人って


人に あまえられる環境がある と


安心というか


しあわせなのかも


と ふと昨日か一昨日に


思いました



何でもかんでも言うことをきいて


何かをする、してもらう ではなくて


なんか


しんどいよー


つらいよー


かなしいよーーー


どうしよーーー


うれしいよーー


あーーーこんなことがあったよーー 


を誰かに言って


その気持ちを


ただ聞いてもらえることが


今私が 思う 「あまえる」という


意味合いです


なんか わけわかめ かも


しれませんが


この わたしの気持ちを


絶対に聞いて(内心きいてないかもですが)


くれる人の存在って大事ですね



それを


ぎゅう父は


ぎゅうたろうにしてあげられてるんだろうな


と思います


私は


ぎゅうたろうが幼少期の頃


ぎゅうたろうが何やかんや


言ってきたら


それに対して


何か対応をしなければいけない


と思っていたので


なかなか うんうん と


気持ちを聞いてあげられませんでした



今気づきました



あまえられる環境が


どなたにも


あればいいね


と思いますが、、


私は人の話をだまって頷けない人です



傾聴力をつけたい


というか


人が話しているときには


相槌だけ、するようにしましょうーー


どうしても


相槌をしながら


自分の話に持っていってしまうのですね無気力


いつもありがとうございます


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