ホテルでタクシーを交渉をして、タンジャヴールまで5000ルピーで、ポンディシェリを出発。

途中、チダンバラム、ガンガイコンダチョーラプラム、クンバコーナムの寺院に寄って、チョーラ朝の王都だったタンジャヴールを目指す。


ポンディシェリはインド返還後も連邦直轄州として、周りのタミルナドゥとは別の行政区になっている。
酒税やガソリン税などが違い、タミルナドゥよりは安価な設定で、為に州境付近のポンディシェリ側に酒店やBARが並んでいて、州境にはタミルナドゥ側の検問所が在る。

ECR(東海岸道路)の続きで整備が進んでいて、数カ月後には料金所の運用が始まるとのこと。現在は無料。工程の進捗に区間ごとの違いが有るが、ざっと見てポンディシェリからタンジャヴールの半分ぐらいは出来ているか。

チダンバラムのナタラージャ寺院、踊るシヴァ神が本尊で、チョーラ朝の後期、12世紀の創建の東ゴープラ。

東塔門の内側、ここはバラモンの数が多い。
中央祠堂への非ヒンドゥー教徒に対するガードは固い。しかし、グーグルマップを見ていて、インドの有名寺院ならたいていグーグルマップの画像にインド人が撮った本尊や内部の様子がアップされていることに気付いた。
なので、グーグルマップ参照がお薦め。観光で訪れるなら、雰囲気を掴む意味か。
東ゴープラを内側から、インドの寺院は入口で裸足になるので、昼近くになると陽が当たった石畳みは焼け石で、裸足に慣れない観光客には苦行。麻の筵のようなものが敷かれていたり、白い塗料が塗ってあったりする。この白い塗料は効果が抜群で、色だけではなく材料にも依るのか、生の石畳が歩けない熱さでも、塗られたところは普通に足を運べる。

今は小さな村のガンガイコンダチョーラプラムのプリハディーシュワラ寺院。この場所はチョーラ朝のラジェンドラ1世(在位1016-1044)が王都をタンジャヴールからこの地に移し、先王ラージャラージャ1世(在位985-1016)がタンジャヴールに建てた同名のプリハディーシュワラ寺院にならって建てたもの。
どちらの寺院も、本堂の頂上に冠型の装飾石を持つ高い塔を頂いた形で、マハーバリプラムなどに見られるパッラヴァの寺院形式を引き継いでいて、後に南インドのドラヴィダ様式と呼ばれる高くて長方形のゴープラ(塔門)を持つ寺院様式とは異なる。

王都の名、ガンガイコンダチョーラプラムとは、「ガンジス河流域を征服したチョーラ王の都」の意味でラジェンドラ1世の偉業を称えた名称。
しかし現在はこの寺院以外、これと言った都市遺構は遺っていない。


それだけに建設当時の姿を良く遺した寺院と言える。
このラジェンドラ1世こそ、マレー半島のシュリヴィジャヤ地域を支配下に置き、インド·中国間の交易ルートを手中にした人物。1025年にカダラム(クダ、現在のスンガイプタニ)を征服し、この時期にマレー半島のランカスカ(パッタニーのヤラン?)、タンブラリンガ(現在のナコンシータマラート)、チャイヤ·タクアパを支配下にしたと見える。

南下するとカーヴェリー川を渡るダム(大きな川堰で上流側に水を留めている)がふたつ、堰の上が道路になっている。

このあたり、2頭立ての牛車が多く使われている。みんな立派な角を持った牛。左手に壁のように見えるのは建設中の新道の基盤、ブロック状の壁を立てて土を充填していく工法(新道は数メートル高い位置を走る)。

クンバコーナム郊外のダーラスラム、アイラヴァテシュワラ寺院。ラジェンドラ1世の絶頂期から約100年後のラージャラージャ2世が建立。派手さは無いが、創建時の姿を留めた姿で、装飾の精緻さではチョーラ朝の傑作と評価されている。

本堂の前室、正面側

側面に張り出した前室を車に見立てている。

これが本堂、小振りだが纏まった印象。