感じの物言いだったんですよねぇ…(´・ω・`)
で、まぁ、受戒を薦めてる僧侶の方々に訊いてみた、という経緯です。
知人にも訊いてみたところ、上記の様なトラブル例が出てきた次第です、はい…。
色々と話を聞いてみると、住職が想定している中で
「他の教えに信心を持つ」
というのは、いわゆる『新興宗教・新宗教』の様です。
そのためか
「受戒した人が別宗派の檀家と結婚したが、改宗したくない」
「別宗派で受戒している方との結婚する」
という場合への対応は、力技というか、強引というか…
この件で話すと
「若い世代の独身者で受戒してる人、かなり珍しいからねぇ」
といいますし(´・ω・`)
それはそれで布教というか、教化が不足してるんじゃない?
僧侶的にどうなん?
とか思ったりもしますけれども。
受戒してなくても、熱心な信仰の持ち主ではなくても。
習慣として信仰が根付いてる方は居られるので、それ無理矢理改宗させる前提なのはどうなのかなぁ…と。
もしも
『結婚に伴い、改宗する』
という慣習が失われるとなると
『家の宗派』というのがなくなり、夫婦で宗派が別というのも当たり前、という事になる。
つまり
『母さんはこっちの宗派のお寺』
『父さんはあっちの宗派のお寺』
という感じで墓や納骨堂などが個人毎になるわけです。
じゃあ、次世代(=子供)は?
というと
『子供の権利』として、宗教の選択権を!
みたいな話になってくる可能性があって…。
行き着くところは、『家の宗派』『家の菩提寺』という現在の檀家制度の崩壊。
まぁ、宗教離れの昨今、崩壊しかかっているところもある様ですが…。
要するに、現代の檀家制度は
『結婚の際に、どちらか一方(主に苗字を変える側)が改宗する』
という前提で成り立っています。
これ、掘り下げていくと『信教の自由』という人権とか、そういう部分に突っ込んだ話になるんですよねぇ。
改宗するにしても、強制するにではなく
「他所から改宗したくなるくらい魅力的な寺にする」という努力が必要
って結論なんですが…。
【受戒する地域性?】
ネットを彷徨っていたら
浄土宗の第64回千葉教区普通講習会資料(2000.10.30/31)
という資料を見つけました。
この資料によると
『関西では生前戒名は多いわけではないが、珍しいというほどでもない』
『関東では生前戒名は珍しい』
ということの様です。
以前、僧侶や葬儀関係者の間で
関東(主に首都圏)の人は、『自分の数珠』という考えがない。
数珠は『葬儀場などで借りるか、安価なものを購入して数日使って捨てる』という価値観になっている。
という事が話題になったことがありますが…。
その時の結論みたいなものは
『首都圏の人にとって、数珠はボーリングのボールとか、スケート靴のようなもの』
ということでした。
こういう他の面を観ても、関東と関西で宗教的な部分がかなり異なるように感じますね。
上記の資料では
寺請制度と、それに伴って布教を禁じた徳川家の影響力の違いが宗教観の違いとなった原因
としているので、その通りに受け取れば、歴史的に考えて
島原の乱で発起したキリスト教徒 約3万7千人が現在の檀家制度の基が作られるきっかけになった。
現代の檀家制度の基礎(寺請制度)を二代将軍 徳川秀忠公が作った。
明治政府が国家神道のために仏教の力を削いだ(廃仏毀釈)
GHQが農地改革(地主制度の廃止)により寺領を没収した。
ということになりますね(´・ω・`)
島原の乱がなければ、今の檀家制度はなく、宗派も縦割りみたいな感じではなかったかもしれません。
《余談》
1976年に出版された曹洞宗全書の続2巻に『開戒会焼香侍者指揮』という授戒会指導書が収録されています。
この指導書の中で
重受した場合は法名(戒名)について
・今ある法名(戒名)をそのまま使う
・新しい法名(戒名)をいただく
のどちらでも受戒する人が選択可能
という載ってる模様。
原本を確認しようとしたのですが、調べたところ
県立図書館や市立図書館といった公立図書館には収蔵されていない
ということで、色々探してみたら、仏教系の大学の図書館にのみ収蔵されているのが殆どの様です。
※1930年代に出版された曹洞宗全書が収蔵されている図書館は多いのですが、1970年代に出版された曹洞宗全書の『続』シリーズを収蔵しているところは殆どありません
石川県立図書館にはあるそうなのですが…気軽に行ける場所ではないので(´;Д;`)
大学の図書館の一般利用者は
・その大学が関係する宗派の寺院の住職もしくは寺族(住職の家族)
・その大学の周辺地域の居住者(地域福祉の一環)
に限られているため、確認できませんでした…。
知り合いの曹洞宗寺院の蔵書にもないようです(;ω;)
学術書って、高いですからね…。
※学術書
図書館の閉架や大学の図書館などに収蔵されているハードカバーの分厚い専門書。
物により異なるものの、1冊からの受注生産で、10万円超も珍しくない。
シリーズ全巻揃えると数百万円とかになります。
お寺参りをしたり、聞法したりしていると、県立図書館や市立図書館のお世話になることは多いのですが…
専門書となると大学の図書館などの関係者しか入れない場所にあることが多いですねぇ( ̄▽ ̄;)
通信制で単位履修可能な制度がある大学なら時期を待って入学する方法もありますが…
通信制で1単位だけなら年間5万円くらいから入学できるところもありますから、古本屋を探し回って買うより時間と費用を考えるとお得なのではないかな、と。
地域住民限定で許可が出るといっても、引越し手続きするのも大変ですしねぇ…。
知識欲旺盛かつお金に余裕のある方だと、単身赴任者向けの家具家電付きマンションを契約して、住民票を移して、図書館を利用するケースもあるそうですが…。
※ウィークリーマンションやマンスリーマンションは原則的に『住民票を移せない』となってるため不可。
知識を得るのは、現代でも結構大変ですよね(´・ω・`)