だいぶ更新が遅くなってしまいましたが、4月9日(金)に当社の全社社員総会を目黒の雅叙園で開催しました。半年に一度のこのイベントは、表彰と余興に分かれており、活躍した人を賞賛すると共に、全社で一つのことを準備し楽しむことで、共有する「何か」を作っていきます。


 今回は久しぶりに私も登場。CEOのUS美君&若手クルーとマイケルジャクソンのスリラーを踊りました。2週間、幼稚園以来のダンスに四苦八苦練習した甲斐があり(?)なんとかそれっぽくはなったかと。
総会の様子はこちらで↓。そのうち動画も上げられるかもしれません。
http://ameblo.jp/usami/day-20100414.html




 ところで本題ですが、最近日本の財政破綻についてあちこちで考えを聞かれたり、議論したりすることが増えてきました。新党がやたら立ち上がって危機感を叫ぶ人たちがゾロゾロ出てくるのも、この問題が根深く存在することが理由の一つです。


 まずFactを押さえておきましょう。
日本(政府)の負債残高は約820兆円(国と地方の長期債務残高、今日現在)、実質GDPが約520兆円ですから、ざっと1.5倍以上の借金になっています。債務残高のGDP比では、EUでひどいとイタリアやギリシャさえも越えてしまっているという状態です。
しかも2010年度の予算ベースでは、92兆円の支出に対して、新規国債発行額が44兆円にもなっており、借金が積み上がり続けているのです。
事業仕分けなど、支出削減努力はしているものの、1兆円削減するのにあれだけ大騒ぎしている上、高齢者人口はどんどん増えて、社会保障費が増加していくことは明らか。


 一方で、どんなに赤字を出そうが、その資金がファイナンス(資金調達)されているうちは破綻しないのは、家計も企業も国も同じです。日本の場合は他国と違って、日本国内で国債が消化されているという特徴があります。実態としては機関投資家、もっと言及すれば、郵貯によって保有されている状態です。
2009年9月で郵貯約150兆円、3大メガバンク約75兆円等々。


 ご存知の通り日本人のアセットアロケーションは預貯金に異常に偏っていて、それが国債を買うことで運用されている(国債の利回りと預金利息の差額が金融機関の利益になります)実態です。最近郵貯の預け入れ限度額が1千万円から2千万円に引き上げられることが決まりましたが、これは国債を消化していくため、郵貯にお金を集めなければならないという事情によります。


 なぜ日本の借金残高が世界的に見て異常なレベルまで積み上がっても(格付けの面で言えばかつてボツワナより下と言われたこともありました)、未だ長期金利が跳ね上がる(国債価格が下がる)ことなくいられるのかと言えば、国民にこれをファイナンスするだけの資産が存在し、それを国債消化に結び付けるこのような仕組みが存在するからです。従ってこの問題をそれほど心配しなくて良いという人すら結構います。


 ところで、この仕組みでどこまで(いくらまで)いくことができるのか?そこが問題です。
結論はシンプルで、「誰にも分らない」です。国債は市場で取引されているので、そこには市場参加者の「期待」が反映されているわけです。安全度と利回りの期待値が高ければ取引が成立します。もし仮に今のペースで国債が積み上がっていけば、どこかで破綻することは明らかですが、当然日本政府は支出の削減と増収施策(増税)を実行していきます。この絶妙なバランスと、時間との戦い(増税には時間がかかる)の結末を的確に予想することは難しいでしょう。日々期待は変化していきます。極端に言えば、このブログですら、非常にわずかですが、市場の期待に影響を及ぼしています。
 
 さてどんなことが起こるのか?この難しい予想に対して、私なりの直感を述べると次のようになります。
「今年中に長期金利が徐々に上がり始め、為替も円安に振れ始め、3年以内に消費税増税を急がなければならない程危機感が国内に充満する」


 まず日本の貯蓄率が着実に下がってきている(かつて10%を超えていたのが、ゼロに近付いてきている)事実を客観的に受け止めなければなりません。シンプルに考えれば、企業が国際競争力を徐々に失い、国内に投資機会が少なくなり、日本人の所得が減って、リタイヤした高齢者人口が増えれば、貯蓄率が上がる訳もありません。つまり、経済活動による所得が増えて貯蓄が増え、機関投資家の持つ預かり残高が増えるという変化が起こりにくいということです。


 必然的にこれまでのように国債をファイナンスし続けることは難しく、アジアだけでなく、欧米の経済の回復と共に、金利は上昇し始めると考えるのが自然でしょう。このことは本源的には円の通貨価値が下落していくということを意味するので、為替で言えば円安になっていくことですし、輸入物価が上がることと連動して、国内の価格も上がり始める(インフレする)ということになるはずです。


 「国債暴落」という文字通りかなりの短期間で劇的な変化が起きることを予想する人もかなり増えていますが、この規模の資産と流通性を持つ国家の信用というのは、一般的に思われている以上に強固なものがある上、先の郵貯に代表されるファイナンスの仕組みは無理にでも動かし続けるので、それほど発生確率の高いものではないと思います。しかし、着実に破綻へ向けたプロセスが作動していくことは間違いないのではないでしょう。


 徐々に起きる変化ではありますが、我々が生きてきた中では経験していない事態は、それほど遠くない未来に待っていると想定しておく必要があります。その時はどのような社会になっているのか、イメージしてみましょう。


 企業や個人にとって直接の影響は物価に出てきます。一昨年にあった資源価格の高騰をイメージすれば分かりやすいですが、1リットル100円のガソリンが200円・300円という値段に上がっていきます。不動産価格も比較的急ピッチの上昇になります。国内で生産されているものはすぐには上がりにくいですが、間接的には影響を受けるので、すべてのモノが程度の差はあれ値上がりしているように感じられるでしょう。


 金利の上昇、特に長期金利が上がりやすく、住宅ローンを抱える人や、有利子負債の多い企業にとっては深刻な影響が出てきます。特に変動金利を選択しているは気をつけなければなりません。


 アセットアロケーション(資産の保有形態)も大きな変動要因になります。当然最も不利なのは円通貨の預貯金です。金や不動産はインフレとともに価格も上がるのでヘッジできますし、外国通貨の金融商品(債権や預金等)も有利になります。株式は銘柄による差が生まれます。(競争力のある)輸出関連銘柄は大丈夫でしょうが、輸入・内需関連の企業は相対的に下落することになるでしょう。


 同時に、既述ですが、政府は大幅な増税をせざるを得なくなります。消費税ばかりでなく、所得税も上げることになるでしょう。これによって国内の景気は一層冷え込むのは避けられません。


 いつそうなるか、そしてどの程度そうなるか、を予測することは非常に困難ですが、こうした事態を想定し、対応できる準備さえ整っていれば、どんな混乱が起きようとも、どうってことはありません。自分や自社の、環境に応じた競争力を高めていくことを真摯に追求するまでです。

先週末、ビジネスクリエーター研究学会が池袋の立教大学で開催されました。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/bcs/taikai.htm



この学会は、一昨年設立された新しい学会で、「ビジネスクリエーター」という今までにないコンセプトを掲げ、事業を構想し実現していくというダイナミックな活動に、それまで分散しがちな研究分野を括りなおそうとしています。


さらには、ともすると研究者だけで固まりがちなアカデミックな世界に、実務家を真の意味で取り込み、両者の双方向の、と言うより一体的で活発な議論を実現しようという試みでもあります。


そもそも日本においては、産業界と大学の人材交流レベル(質量)が著しく低いと思っています。米国と比べると特に際立つと思いますが、本来大学(研究者)による企業や経営に関する研究はもっともっと実態的、つまりリアルな経営にも活かし得るものであるべきで、産業界はもっとその知見を経営に活かすべきだと考えています。


両方に触れている(とは言ってもウェイトとしては完全に実務家ですが)私の感想としては、大学の持つ人材を含めた「研究力」そのものの競争力が圧倒的に弱い。理系にはそれでも世界と互角に戦い得る分野もありますが、社会科学、特に経営系の分野に関しては、その研究基盤としての力量はあまりにも貧弱と言わざるを得ません。


「時代」とひとくくりにするのはあまりにも乱暴かもしれませんが、これだけ国際競争が普通のことになっていく状況の中、国の競争力の根幹である人材の育成に、この大学のレベルで臨むのは非常につらい。もちろん企業が人材育成に大きな役割を果たすのは当然ですが、研究機関として大学が独自に果たす役割は実に大きいのです。


歴史的に貧弱な日本の大学に対して、産業界は「人材は自分達が育てるから何も期待しない」と考えているのが、日本の姿のように思います。勉強したからといって仕事ができるわけじゃないし。しかしこの構造の持つ限界点は、世界で戦うと如実に顕在化するのではないかと思います。そして時間はまだまだかかると思いますが、この現状を少しでも変えていきたいと思っています。



今回は公認会計士であるK松氏の発表の、司会・コメンテーターを務めさせて頂きました。一般的にIPOに関する研究分野には、アンダープライシング問題やアンダーパフォーマンス問題、会計上の利益調整行動問題などがありますが、今回の発表は利益調整行動に関する調査の経過報告でした。


当日もコメントしましたが、この問題はIPO時に経営者がどのようなことを考えるのだろうか、という実務的な問題意識から出発することが重要だと思います。IPO時には2つの方向の誘因が存在すると思われます。一つは短期の視点として公募価格や初値を高くしたい、つまり直前期の数字を良いものにしたいという方向性。もう一つは長期の視点として、上場後に継続的に株価を上げたい、つまり直前期までに将来発生するであろう潜在的な負の遺産を処理しておきたいという方向性です。


この2つの誘因を軸にして、IPO前後の利益調整(というより会計行動)を検証すると、面白い示唆が得られるように思います。

もはや戦後ではない


 この有名な言葉は、ご存知のように昭和31年7月に発表された経済白書の副題に付けられたものです。当時経済企画庁の調査課長で、経済白書の主執筆者の後藤誉之助による命名とされ、流行語にもなったそうだが、実際はその年の文藝春秋2月号に、中野好夫さんが論文のタイトルに使っているらしい。


 ところでこの言葉自体は非常に有名であり、今でも戦後史を振り返る際によく使われます。戦争から10年ほど経って、一つの時代の区切りを迎えた象徴的な言葉と言えるでしょう。戦争&統制経済という過酷な状況から解き放たれ、日本らしい、高度経済成長へと時代と共に歩みを進める、そんな号令としての言葉のように受け止められています。いや、少なくとも私は受け止めていました。


 ところが、その経済白書を読むと、そのニュアンスはまったく違うものなのです。以下引用します。



「戦後日本経済の回復の速さには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。
しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。(略)


消費者は常にもっと多く物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多くを投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。(略)


近代化-トランスフォーメーション-とは、自らを改造する過程である。その手術は苦痛なしにはすまされない。明治の初年我々の先人は、この手術を行って、遅れた農業日本をともかくアジアでは進んだ工業国に改造した。(略)


そして自らを改造する苦痛を避け、自らの条件に合わせて外界を改造(トランスフォーム)しようという試みは、結局軍事的膨張につながったのである。(略)


我々は日々に進みゆく世界の技術とそれが変えてゆく世界の環境に一日も早く自らを適応せしめねばならない。もしそれを怠るならば、先進工業国との間に質的な技術水準においてますます大きな差がつけられるばかりではなく、長期計画によって自国の工業化を進展している後進国との間の工業生産の量的な開きも次第に狭められるであろう。
このような世界の動向に照らしてみるならば、幸運のめぐり合わせによる数量景気の成果に酔うことなく、世界技術革新の波に乗って、日本の新しい国造りに出発することが当面喫緊の必要事ではないであろうか。」




 読めば明らかなように、実際の文脈は、「戦後」という経済的な側面から見れば特殊な需要期(簡単に成長できる幸運な環境)がもはや終わり、ここからは先進国や発展途上国と技術力を筆頭にした真の実力で勝負がつく環境がやってくるのだ、という日本の産業界を叱咤する文脈なのです。


 置かれている時代と状況はもちろん違いますが、この経済白書に書かれている筆者の意図は、今の日本の経済にもそっくり当てはまるのではないでしょうか。もっと切迫した声として。もはや、豊かで技術があって食うに困らない時代ではない。

各企業海外への展開を真剣に考えるに当たって、当然経営者自身がグローバルな視野を持っていなければなりません。当社でもアジアでのビジネスを始めていますが、我々は本当にグローバルな市場で戦うだけの見識を持っているのだろうかと、自問しています。


私自身、ネット業界はともかくとしても、他の業界については、世界的な企業であっても名前すらよく知らないというケースがよくあります。これでは世界の人々と交わり、ビジネスを進めるに当たって、世界の常識が無いことに等しいでしょう。


そこで、色々な業界を世界レベルで見たときに、どのような企業が先頭を走っているのか、時々まとめてみたいと思います。第1回目の今回は、少し馴染みのある広告代理店業界です。数字は2008年度の売上総利益、カッコ内は売上総利益に占めるデジタル広告比です。



1位:WPPグループ(英)⇒136.0億ドル(15%)

2位:オムニコム・グループ(米)⇒133.6億ドル(16%)

3位:インターパブリックグループ(米)⇒69.6億ドル(14%)

4位:ピュブリシスグループ(仏)⇒69.0億ドル(19%)

5位:電通グループ(日)⇒33.0億ドル(1.8%)


出所:『AGENCY FAMILY TREES 2009』『AGENCY REPORT 2009』



WPPはヤング&ルビカムなどを傘下に持ち、Yahooと提携関係もあるグループ。日本でも有名なマッキャンはインターパブリックグループ傘下。ピュブリシスはグーグルと近い関係にあり、電通も資本参加しています。 この業界はメディア側の経済性の変化に伴い、世界的な合従連衡が進みつつあります。概ね4大グループに色分けされ、日本では圧倒的な強さの電通がどう食い込んでいくか、という構図です。


しかし、着目すべきはカッコ内のデジタル広告比。4大グループが14%以上なのに比べ、電通は1.8%。18%ではありません。1.8%です。世界的な規模でデジタルメディアとの提携合戦が起こっている状況にあって、電通の出遅れ感は否めません。ここからアジアでどれだけ頑張れるか。

 一昨日、一部のトップアスリートの支援を強化するよりは、国民の各種スポーツへの(観戦を含めた)参加を促すことに本源的な意味があるのではないか、ということを書きました。今日はこの続き、2つ目の論点です。


 今大会で話題になった選手の一人が、フィギュアスケートの米国代表、長洲未来さんです。4位入賞を果たしたこと以上に、国籍の問題に焦点が当たりました。彼女の場合は、両親は日本人で日本語も流暢に喋りますが、アメリカで出生しているために日米両方の国籍を持っており、米国代表になっています。


 同じようなテーマでアイスダンスのリード姉弟も話題になりました。姉弟の母が日本人で、やはり米国で出生しているために国籍留保し、2国籍を保有しています。米国で育っているので、日本語はそれほど上手くはありません。しかしリード姉弟は日本代表です。ちなみに、姉弟には妹がいて、彼女はアイスダンスのグルジア代表だそうです。


 極め付きはアイスダンスのロシア代表川口悠子さんです。彼女は日本に生まれ育ちましたが、ロシア人コーチに師事するためにロシアに渡り、ロシア国籍を取得した上でロシア代表としてオリンピック出場を果たしています。


 世界的に見ると二重国籍を認めている国はかなり多いようですが、日本の場合例外はあるものの原則として二重国籍を認めません。他国籍を取得し二重国籍になった場合、22歳までにどちらかを選択する必要があります。


 従って長洲さんやリード姉弟も、いずれは国籍を選択しなければなりませんが、川口さんの場合は日本国籍を放棄してロシア国籍を取得しているのです。私などは日本国籍であることを自明に思っており、あまり深く考えたこともありませんでした。ましてやそれを捨てて他国の国籍を取得することなど想像もつきません。


 しかしよく考えてみると、特にスポーツの世界では、日本に帰化した選手がこれまでにもたくさんいました。すぐに思い出す例を挙げると、ソフトボールの宇津木麗華、卓球の小山ちれ、サッカーのラモス瑠偉や、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王、相撲の高見山、小錦、曙、野球では古くは金田正一、張本勲、最近では金本知憲など。


 出て行った国に根ざす必然性があれば、実は我々が考えるほどには国籍とは自明のものではないのかもしれません。むしろ実態として自分のアイデンティティーを形成する大事なもの(ここでは「スポーツ」に当たります)を重視すれば、国籍など所詮手続きや登録の問題でしかないとある程度は割り切れるということなのでしょう。


 バンクーバーオリンピックを見て感じたのは、世界的な視点で考えると、日本人が前提としているほど、国籍などは自明のものではなく、「動く」ということ。そして、これまではスポーツに限らず日本の市場がそれなりに大きく、国籍を移すとは、他国から来て日本国籍を取得すること(インバウンド)を何となく想定していましたが、いよいよ逆向きの流れ、つまり日本国籍を捨てて、他国籍で活躍する(アウトバンド)人が増えてくるのだろう、ということです。


 恐らくは、何か秀でたものを持っている、広く価値を認められる人ほど、動く動機を持ち、動き易い。これはスポーツに限った話ではなく、芸術家やビジネスマンなど、多くの分野で当てはまることでしょう。もっと言えば「企業」は人以上に国籍の意味が低いのではないでしょうか。


 そう考えてくると、国籍の変更まではいかずとも、すでに世界的に本格的な人材や企業の獲得合戦が始まっていると言えますし、国という単位でも、競争力のある「魅力」を作り出す戦略が必要だということになります。財政や税制の議論には、当然この視点を落とす訳にはいきません。


 言うまでも無く、個々の企業においてもいかに有能な人材を惹きつけられるかを真剣に模索する訳ですが、もはや日本のスタイル/考え方で日本に集めるという枠組みに固執するのではなく、世界にある常識の中で、世界基準で有能な人を、世界中から集めるという発想にリアルに切り替えなければならないタイミングになっているということでしょう。オリンピックを基点に考えましたが、時代は確実に変わってきています。

ここ最近更新が止まっていたので、

某社N山常務

http://ameblo.jp/golfer/


から、


期待通りのキラーパス(喝!)を頂きました!

あざーっす!!


これを機に読者になって頂いた皆さん、ようこそ。

頑張って週に1度は更新しまっす。

しばらく更新が止まっていました。
またタイトル通り、weekly更新に戻していきます!


あっという間にバンクーバー冬季オリンピックが終わってしまいました。
オリンピック好きな私としては、時差の問題で、全てLiveでというわけにはいかなかったものの、各種競技に関心を持ってテレビ中継を見ました。


特にカーリングは、あれほど技術ばかりでなく戦略性に富んだ競技だとは知らず、新たな面白さの発見になりました。是非1度くらいやってみたいですね。かなり難しそうですが。


ところで毎回オリンピックはメダル獲得競争に焦点が当たります。スポーツですから勝ち負けがはっきりし、大規模な国際大会ですから、「国」や「アイデンティティー」を意識することになるのも必然です。このことに関して、今回の大会で特に考えさせられたことが2つありました。


今大会日本は銀メダル3個、銅メダル2個という結果で、私はメダル獲得や入賞を果たした選手には特に心から拍手を送り、おめでとうと言いたいと思います。国としての結果もそれほど悪いものとは思っていません。しかし一般的には、金メダルが無かったことも相俟って、期待はずれという受け止め方が多いようです。各種メディアでも、もっとスポーツ選手に対して国家的な支援をすべきというような論調を多く見受けました。


確かに国家のコミット(支援)レベルによって結果が違ってくる面はあると思います。かつてのソ連の驚異的な強さは、その典型的な例ですし、アメリカなども選手への経済的な支援が日本の何十倍という話も聞かれました。日本でもフィギュアスケート界は、スケート連盟が野辺山合宿を開催し、全国から将来有望なスケーターを集めて、重点的な育成を行っています。今大会出場6選手全員が入賞を果たすという結果は、その成果と言えます。


しかし一方で、これは何のためにすることなのか、本当の強さとは何なのかということを考えずにはいられません。冷戦時代のように、国家政策として国威発揚を目指すという時代背景でももはやありません。4年に1度ほんのわずかな期間国民が熱狂し喜ぶためだけのことに、巨額の資金を投じてメダルを採りに行くというのも、なんとも腑に落ちない話です。


むしろ重要なことは、一握りのトップアスリートの成果よりも、その背景(裾野)に広がる多くの国民のスポーツへの参加なのだと思います。自分で競技するのも良し、観戦するのも良し、何らかスポーツに関わることで、その面白さを実感し、極端に言えばそれによって人生を実り多きものにしていく。そういう巨大な質量の「人の参加」の中から、自然に生まれ出たトップアスリートは、本当の意味での強さを体現するのではないでしょうか。


今大会で言えば、アイスホッケーなどが分かり易い例でしょう。あの強さは国家が特別の選手を支援し育てるという仕組みとは関係なく、北米の人々の圧倒的なアイスホッケー(NHL)への関心とコミットが生み出した賜物です。もちろんそれだけ関心が大きくなれば、商業ベースに乗ることになり、大金も動きます。それがアマチュアリズムに反するからと、ネガティブに捉える人も多くいますが、私はそんなことに線引きする意味はあまりないと思います。


日本でそのような例を探せば、やはり「野球」ということになるでしょう。観戦も含めて多くの人が関心を持っているので、それだけ人材も集まるし、WBCなど世界でも戦える本当の強さを生み出すことに繋がります。かつ、それだけ本気で応援するし、勝つことに価値があると言えるのだと思います。


国レベルで考えるのであれば、単に目先のメダルを取るがために強化資金を投ずるというよりは、むしろ国民レベルで色々なスポーツにチャレンジしていく環境作りに資金を投ずることの方が、よほど本源的なお金の使い方なのではないでしょうか。日本人はもっともっとスポーツを通じて楽しさ・豊かさを実感していけるはずだと思います。


もう1つ考えさせられたのは・・・
ちょっと長くなるので、続きは次回に。

「事前の一策、事後の百策に勝る」という言葉があります。


読んで字のごとし、ですが、コトが起きる前に準備や対応がきちんとできていることの価値は、コトが起こってから慌てて対応に走り回ることよりはるかに高く、効果的であるということです。


英語にも同じようなことわざがあります。ネイティブの間で最近はあまり使われないという文章を読んだことがありますが。。。
A stitch in time saves nine:ほつれかけた(然るべき)時に1針縫っておけば、ほつれてから縫い直す9針の手間が省ける


この言葉から何を連想するでしょうか。
二つの観点から考えてみたいと思います。


まずビジネスの世界でよく見られる、一見反対のことを言っているように聞こえるが、よく聞かれる言葉に、「考えている暇があったらまず実行しろ」があります。私もリスクの考え方について書いた際(http://ameblo.jp/h-nagaoka/entry-10443675419.html )に、「やってみなはれ」の価値は非常に高いということを述べました。どっちなんだ?と迷っている人もよくみかけます。


確かに実務の世界では、小さいことから大きいことまで、日々多くの意思決定をしなければならず、あれこれリスクを挙げて決めかねている間に実行が遅れ、タイミングを逃したり、結局何もできずに終わってしまうことがよくあります。そういうことに多く遭遇すると、経営者やリーダーはいらっとして、「とにかくやろう」ということを強調したくなるわけです。何事もやってみなければ分からないこと、やってみて見えてくるものがたくさんありますから、これはもちろん正しいのです。


しかし、「とにかくやろう」と言っている経営者やリーダーも、事前に考えるべきことや準備について、一切何もいらないとは思っていません。それでは単なる無謀でしかない。暗黙的にかもしれませんが、やったときにどういうことが起きるのか、そのリスクキャップはどのあたりにあるのかを必ず考えています。


分かり易く新規事業を例にとると、事前の準備として「事業計画」を作成します。そこに事業責任者は、自分の頭をフル稼働させて、起こるであろうコトを(夢もリスクも)精一杯想定し、考えを盛り込むのです。往々にして、情熱的にビジネスに取り組む責任者は、事業計画にも熱がこもりますし、優れた企業家ほど(フォーマットがきれいということではなく)、よく考えられた計画を作るものです。


ある程度でき上がっている業務においてはなおさらです。ついついこれまでのやり方が当たり前になってしまい、それを変更することに頭がまわらなくなったり、新しい提案に対して臆病になりがちです。そういう状態では、「とにかく新しいやり方に踏み出そう」と言いたくなるし、多少言い過ぎているくらいの組織の方が健全と言えると思います。ただここでもやはり優れた経営者やリーダーは、何でもかんでも壊せば良いと思っている訳ではなく、そこで得るもの失うものを想定し、準備しておかなければならないコトをきちんと捉えているものです。


こうして考えると、「事前の一策」と「とにかく実行」の間にあるものは何か、それが要諦ということになります。まず「事前に」色々なことを必死に考え抜くこと。すると意外に短時間で、かける時間の割にアウトプットされるもの(考え)が小さくなってきます。そこで実行に移すティッピングポイントを迎えているということになります。私は、「事前思考への広い視野と集中力」と「時間コストへの感度」と「リスクへの許容」を持ち合わせている人が、このティッピングポイントを的確に実感して、素早くシフトできる人、つまり「事前の一策」と「とにかく実行」を両立できる人なのではないかと考えています。


もう少し別の観点から「事前の一策、事後の百策に勝る」を考えてみましょう。それは、非常に効果的な事前の一策であっても、往々にしてそれは「目立たない」ということです。コトが起きると大勢の人が関心を寄せ、対応策に奔走することになります。そこで解決できれば、誰からも良くやったということになります。しかし、そんな大騒ぎを事前に防ぐ一手というのは、全体から見れば非常に価値のあることでありながら、地味で普通のことのように見えるのです。誰からも気付かれないことも多くあります。


企業に限らず、国や軍隊、スポーツチームなど、どんな組織においても、このような非常に価値がありながら傍からは見えにくい「仕事」をやっている人が必ずいます。優れた組織、あるいはリーダーは、こういうとても見えにくいが重要な存在に気付いているものです。組織の強さを考える上で重要なことの一つに、この隠れた(実はファイン)プレーを見逃さないということがあると思います。


これをもっと俯瞰的に見れば、日本企業が(特にものづくりにおいて)長らく成功を収めてきた原動力は、このような見えにくい「価値」を、仕組みとして評価できてきたことにあると思うのです。この点について書き出すとまた長くなるので、ここでやめます。

ベトナムにいる間に、朝青龍が引退しました。報道を通じてしか事情を知ることはできませんが、建前としては本人の意思で辞めた形になったものの、事実上引退させられたということでしょう。


私自身最近は相撲に対して強い関心を持っているわけでも無く(子供の頃は千代の富士と北の湖の相撲に熱狂していましたが)、特に朝青龍のファンという訳ではありません。しかし今回の引退騒動は、その背景にあるモノに違和感を感じざるを得ません。


相撲協会にとって朝青龍は興行上必要不可欠な存在です。単に横綱というだけでなく、その強さ、技のバリエーション、ヒールっぽい個性的なキャラクター、人気、どれをとっても非常に大きな価値のあるアスリートに違いありません。相撲ビジネスの観点から考えても、必要不可欠な存在です。


そんな朝青龍を引退に追い込むモノとは何か。アスリートにとって引退とは死を意味するほど重いものでありながら、止めを刺してしまうモノ。それは横綱審議委員会やマスコミに現れる、一人歩きした「世論」そのものではないでしょうか。


しきりに横綱としての「品格」「品格」と言われました。確かにこれまでの相撲の常識から外れた部分があったのは確かでしょう。しかしその中身を冷静に見てみれば、巡業サボってサッカーやった、土俵上でガッツポーズをした、睨み合った、最後は酔って人を殴ったというもの。


いずれも確かに、美学に照らせばいい加減にせいと言いたくなる内容です。しかしこれは本当に死に値することなのだろうか?品格って何なのか。没個性でおとなしくしていろということなのだろうか。誰にとっての基準で品がある、のだろうか。一人歩きした世論という「雰囲気」が一級のアスリートを殺したように思えてなりません。


少しレベルは違いますが、小沢一郎の企業献金問題も「臭い」としては被ります。彼が不正な金を受け取ったのかどうかはもちろん私には分かりません。検察は、仕事(使命)としてそれを捜査してもらわなければいけない。しかし予算そっちのけで国会の審議を全部これに費やし、公共の電波の多くを使って大騒ぎするような話しではないでしょう。


誤解を恐れず極端なことを言えば、少々政治家が金を溜め込もうが、今はるかに大事なのはこの国の行く末です。もらったもらわない、道義的責任、説明責任云々騒いでいるうちに、世界は動き続け、何でもアリな元気な国が(品はなくても)どんどん競争力を付けてきている訳です。政治家が政治家として機能することが何よりも重要で、国としてそこを犠牲にしてはいけない。


今日本人は目先の瑣末な品格やきれいさに目を奪われすぎではないでしょうか。もはやそんなことに拘っていられないほど、大きな変化や厳しい環境に直面しているというのに。先月書いた臼淵磐大尉の言葉の真意はこういうところにあるのではないかと思われてなりません。


「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、
 本当ノ進歩ヲ忘レテヰタ」
http://ameblo.jp/h-nagaoka/entry-10444647829.html

先週ベトナム(ホーチミン)に行ってきました。


日本人の持つイメージに違わず、非常にエネルギッシュ。

幹線道路に大量の車とバイク。信号は少なく、人は無理矢理渡る。(避けてくれることを期待して)

排気ガスには辟易ですが、料理とビールは美味しいです。



CFOの雑食志考(Weekly)

CFOの雑食志考(Weekly)



色々聞いた話しを(事実とは違うこともあるかもしれませんが)まとめます。

まず、アジアの経済状況をファクトベースで押さえておきましょう。


・アジア各国のGDPと実質成長率(億ドル:2008年、%:2007年)
  日本:    4,908   ▲0.7
  中国:    4,327    13.0
  インド:   1,247    9.0
  韓国:     929    5.1
  インドネシア:  510    6.3
  台湾:     391    -
  タイ:      273    5.0
  香港:     215    6.4
  マレーシア:    222    6.3
  シンガポール: 181    7.8
  フィリピン:    168    -
  ベトナム:   71    8.5
国際貿易投資研究所『国際比較統計データベース』



日本では2007年にベトナム株ブームがありました。ホーチミンの証券会社窓口には、日本人の団体ツアー客が列を成したそうですが、株価下落と共に現在ではほとんど来なくなったとのこと。
一般的には、日本人はベトナムを少し過大評価している面があるように思います。GDPで見るとアジア各国の中でも非常に小さい(もちろん成長余地は大きいが) ことをまず理解すべきでしょう。

当面はインフレと為替リスクが最大のリスク。現在は、あまり海外からの投資に期待は大きくないようです。



実際に行ってみると、交通や建物のインフラはまだまだ未整備なのがよく分かります。ようやく車専用の高速道路の一部区間が開通したところで、駐車場はほとんどありません。(当然路上駐車が多く、渋滞になります)
証券市場も、上場している企業は約350社のみ。OTCで3000社株が取引されているようです。

国営の大手企業が続々と上場する予定だったが、時間がかかっており、いつになるか分からず。ベンチャー企業の上場も市況の悪化で見合わせているところが多いようです。5年後くらいに、市場が大きく立ち上がっていくのかもしれません。



日本からの直接投資(会社設立)は、手続きは面倒だが難しくはなさそうですが、時々当局(役人)との(賄賂を含めた)コミュニケーションが必要なことは理解しておくべき(ネット事業は相対的に少なそうだが)。
現地で、設立/会計/経理/税務までサポートしてくれる、日本人事務所が存在するので、コストは日本と変わらないが、委託する価値は十分にあると思われます。現地日本人スタッフ個人に関わる諸手続きもOK。労務周り/人材紹介を行う日本人事務所も存在します。



雇用する立場からすると、勤労者は中国人に近く、辞めやすい(キャリアアップすることが良いというマインドセット)。優しく接すると舐めてくるし、厳しく接するとプライドが高く、すぐやめるという話をよく聞きました。
基本的には家族主義な人が多く、自分の仕事が終わればさっさと帰る。(この点は、日本が特異なのだと思う)



経済規模で言うと、南(ホーチミン)は北(ハノイ)の6倍くらい。市場経済の歴史も長く、経済の中心はやはり南。当局には北出身の人が多く就いているようです。出身地の違いは、言葉の違いだけでなく、人間関係にも深く影響を与えるよう。

会社には普通に帳簿が3つあるらしい。(政府用、銀行用、本物)



インターネットの環境としては、ADSLが普及(2~3千円/月)しており、自宅というより、会社でやっている人が多いらしい。インターネット関連企業は400~500社くらいあるのではないか。

モバイルの普及率もかなり高く、課金(ゲーム中心)のビジネスモデルは成立しているが、ポイントの仕組みはほとんど存在しない。理由としては一般的に、スパムが異常に多い国であるため、やりたくないと言われている

その一方で、広告市場は小さく(10億円くらい?)、どこのメディアもマネタイズには苦労している。



総合的に見ると、経済規模は大きくないが、成長性は高く、ネット環境は十分にあるので、今から進出することは十分にその価値があると思われる。特にインターネットは、社会資本や資本蓄積の進捗に比べるとはるかに進んでいるので、タイミングとしては早過ぎることはないでしょう。



他国でも同様ですが、ベトナム国内向けサービスはハードルが高い(言語と文化は簡単には超えられない)が、外からの需要を取り込むモデルであれば、採算を取ることは十分可能でしょう。
現地の優良企業との提携と、キーになる人材、サポート事務所をフル活用での進出が重要。
それと同時に、相対的に経済規模の大きい、インド、インドネシアやタイも早急に検討すべきですね。



最後に、ベトナム情報はこちらのサイトが充実しています。

http://www.viet-jo.com/

このサイトを運営する社長さんにも、現地で大変お世話になりました。