アクアパステルの谷川です。
今回は少しだけまじめな話です。
パステルや創作の世界には、
やさしい言葉がたくさんあります。
好きなことをしよう。
楽しく描こう。
ご縁を大切にしよう。
みんなで広げよう。
一緒に楽しもう。
私も、そういう世界が好きです。
そういう発信していたことがあります。
色を選び、紙に触れ、
偶然に生まれる色や光を見つける時間。
誰かと一緒に描いて、
「きれいだね」と笑い合うこと。
私にとってパステルは、
心を整える場所でもありました。
でも…
今は、こうも思います。
やさしい世界を本当に守るには、
やさしさだけでは足りないことがある。
余白。
境界線。
断れる関係性。
無理が続かない仕組み。
そういうものも
とても大切なのだと思います。
実は長い間
表には出さなかったのですが…
アートと仕組み屋の振り返りの中で
どうしても私の中で
切り離せない出来事があります。
「創作を続けられないほど、
追い込まれてしまった時期」の話です。
ちょうど、その頃、
仕事で責任や調整の負荷を大きく抱え、
深夜残業と休日出勤が続いていました。
体力も気力も削られていて、
それでも、何とか日々を回している状態。
「逃げ場のない場所に立たされていた。」
表向きには
普通だったのかもしれません。
でも、内側では、
もうほとんど力が残っていませんでした。
- 新しいことを受け取る力。
- 誰かと調整する力。
- 自分の気持ちを説明する力。
- 断る力。
- 立ち止まって、自分を守る力。
当時の自分にはほとんど
残っていなかったのだと思います。
そんな余力ゼロの時期に
創作のほうでも…
いろいろなことが重なりました。
「なんでよりにもよって、
なぜ今?!」
そう思わずにはいられない。
振り返れば…
きっと良かれと思って
声をかけてくださったのだと思います。
一緒にできたら楽しいね。
広がったら素敵だね。
そういう気持ちがあったことも、
今ならわかります。
悪意があったわけではない。
でも、
受け取る側に余白がなければ、
大きな負荷になることがあります。
その裏側で
調整や判断や我慢を
誰かが抱えていることがあります。
「今は動けない」
「これ以上は無理」
そんな感情や事情は
表には出しにくいものです。
その負荷は
外からはとても見えにくい。
当時の私は、本業側の過負荷だけで
すでに心身の余白を
ほとんど失ってしまっていました。
そんな状況の中で、
創作のほうでも判断や調整が重なり、
受け止めきれませんでした。
当時の私は
「一緒に楽しむ」以前に
まず自分を保つことで精一杯。
本当は、
楽しいかどうかより先に
- 今できる状態なのか。
- どこまでなら関われるのか。
- どこからは無理なのか。
お互いにそこを見つめる必要が
あったのだと思います。
だけど、当時の私は
もうそれを求める余力すら
残っていませんでした。
今この場をどうにか落とさずに乗り切る。
それだけで、精一杯だったから。
当時の私は
優しかったのではなく、
断る体力すら、もう尽きていました。
「今は無理です。」
と伝えることすら
最後の一滴の力を使い果たすようで
できませんでした。
だから、
「お先にどうぞ」
と、ただ、静かに
引くことしかできませんでした。
その後、
体が限界を出すように
体調を崩し、入院することになりました。
当時はパラレルキャリアって
憧れの目で見られた時期ではあるんですが…
本業の負荷が高いとすべてが立ち行かなくなる。
実は、こんな側面もあるんです。
「言ってくれてよかったのに」
「抱え込まなくても大丈夫だよ」
「もっと怒ってもいい」
というような言葉を
いただいたこともありました。
その気持ちは、ありがたかったです。
でも…
本当に余白がなくなっている時は、
怒ることも、説明することも、
話を聞くことも難しくなります。
何が苦しかったのか。
どこが負荷だったのか。
何をわかってほしかったのか。
言葉にするには
実は、かなりの力がいります。
限界を超えてしまったら
その力すら残っていないことがあります。
私自身も
こうして書ける力が戻るまで
数年の時が必要になりました。
だからこそ
壊れてから気づくのではなく
壊れる前に気づける関係性や仕組みが
必要なのだと思います。
私は…
誰かを責めたいわけではありません。
だけど、なかったことにはできません。
創作は、『心』に近いものです。
だからこそ、
扱い方を間違えると
人の深いところを
傷つけてしまうことがあります。
- 技法を渡す時も。
- 一緒に何かを進める時も。
- 誰かの作品や作風に触れる時も。
「いいことだから」だけでは、足りない。
楽しいことを進める時ほど、
その裏側で誰が何を背負っているのか。
見ないまま進めると、
善意でも人を追い詰めることがあります。
私は、自分の経験から、
「人の余白を守ること」は
「創作の境界線を守ること」にも
つながっているのだと学びました。
ただ『好きなこと』の場で
誰かが静かに
苦しくなっていくことは、
もう起きてほしくない。
そう願っています。
創作や講座の扱い方について
改めて考える出来事がありました。
作風や技法、
名義や許諾の線引きが曖昧なままだと
人も場も傷つくことがある。
今は守るためにも
境界線や記録、仕組みが必要だと
強く感じています。
すべてを
「悪気はなかったから」
「善意だったから」
で済ませていいとは思っていません。
・境界線を越えること。
・許可なく扱うこと。
・相手の意思を確認しないまま進めること。
・誰かの作風や技法や名義を
あいまいなまま広げようとすること。
やさしい世界を守ることと、
何でも受け入れることは違います。
ダメなものは、ダメ。
その線引きがあるから
安心して創作を続けられる場が
守られるのだと思います。
以前の私は
もっと無防備に「いいですよ」と
言っていたかもしれません。
外から見ると
相当、硬くなったように
見えるかもしれません。
でも、冷たくなったわけではありません。
私自身、壊れたことがあるから、
壊れる構造を放置したくないだけです。
創作を失うほど傷ついたことがあるから、
創作の場を軽く扱いたくないだけです。
私は、壊れるのも、
誰かを壊すのもしたくない。
だから今は
やさしさと同じくらい
余白や仕組みを大切にしたいと思っています。
この頃のことは、noteにも書きました。
少し重い話ですし、
当時の私の目線で書いた記録なので、
読みたい方だけどうぞ。
好きなことを、好きなまま続けるために。
安心して創作を続けていくために。
誰かの善意が、誰かの刃にならないために。
正直に言うと、
一度失った時間や折れてしまった心や
創作から離れざるを得なかった年月は
簡単には戻りません。
「悪気はなかった」
「そんなつもりではなかった」
だけで終わらせたくない。
人の余白や境界線を越えることには、
それだけの重さがある。
そのことを
きちんと言葉にしておきたいと思いました。
こんな悲しいことは
もう身近な創作の場で起きてほしくない。
だから、今の私は
「仕組み」を大切にしています。
やさしい世界を
甘いまま壊さないために。
もう一度、創作を安心して続けていくために。
🔽「守りの設計」公開中🔽
こんな経験をした私にできることとして
アート講師のための「守りの設計」を
私なりにまとめて、記事にしています。
よかったら、ご活用くださいね。




