ゲームが悪いわけではない | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊現役小学校教員のカミーです。


例年とは異なる個人面談の時期。僕は個人面談が好きです。気力を使い切るので、疲れは相当なものですが、それでも価値あるものだと思っています。


ちなみに、同じ保護者と接するものに、保護者会というものがありますが、これに関しては、仕事の中で最も嫌な部類のものです(笑)


実は、個人面談と保護者会、似て非なるものです。保護者会は、どちらかと言うと、学級集団においてこちらが伝えたいことを一方的に伝える要素が強いです。個人面談は、一人ひとりの思いや家庭での様子を聞くことができます。保護者会では、子どもたちの様子は分かりにくいですが、個人面談は、個別に対応することができます。保護者会は、保護者が一塊になって、担任の指導に対して要求を伝えることもありますが、個人面談では、保護者とあまり対立するようなことはありません。


このようなことがあって、僕は個人面談の方がより好きなわけです。



さて、今日お伝えしたかったことは、保護者会と個人面談の違いではありません(笑)個人面談を行っていて、あることに改めて気付いたのでシェアしていきます。


面談では、まず、学校で心配なことはないかと聞いていきました。大抵の場合、「あまりありませんね〜。」となるので、ほっと胸を撫で下ろしていくのですが、次の質問は様々に応えが分かれます。

「お家での様子を聞かせてください。」


この質問に対しては、大まかに言うと、2種類に応えが分かれます。


「お手伝いもよくしてくれるし、勉強も進んでやります。」

というパターンと、

「何度言っても言うことを聞かないんです。困ってます。言わないとやらないし、お手伝いもあまりしません。」

というパターンです。


ほとんどの場合、親として望む子どもの姿は、前者ではないでしょうか。僕も、自分の子供が小学校に入ったら、前者を望みます。


ただ、これは良い悪いで判断はできない部分があります。その子のペースであったり性格によったりするので、一概に前者だから安心というわけではありません。


しかし一方、後者の場合、ある望ましくない共通の特徴があることに気が付きました。その後者の共通点とは、「スマホやゲームにはまりすぎている」というところです。



休校期間中の様子を聞くと、「ゲームばかりして勉強をしようとしないのです。」とか、「ゲームをやめても、他にやることがないみたいで、何もしていませんでした。」というような応えが返ってきました。

しかもそのような子たちが、同じようにできない学習があります。それは、漢字などの暗記系の学習です。


僕は暗記系の学習が得意な方だったのでよく分かるのですが、この学習には、ある種の「忍耐力」が必要です。僕は、言葉や出来事を覚えるために、ひたすら書いて覚えました。裏紙をたくさん用意して、そこにボールペンなどでひたすら書いていきました。英単語は、最低10回は書きました。これには時間もかかるし、手も疲れます。ただ、これをすると、かなりの期間覚えていられます。


ゲームやスマホ漬けの子どもたちは、これができない。押しなべて、漢字の小テストは、50点以下です。テスト範囲を示しているにも関わらずこの点数を取ってくるということは、勉強していない証明をしています。



このような場合、すぐにゲームやスマホがその原因だと思われる方も多いようです。しかし、それは全く違います。ゲームやスマホが悪いわけではありません。



というのも、ゲームやスマホを持っている子の中でも、学力トップクラスの子が少なからずいるからです。暗記系でも大丈夫。こつこつと努力することができます。


では、なぜそれが可能なのでしょうか?


エビデンスをとったわけではないので、感覚的な部分も多いですが、このような子どもたちは、思考が「自律的」です。自分で何かを決めて行動することができます。

ゲームやスマホで言うと、自分で「時間管理や欲求に対する制限をかけること」ができます。好きなことが他にもあって、そちらに時間をかけることもできるし、他者が困っていたら、手伝おうとします。


反対に、ゲームやスマホにはまってしまう子は、「依存型」です。何かを誰かから与えられないと動けません。学校で言えば、指示されたことはある程度するけれど、自分で課題を見つけて努力や工夫をすることがほぼできません。自己中心的な思考傾向で、他者の手伝いをするということも苦手です。


だから、ゲームやスマホがないと、「何をやってよいのか分からない」のです。


ゲームは、大人が全力で、「みんながおもしろいと思うだろうと思って」作った物です。YouTubeも、「みんながおもしろいと思うだろうと思って」作られた物が多いです。それが対価となって生計を立てるわけですから、当然です。つまり、魅力的な物であることは当然なのです。


僕が問題だと思っていることは、子どもたちの中に、ゲームクリエーターやユーチューバーが、「楽なもの」だと感じている子がいることです。


というのも、授業で「楽な仕事は一つもないよ。」と言うと、その反論として、ユーチューバーと応える子がいるのです。そしてそれを口に出す子は、大抵の場合、スマホやゲームにはまっている子です。


そのような依存型の思考をしている子は、「創り出すことがいかに難しいか」ということに、全く気が付けていないのです。


与えられることばかりを続けていると、それが当たり前になります。与えられることが当たり前になると、そこには感謝もなく、その大変さに想いを馳せることもできなくなります。そして自分で考えて行動することができなくなり、将来的に、周りからは「使えない人間」だと思われ、機能価値が得られません。



親は経験上、それがまずいことだと分かっています。自分の子供をポンコツにしてはならないと感じています。だから、スマホやゲームを取り上げる、という方法をとることがあります。それは一つの方法としてよいと思うのですが、決定的に見誤っていることがあります。それは、

「ゲームやスマホ自体が悪いわけではない」

ということです。スマホやゲームを悪として排除したとしても、依存型の思考をしている子どもたちを変えることは不可能です。スマホやゲームではない他の物を代用するだけです。すなわち、子どもたちの思考自体、もしくは、親の思考自体を変えなければ、問題は解決されないということです。ここを完全に見誤っています。




ある年受け持った学年二クラスのうち、隣のクラスの学力テスト平均点が、うちのクラスより10点以上低かったことがありました。当時「スマホを使ってLINEをしている子」がどれくらいいるのかを調べたことがありました。すると、うちのクラスでは三分の一くらいの子しかいなかったのに、隣のクラスでは、三分の二近くの子がLINEで繋がっていたのでした。


しかも、いわゆる学力的に低い子どもたちが多く繋がっている傾向にありました。僕はここに因果関係を感じたのです。



スマホやゲームの所持率は、親の家庭教育力をみることでもあります。


個人面談をしていて分かったことは、学力の高い子の家には、ゲームもスマホもないことが多かったのです。もちろん、所持率だけで相関関係があるとは言えませんが、僕は「やっぱりね。」と思いました。なぜなら、先程も述べましたが、ゲームやスマホは魅力的な道具だからです。


魅力的な道具であればあるほど、人はそれに依存してしまいます。かく言う僕は、もはやスマホが手放せません。1時間に数度は手に取って見てしまいます。下手したら、誰かとの会話中にも気になって見てしまうこともあります。それほど、依存させてしまう力をもったものなのです。



子どもたちにとっては尚更のことではないでしょうか。「思考する必要がなく、楽しめる道具」が近くにあったら、それにどっぷりと浸かってしまいたくなる気持ちがよく分かります。人間は、楽をする方に自然に流れていくものだからです。


しかし、その楽ばかりに身が浸かってしまうと、元には戻れなくなります。だから最初から、「与えてはならない」のです。与えたとしても、最初にルールを厳格に作っておくべきなのです。ここの価値観に、家庭教育力が現れてくるわけです。


学力の高いお子さんの家庭では、「持っていない」か「持っていても時間が決められている」という共通点が見られます。そして、ゲームやスマホ以外にはまっているものが多くあります。そしてそのはまっているものとは、ほとんどクリエイティブなものである場合が多いです。クリエイティブなものには、「努力や工夫」など、思考する機会が多く用いられます。人間力を鍛えられるのです。



スマホやゲームにはまっているお子さんの中には、「将来はゲーマーになる。」とか、「ユーチューバーを目指します。」とか言う子もいます。僕は、「君には無理ではないかな。」と心の中で思います。僕にとって、魅力的なゲームやYouTubeを創り出すことは、最もクリエイティブな力が必要だと思っているからです。依存型の人間には、絶対に創り出せないものです。


ただ、本気でゲーマーやユーチューバーを目指す人の中には、クリエイティブな人が必ずいると思います。その人はきっと、依存するレベルを超えて、「研究」をしているはずです。いわゆるマニアとか、オタクとか言われる世界でしょうか。僕はそのような子がいた場合、大いに応援します。それは十分に、「自律的」だと思うからです。


ゲームにはまっているという場合も、その点は見極めなければなりません。しかし、ほとんどの場合、依存していることの方が多い気がします。その見極め方としては、「こつこつが可能かどうか」です。何を行うにしても、忍耐力や努力、工夫する力が必要です。それを実践しているかどうかは、こつこつできているかどうかを見れば分かります。


悪いのは、道具ではありません。大切なことは、そこに向かう自分の姿勢です。問題が起こった時、道具のせいにするのではなく、自分をまず振り返ってみることが大切なことではないかと思います。


最後までお読みくださり、ありがとうございました😊