日本の教育を誇る | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


9月2日、2学期始業式。体育館に全校児童で集まり、式を行いました。うちの学校は700人近くの児童がいる中〜大規模校。この始業式で感激したことを基に記事を考えてみました。


一言でいって、始業式に感動したのです。何にというと、まず、始業時間前に全クラス全児童が集まっていたことです。

8時40分から始まるということで、僕のクラスは35分くらいに出ました。これでも早いかな、と思って体育館に行くと、なんと21学級中19番目。いつも早めの行動を心掛けている僕からしたら衝撃の順番でした。

式が始まる前まで、子どもたちは久しぶりに会った友だち同士おしゃべりをしていました。すると司会の先生が「式を始めます」と声を掛けた途端、ぴたりと話し声がなくなりました。「すげぇ」と思いました。うちのクラスだけではありません。全校児童がです。


その前に、体育館が狭いので各クラス一列で入場するのですが、僕は整列の号令をかけませんでした。なぜなら、隣を見ながら列になることを意識して行動していたからです。「なかなかやるな」と思いました。


式の最中もおしゃべりする子はいません。フラフラしている子もほとんどいません。落ち着いた厳かな雰囲気ともいえる空気感で始業式を行いました。


教室に戻ってきてもそれは変わりません。僕の経験上、夏休み明けの初日というのは休みボケの子どもが多く、ダラダラして過ごすものという印象をもっていました。けれど彼らは、夏休み前と何ら変わることのない姿勢で初日を過ごしていたのです。


「例年、初日は気持ちが乗らないから遊んで過ごそう」と考えていました。が、その必要はないと思い直し、国語と道徳の授業をがっつりとしました。



僕はこれまで、「日本の教育は終わっている」という立場で多くの記事を書いてきました。特にコロナ禍は、パラダイムシフトが起こると思ってワクワクしながらその手の記事を書いていました。

けれど今は、「日本の教育ってすごいかも」と思うことが多くなりました。振れ幅があるので、また数ヶ月後には反対の立場で記事を書くかもしれませんが、今のところ日本の教育も捨てたものではないと考えています。


だから今日は、日本の教育の素晴らしいと思うところを記録したいと思います。


僕が考える日本の教育の一番良いところは、「秩序を作れる」点です。


始業式の開始時刻前に全校児童が集まれたこと。日本のすごいところは、「時間に正確」というところです。他の国で日本ほど時間に正確な国を聞いたことがありません。


時間を守ったり、早めに行動したりする意識は、秩序を保つことにつながります。何よりもよいと思ったのが、教員全員が始業に間に合うように行動させた点です。

一般的には、このようなときに必ずどこかのクラスが遅れてくることがあります。そのクラスの教員は癖強の人が多く、秩序よりも混沌を感じることが多いです。時間を守らないで学級経営がしっかりしている人を、僕はこれまでほとんど見たことがありません。


秩序を保とうとすると、自然とクラスや学校が落ち着いてきます。教室のなかにごみが落ちていることや子ども同士のトラブルも少なくなります。友だちへの言葉掛けにも誹謗中傷のようなものがなくなり、穏やかな空気感が作られます。

この秩序立った空気感は、さまざまなところに派生していき、上昇気流を生み出します。僕は秩序が大好きです。だからとても心地良いのです。


日本の教育の良いところの二つ目は、「みんなでやろう」とするところです。


この点に関しては、数年前まで真逆の考えをもっていたところです。しかし今は、「みんなでやる」ということが日本人らしさの1つであると思っています。


最近よく耳にするのが、ヨーロッパ等の外国から来た人が日本の良さを口にすることです。「日本は落ち着いていていいね。」「うちの国では、みんながバラバラだけど、日本人には規律があっていいね。」といった感じです。

同調圧力という言葉が使われるときには、マイナスのニュアンスを多分に含んだものに感じられます。ただ同調圧力があるから、日本の規律は守られてきた部分も多いと僕は考えます。


神武天皇が掲げた「八紘一宇(はちこういちう)」という理念は、「大きな大きな傘の下で、みんなが仲間として生きること」といった意味をもっています。つまり日本人は太古から、「みんなで何かを為すこと」を行ってきたのです。


そのお陰で、自己主張ができない国民性だと言われます。その点は確かにあるかもしれませんが、みんなで何かを為すという点においては日本の右に出る国はないのではないでしょうか。


コロナ禍でみんなが自宅待機をできたのは、同調圧力が利いていたのと、和を乱してはならないといった意識が働いたからだと、僕は考えます。他国は、法律等で縛ったり、軍を出動させたりしていました。あるいは政府の言うことを聞かずに出歩く人も多く見られました。


「みんなで何かを為す」という意識は、日本人のDNAに埋め込まれているのではないかというほど、自然と存在するものです。これはおそらく、日本の教育過程で培われたものだと、僕は思うのです。


日本の教育の良いところの三つ目は、「勤勉さを育む」ことです。

これは僕の一次情報ではありませんが、人を雇ったときに、外国人よりも日本人の方が真面目に働く人が多いそうです。だから雇うならば日本人が良いと聞いたことがあります。


日本の学校では、給食当番や掃除当番などの奉仕活動を当然のように組み込んでいます。合理的に考える国では、清掃は業者に頼んだり、昼食はお弁当にしてランチを楽しんだりしているようです。

でも日本では、あえて奉仕活動を入れています。それが何十年も前から続いているので、給食や掃除当番があるのは当たり前だと、誰しもが思っています。


この活動では、目に見えた成果は現れません。何かができるようになったり、能力を数値で測ったりできるものではありません。しかし確実に無意識の世界にインプットされます。「社会のために貢献することは当然の義務なのだ」ということを。


日本には特定の宗教教育がありません。しかし倫理性がかなり高いと言われます。それはそれに代わる教育活動が、そこかしこに存在しているからです。


日本では、至るところで社会性を育む教育が為されています。レストランでは騒ぎすぎないこと、美術館では走らないこと、公衆トイレを綺麗に使うこと、電車のなかでは食事をしないこと、食べるときにくちゃくちゃさせないこと。こういったことを守らせるように、親が子どもを躾けます。

このようなことを細かく行っていくうちに、勤勉な国民性が作られていったのではないかと、僕は考えます。




以上3点挙げましたが、実は本当に伝えたいことはこの後に書かせていただきます。


僕はこの日本の教育を、日本の資本(リソース)として誇るべきではないかと考えました。

日本人は奥ゆかしいところがあって(そこがまたよいのですが)、自分たちが行っていることを正当に評価できていません。日本という国が、海外から尊敬の念で見られていることに、多くの人が気づいていません。


これだけ治安が良くて、謙虚で、勤勉で、道徳性の高い国民性をもった国は、世界でも有数なのです。この特殊性に気づいていない人が多すぎます。


むしろ外国と比べて、自分たちが劣っている点や課題にばかり目を向けてしまい、自国肯定感を損ねてしまっています。


日本には、外国と比べても劣っていないどころか、多くの誇るべき点があるのです。僕はもっとそこに目を向けさせたいと思います。


戦後、多くの人が自虐史観を植え付けられた日本人。けれど世界で唯一、2700年近くも一つの国として存続した国なのです。自分たちを蔑むのはもうやめましょう!


ここ10年ほどでだいぶ変わってきたように思います。子どもたちに「日本を好きですか?」と聞くと、大半の子が好きだと答えてくれます。また「自分のことを好きですか?」と聞くと、大半の子が好きだと答えてくれます。


これならかつての日本を取り戻せます。真面目で、勤勉で、集団の和を大切にする国民性です。この姿勢は、世界中のお手本となるのです。


外国に劣等感を抱き、自国と他国を比べて劣っていると考えるのは、この国の素晴らしさを盲目的にさせてしまいます。むしろ外国に負けないところ、その独自性をもっと磨いていくことこそが、世界と対等に付き合うために必要です。


それは日本が世界一優れているとか、日本民族が最も賢いなどという優性思想とはまったく異なります。正しくは、自分たちの得意分野や特性を活かして世界に貢献する意欲の表出だということです。言うなれば、スポーツのプロ選手が自分の得意とするスポーツでみんなを喜ばせるようなものです。


外国に追いつけ追い越せという思想からではなく、自分たちの得意分野を見つけて磨いていく。それが日本がこれからも繁栄していくための、唯一の方法だと僕は考えるのです。


日本の教育の良きところをもっと評価し、そこに注力していくことが必要なのだと思います。もっと自分たちを正しく誇りましょう。


最後までお読みくださりありがとうございました。