学生の皆様にあられましては、
夏休みの宿題もそろそろラストスパートに入られた頃でしょうか。
夏休みの宿題といえば忘れられない思い出があります。
中学生の時に出された夏休みの宿題のひとつは
フランスの作家ジョルジュ・サンドが書いた小説
『愛の妖精』の感想文を原稿用紙6枚厳守で書くことでした。
小説と原稿用紙の数のどちらに嫌気がさしたか忘れましたが、
ぐずぐず書くのを引き伸ばした結果、
8月31日にようよう書き始めるという神も見放す悲惨な状況に
陥ったのはまさに自業自得といえましょう。
そのとおり!
さて嫌々読んだ『愛の妖精』はやはりちっとも面白くありませんでした。
2度と読み返したくもないので、記憶だけで申しますが、
どうも道徳心に欠けるようなふるまいをする女性が
周囲の男性からは妖精のように敬い扱われるという話で、
今ならそういう女性はいわゆる『魔性の女』だとわかりますが、
当時子どもだった私にはさっぱりヒロインの魅力がわかりませんでした。
それで本を読んで自分の思ったことを、とにかく原稿用紙の升目を埋めようと
必死になって書きつづりました。
ええと、こういう女の人をなんて書けばいいのかな。
私の祖父母は他人へのふるまいがヘンな人のことを
「イカレポンチ」もしくは「イカレ女」と呼んでいましたので、
ああそれだそれ、と思って「どうしてこういうイカレ女が
男性を不幸にしているのに『プチット・ファデット』
(ヒロインの呼び名。きっと一生忘れないでしょう)と
もてはやされるのかわかりません」という内容のことを綿々とつづり、
原稿用紙6枚目の1行目で終えて、無事枚数もクリアーしました。
マジ?
さて、新学期が始まり、国語の時間に夏休みの宿題の作文が
教師の評価つきで返ってきました。
原稿用紙を広げてみると、6枚目に残された広い空間いっぱいに
「あなたの言葉で書いたものではありませんね。
なにか悪い人の影響を受けたのではないかと心配です」と大きく書かれておりました。
私はその大きい文字を見ながら
「なぜここまで言われなければならないの?」と悲しみにくれました。
当たり前だ、このパボ。
学校に提出する作文に
そんなくだけた言葉を書いてどうするのだ、
私でも怒るわっ
と、つくづく今なら思います。
プチット・ファデットは『自由な魂を持つ女性(なにが自由だか)』だとか、
『愛を求めてさすらう女性(勝手にさすらえ)』だとか、
いろいろな美しい言い回しを心の中で突っ込みながら書くべきだと、
まったく今なら思います。
さて、今では前置きでさえこんなに長く書ける大人になり、
チャン・グンソクという若き俳優のくるくると変わる表情の豊かさ、
身体全体を使った感情表現などのあらゆる演技的テクニックを駆使した
『美男<イケメン>ですね』のテギョンの演技を
うっとり見ているパボな女性になりました。
ブタに追われて山をくだっていくテギョンのチョコマカした動作を、
どんなに遠景になっても一所懸命続けているグンソク君の演技には
笑いの涙を流さずにはいられません。
私が毎日ブログを更新すべく、早朝のひとときをヘラヘラと
グンソク君の画像を並べているのを、
あの国語教師が知ったらどう思うでしょう。
別にどう思われたっていいですが。
今、私は中高生の女の子がブログに「イケメンですねのA.N.JELLのグンソクと
ホンギがお気に入りで~す」とか書いてあるのを見つけたりすると、
その「グンソク」という同級生の男子を呼び捨てで呼ぶような、
いかにも中高生らしい飾り気のない呼び方に、
『美男<イケメン>ですね』の宣伝文句ではありませんが
思わず胸キュン!になってしまいます。
また、「テギョンがミナムににっこり笑ったときの笑顔を見て、
ああテギョンってこんなにステキな笑い方をするんだと
思って夢中になりました」と書かれているのを
他のブログで見た時も、同じテギョンの微笑みを
自分は「グンちゃん、口のまわりのおヒゲが濃くなってるよ…、
メイクさん、なんとかしてくれればいいのにぃ」としか
思わなかったことをただただ恥じ入るばかりです。
グンソク君のソウル・ファンミーティングに行けなくてグレたり、
チャン・グンソク・ジャパンツアーのチケット取りに右往左往したりしているうちに、
私がグンちゃんを好きになった時のあの心のときめきをどこかに置いていってしまったようです。
ということで、学校の宿題の作文には決して「イカレ女」などという品がない、
くだけた言葉はまったくふさわしくなく、避けるべきであることはいうまでもありません。
人にわかりやすく通じる言い回しをもって、グンちゃんが強いまなざしをもって
テギョンという役に華麗な演技技巧を振るうように美しく書くべきだというのが、
今回の教育的な記事の論旨です。
本日は長々のご拝聴ありがとうございました。