ヒーリングセラピストになったきっかけ① 幼少時代~ | ソウルクリアリングセラピーで本来の自分らしく生きる Welina千恵子

ソウルクリアリングセラピーで本来の自分らしく生きる Welina千恵子

大牟田を拠点に、リモート、遠隔で活動中。
魂のクリアリング、ロミロミ・アロマトリートメント・レイキ・エンジェルヒーリング・レインドロップ・・のセッションやヒーリング系の講座をしています。

こんにちは、ヒーリングセラピーWelina 千恵子です。

 

これまでにも何度か、私がヒーリングセラピストとしての道を

選ぶことにしたきっかけだとか流れだとか

その思いだとかを書いてきました。

 

内容はその時々でエネルギーワークメインだったり

ボディワークメインだったりスピリチュアルだったり

というのはありますが

20年以上前にこの仕事を始めたときは

まだ子供たちが小さかったんですよね。

 

子育てしながらも

自分らしい道をすすみたい と思ったのが最初の始まりでしたが

 

その頃の私が感じた「始めることになったきっかけ」というものと

今時点で私が自分を振り返った時に感じる「きっかけ」というのは

やはり、ちょっと違って見えるんですよね。

 

 

 

 

↑ロミロミメインでやっていたころに気が付いた

私の「きっかけ」。

 

 

 

で。

自分のブログを探し出すのが難しいのですが

その後、もっと自分を振り返ってみたら

きっかけというのは幼少のころにさかのぼるなーというのが

何年か前の気付き。

 

 

それをちょっとと思いつくままに書いてみたいと思います。

 

 

 

 

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小さいころ私は、自分の外側のいろんなものに恐怖を、

そして自分自身には、無自覚の怒りを感じていた。

 

 

 

 

別段特殊な家庭環境だったわけでもないのに

どういうわけだか、自分の親にも、物心ついたころにはもう

自分と周りとの距離感を感じていたのだ。

 

自分も小さかったにもかかわらず

双子の妹がいたので思いっきり甘えれなかったというのも

あるのかもしれない。

 

でもそれくらいなら、きっと誰にでもある感覚なんだろうと思う。

でも私はそういった感覚を、私だけにしかないもの

私だけが感じているものなのかもしれないと長いこと思っていた。

 

 

誰も、自分の内側に抱えている違和感を

表現する機会もすべもないから。

 

 

 

それに加えて私は

自分が見えている世界だけが私の前に展開されていて

私がそれを見なくなったとたん(視界から消えている部分は)

何もない、無である という感覚があった。

 

(どうしてそう感じていたのかわからないけど

のちーーに、スピな世界を知って

「自分の世界は自分が作り出している」 とか、量子力学だとかで言われていることを知ってしっくり来た。)

 

 

でもそれらの感覚は、人となじめない、

人が怖い 周りのすべてが怖い ということにもつながり

疎外感があった。

 

 

人が怖い とかって感じときながら

空想のなかで、エイリアンやエルフたちと一緒に過ごすことに

心地よさを感じていた私。

 

空想の中の存在たちは

自分の意識で作り出したものだという自覚があったから

恐怖心も違和感もないのは当然だったのだろう。

 

 

 

 

 

そして夢の中では空を自由に飛び回ったり

いろんなところに出かけたり

いろんな魔法を使えたり

 

夢があんまりリアルだったので

起きてすぐは、

「やっぱり私空飛べるじゃん、

魔法使えるじゃん」と本気で思ったぶん

 

それは夢の中でしか叶えられてないことで

現実世界にはいつものとおり、できないものだらけに囲まれた世界のままだと知ってはものすごくがっかりした。

 

 

図書室で、超能力を発揮している人たちについて書かれているのを見つけたときは心が躍った。

この、何もできない世界のなかで、それを飛び越えた人たちがいる!

私もそうなりたい。と。

 

 

子どものころはインターネットなどない時代だったけど

テレビはあるから世の中の多くの人たちが

いろんな困難や苦労や悲しみ苦しみに満ちていることを感じていた。

 

 

テレビをつけると、暗いニュースとか過酷な人生を歩いている人のドラマだとか。

昭和のアニメでも大体そう。

子供向けアニメなのに主人公とか主要人物の誰かが亡くなったりするのだらけで

人生いいことなんてないなとか悲観することばかり。

 

右を見ても左を見ても、この世界は過酷に満ちているように見えていたし

そのことを悲観する人だらけだった気がする。

 

 

だからたいていの人は、何かしらの宗教を持ち

そこに心の安寧を求める。

 

もしくは、魔法が使えたり空を飛べたり

今よりもっといろんな能力を身に着けている

魔法とかSFとかファンタジーの世界に憧れる。

 

 

きっと私は、そのファンタジーな世界に身を置きたい派だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

母には嫁ぐ前から強く信心していた宗教があったのだけど

それは嫁ぎ先である家の宗教ではなかったので、母はこっそりお寺に通い、私たちにも頻繁にそのお寺に連れて行かされた。

 

でありつつ、違う宗教を信心していることは祖父母に隠していた。

 

 

でも祖母は祖母で、家の信心するお寺ではトップクラスの信者で、

ほかの信者さんたちのリーダー的として活動してたので

両方合わせると私は普通の子よりお寺に行く機会というのはとても多かったと思うし

高校を卒業したころには、一番仲が良かった友達に誘われて

また違う宗教のお寺に何度か行く機会があった。

 

そうやってそれぞれ違う宗教のお寺に行く機会があるということは、

視野が狭くならない という意味ではいい体験だったように思う。

 

 

でもそれらの宗教の話を聞いても

いまいちわからないことがあった。

 

崇拝する対象である、仏様だとかを作った人は誰なんだろう?

そしてこの地球の外の太陽とか月だとか星とかを作った人というのは

誰なんだろう?と。

 

 

仏様もこの世に一度人として生まれてきたのだろうけど

もっともっとはるか昔にこの宇宙や地球できていた。

じゃあこの地球や宇宙は誰が作ったんだろう?

 

聞いても納得のいく答えは返ってこなかった。

 

 

 

ただ、それらを通して分かったこと、私が納得したことは

人は何度もこの世界に生まれ変わってくる、ということ。

 

前世での課題をこなせなかったら、

それらはカルマとして今世に持ち越す。

そしてたくさんの経験を通して魂を成長させていく。

 

でもずっと地球で生まれ変わりを体験し続けて

そういう輪廻から卒業した人はおそらくお釈迦様だとかキリストだとかくらいしかいない。

 

私たちはまだまだそんな域には達していないので

来世もそのまた来世もその先の来世も

ずっとずっと、地球に生まれてまたいろんな人生を繰り返していくのだろう

ということ。

 

 

 

 

私はそれを知った時

この繰り返しをし続けるのは御免だ・・・・

と、強く思った。

 

この世での人生とは魂の修業の場であるから

苦労や困難や不安、それらに満ちた世界であるのは当然だという。

 

 

そんな世界に何度も何度も生まれてくるなんて

輪廻し続けて、自ら終わらせることもできないなんて

 

たとえ人生でたくさんの徳を積んだとしても

すべての業(カルマ)を生きているうちに回収できるはずがない。

 

だから、死んでからは天国に行きはしても

また修業の場であるこの世界に再び生まれてきては

いろんな苦難の人生を送る、その繰り返しをしていくだけだという。

 

 

 

つまりは死んでどんな世界に行くか。

天国に行くのか地獄に行くのか。

またどんな善業を行ったかで来世が決まる

だからこの世で霊性を磨き成長して=徳を積む人生を送りましょう

 

そういうことを思考していくと、ただただ閉塞感しかなかった。

 

 

そもそも、この世界はできないことだらけでつまんない。

夢の中やファンタジー世界では可能なことが

この世界では出来いことだらけ。

それどころか、困難なことだらけ、苦悩だらけ、我慢を強いられることだらけ。

 

 

うんと後になって、鬼束ちひろちゃんの

「月光」という曲に出会うんだけど

たぶん、そんな感じ。

 

 

そして

冒頭に書いた、自分自身への怒り。

 

それは本当に、ずっと気が付かないままの

無自覚な怒りだった。

 

 

 

 

 

私は、この仕事をするまで、

外側へのさまざまな怒りをたくさん抱え込んでいる人間だった。

 

 

なぜ世界はこんななのか

なぜこの国のトップたちはこんななのか というものから

一緒に暮らしている人に対しての怒り。

 

 

 

一見おとなしくて穏やかな性格の中身は、

実はあらゆることに対する怒りであふれていた。

 

でもそれはつまり、自分自身に対する怒りだったのだ。

 

 

 

なぜ私は私として生まれてきてしまったんだろう。

 

この世界も、この世界に生まれてきた自分も

嫌いだったし許せない状態だった。

 

置かれた環境も

私の感じていることも

私の能力も個性も

好きになれなかった。

 

なんで私はこんななんだろう

どうして周りと打ち解けれないんだろう

どうして周りと合わせられないんだろう

 

 

 

個性が強い、癖が強いうえに

私自身が周りと距離感を感じているってことは

相手も当然、私に対して親しく感じてくれるはずもなく。

幼稚園から中学まで、クラスメイトのいじめの対象となっていた。

 

それだけでなく、小学生になったころから一緒に暮らし始めた

叔母からもいじめられることになっていく。

 

 

 

 

 

それらは、私が私に対して感じていたことを

代わりに周りがやってくれていたことに過ぎなかったのだけど

 

でもそれらはすべて無自覚だったので

外に対する怒りとして私のもとに現実化されてやってきていたのだ。

 

当時は、そんなことに気が付くはずもない。

 

 

でも集団生活も、幼稚園小学中学高校・・・と長くなっていけば

なんとなく無難に、それなりに周りと合わせれる術も少しずつは身についていく。

 

そして社会人となり、結婚し

子どもができたことが、スピリチュアルな世界を知る機会となっていった。

 

 

 

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

 

長くなったので続きはまた次回に・・・・

と言いたいところですが、次はそれに関連する別のことを書くかも。