読売新聞社の Mさんからは“事前取材” ということで
今回の“大阪マラソンへの向き合い方”を電話で尋ねられます。
前回で少し触れましたが メインは“家族”のこと、“震災”のこと。
あとはやはり “自分自身”の こと・・・。
●家族
10年前に大阪:心斎橋・りんくう(関空横のアウトレット)で
仕事のためにお世話になっていました。
嫁さんは 東大阪市出身で、娘も大阪の産院で誕生しました。
スタート地点の大阪城は 二人で何度か遊びにいきました。
成熟した年齢になり 充実した期間を過ごさせていただいた “大阪”。
あの頃を思い出すと 今でも感謝の念で一杯になります。
●震災
ワタクシの実家や職場の地域では たくさんの被災者の方が
体育館やコミュニティーセンターで避難生活を送られていました。
わたしの職業上、被災地の方とお話しする機会が 非常に多くあります。
そんな方々からは 逆に応援されたり 共感していただいたりで・・・。
「あなた方が遠慮をする 必要は無いよ。 新潟も大変だったでしょ。」
と、笑いながら話される奥様に 背中を押されたことを 強く憶えています。
実のところ、 序盤に若干だけ綴った “岩手の後輩”とは
7、8月に連絡が取れていました。
実家と車を失ったということで 落胆していながらも
有難いことにご家族が無事ということで 前向きな報告で安堵しました。
●自分自身
前述の新潟シティマラソンで サブファイブだった“ピーチさん”
彼のススメで お試しで申し込んだ 東京マラソン 当選で走り始めました。
煙草を辞めて、ジョグ・筋トレの日々でしたが、なんとか完走。
5時間切れるんじゃ?と思いながら30kmで失速。
結果 グロス 5時間48分03秒
悔しくもあり、満足感もあり 次回こそサブファイブを誓ったわけです。
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以上、ごく真面目に お送りしました。
読売新聞社:高知支社のMさんにそんなお話しをして、
改めて大阪マラソンへのテンションが上がります。
かと言っても、脚やお尻の違和感が取れることは無いんですが。
迷った挙句に 大阪に向けて 最後にリザーブしたのが夜行バスチケット。
愛車のマイキー号と迷ったんですが、やっぱ甲子園観戦とは違います。
帰りにズタボロになりながら ブレーキも踏めない自分を想像して、
さらに東京マラソンでの良き理解者、H女史にご相談して決意しました。
仕事上 10/28 金曜の夜に出発、朝には大阪 です。
高まるな!静まれぃ!
と言われても アテクシには無理なので、
火照りまくったテンションで ラスト1週間を過ごしました。
この時でもまだ 完走が フ ア ン なワタクシでした。。。
つづく