兄が亡くなった悲しみを忘れられるようにまた、私にできるならばと思い中華そば行徳家を再開させましたが、気持ちでは埋められないものを感じました。店主の経験、実力、真剣さ、全てにおいて私には埋められない。

いろんな思いはありますが、それはそれで実力。

 

中華そば行徳家は閉店いたしますが、真剣に料理に向き合う料理人の姿は私自身にとても勉強になりました。

 

また今まで行徳家に食べに来てくださったお客様、メディアで紹介してくれた方々、ブログなどで紹介してくれた方々、行徳家再開に手を貸してくれた方々本当にありがとうございました。

 

中華そば 行徳家 劇情 これにて幕引きです。

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時間をください(._.)

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気持ちばかりで中華そば 行徳家の再開をして参りましたが

山積された問題ばかりで、、、進退含め悩んでおります。

 

人材不足(人材の補強、営業時間の変更など)

売上低迷の対策(商品開発、商品価格の見直しなど)

 

 

これらの問題の解決をせずに店の再開はできず

 

誠に勝手ながら当面、中華そば 行徳家をお休みさていただきます。

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昨日、名店と呼ばれるラーメン屋さんを

ラーメン海鳴 大久保 茂雄氏と何軒か、廻ってきました!

 

ラーメン屋さんの大将って凄い。

私の中ではいろんな方の大将の心の持ち方やラーメンへのこだわりなどを聞いて

 

中華そば 行徳家 に足りないものがたくさん!

行徳家を進化させたいと強く思いましたので、、、、

 

 

 

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最後の別れ③

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私は7年前に父を亡くしていたので、家族を見送るのは2回目である。

毎度だが、冷静に対応しているが頭は放心状態。

 

母の静かに送りたいとの希望で家族葬で

最後に兄を送ったのだが兄とお別れするだけで

止めどもない涙が溢れてくる。←すぐに隠れる

これでは悲しいだけの別れになってしまう。

 

タバコを吸いに外に出て吸っていると

フッと表札に行徳家と書いてあったので

葬儀会社にお願いして書き換えて頂きました。

 

中華そば 行徳家!!

 

せめて最後まで兄らしく、普通ではない、凡人ではなく、非凡で、、、

またいつも人を驚かせたり、笑わせるのが好きだった兄が喜ぶであろう、、、

家族葬で送るため親戚にもほとんど連絡もいれず

ほとんど連絡を入れてない状態だったが兄の大濠高校時代の友人たちが、、、

数名のラーメン屋の大将が、、、

その時には私の中では中華そば行徳家を再開させる事を決めていました。

理由は沢山あります。

 

中華そば 行徳家 兄になぜこの屋号にしたのか?

尋ねると、逃げも隠れもしない行徳 貴が作ったラーメン!

そしてモジッて行徳家!ギョウトクヤ!

 

ってギョウトクケって書いてる!!それが理由①

 

人は2度死ぬ!一度は生命の終わり!

二度目は人から忘れられたら、、、という言葉を聞いたことがある。

じゃあ行徳家で食べてくれたお客さんに店がまだあることで

少しだけでも思い出してもらったら、、、、理由②

 

兄には息子がいる、その甥っ子に本人の意思があれば継がせたい、、、理由③

 

そんな気持ちばかりで行徳家再開を目指したが今思うと完全に見通しが甘かった。

 

 

さて最後の告別が始まると悲しみはピークである。

私は男で泣いてはいけない!

みんなの前では冷静に取り乱さないように

 

でももう涙がこぼれてしまう。

トイレに逃げよう!

男の従兄弟たちみんなが同じ考えで、、、、

 

トイレが渋滞()

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、行徳家 保存会 結成④という題で書きたいと思います。

告知!

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行徳家 チャーハン 5月20日 21日 ランチタイムのみ 限定で再開します。

(ランチタイムは11:30~15:00までとさせていただきます。)

 

デジャップの問題で限定的で申し訳ありません

 

完全再開まではもうしばらくお待ちください!

兄と私②

 

幼い時は兄と私はとても仲が悪かった。

年齢が2つしか離れてないためか?

本当に仲が悪かった、、、

 

あれは確か小学校低学年の頃に近所に石垣があり、近所の子供たちみんなで登ろうという話になり、みんなでその石垣を登っていると先に石垣を登った兄はまだ石垣を登っている私に石や砂を落としてくる、、、←笑顔で

結果、石垣から私は落ちた。大したケガはしなかったが、、、、

 

また同じ年頃の夏のある日に福岡県民プールに行ったことがある。

その時は、子供用のプールと大人用のプールがあり、大人用のプールは確か?プールの底に足のつく中学生しか入れなかったと思いますが、兄と私とでそのプールにはいて最初は仲よく遊んでいたように思いますが、兄がふざけだし、プールに足のつかない私をくすぐりだしたのです、、、、

最初のうちはふざけて楽しかったのですが、笑えば息が吸えません。だんだん苦しくなっても兄はやめません。はたから私は笑ってますが、← 溺れてます!!本当に水死するかと思いました。

 

兄の友人からもお前たち兄弟は仲が悪すぎと言われていましたが、でも思い起こすと仲がいい時も多かったように思います。特に大人になってからは毎週のように一緒に飲みにも行っていました。

 

ある日兄と飲みに行こうという話になり

兄「何が食べたい?」

私「なんでもいいよ」

兄「焼き鳥行こうか?焼き鳥なら0000が美味しいから行こう」

焼き鳥屋に入ってビールを飲み、焼き鳥を少し食べた!

1時間もせずにも

 

兄「そろそろ行こうか?」

私「どこに?」

兄「一通り焼き鳥食べたなら魚の美味しい店があるからそこに行こう!」

なんで、、、なんか落ち着いて飲みたい(笑)

 

いろんな人と飲みに行ったけど居酒屋の梯子はあんまりない!

肉も魚もおいてる店はあるけど、兄の中では肉が美味しいならその店では肉しか食べない。

美味しいものだけ食べたいから移動する手間は惜しまない。

兄弟ながら変わってるなと思う反面、兄らしい(料理人としてこだわりも)と思っていた。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は最後のお別れ③という題で書きたいと思います♪

私自身の心の整理だと思いますが、よかったら読んでみてください

 

最後の兄①

 

昨年 930日 AM1147 私の兄が亡くなった。

前日の29日の午後に兄の自宅で体調が悪そうではあったが会ったばかりで

30AM500頃に体調が急変し救急車で病院に運ばれそのまま集中治療室へ

私も夜中ではあったが病院に駆けつけると兄の意識はあり、いくつかの言葉を交わした。

 

以前から病院嫌いで入院しても勝手に帰ってくるなどがほとんどだったため

私は兄に「もう観念して入院せなね」と言ったら兄は「もうだめかもしれん」と言ったので「そんな弱気じゃいかんやろ!ラーメンもレシピしかもらってないし、、、ちゃんと教えてくれんと作れんよ!」

兄「分かった」

 

というのも兄が体調不良でここ1年半ほど店を開けたり閉めたりで私も兄を心配して私も別に仕事をしているのだが、兄のラーメン屋の手伝いをしょうと思っていたので、「ラーメンの作り方を教えてくれ」と言っていたのだが

兄もまだ大丈夫やろ(すぐに亡くなるとは思っていなかった)またでいいと思っていたら

 

9月28日

兄「レシピを渡すから来てくれ」

今まではラーメンの作り方も教えるし

レシピ帳も渡すといっていたがなかなか渡さないのにそんなに急に?

しかし私も突然の電話で私も行くことができず、、、

 

 

9月29日午後

兄に会うといつも以上に体調が悪そうだった。

それでも無理をして2階まで行きレシピ帳を持ってきて私に手渡してきた。

私にそれを渡しながら

兄「今まで誰にもレシピを教えたことはない」「それがレシピだから、、、、」

レシピ帳、、、料理人でもない私にはわからない事ばかり

 

兄「教えるから書いて、、、、」

カエシと呼ばれるラーメンのタレの原材料についてや

塩のカエシ、醤油カエシ、チャーシューの作り方など

 

いろいろと教えてもらったがとてもちょっと聞いて分かるものではない。

20年ちかく料理人をしてきた兄の技術を1,2時間聞いて分かるわけもなく

私「ちょっと待って、そんなに聞いても全然わからない、ちょっとずつ教えて、、、、」

兄「そうやね!茂雄にラーメン教えてもらったほうがいいかもね」

 

茂雄とはラーメン海鳴の大将 大久保 茂雄氏であり

私たち兄弟の従兄弟になる。

兄「茂雄にレシピを見せたらわかるはずだから、、、、」

今まで人に見せたこともないレシピを見せていいのか尋ねると

兄「茂雄の店はラーメンウォーカーで1番になったりする店だから盗むものもないだろうけど、、、なんか足しになればいいけど、、、いずれにせよ、従兄弟だから茂雄に教えてもらいい!」

これが29日午後の会話だった。

 

話は戻るがそれからわずか12時間後には体調が急変し

救急車で病院に運ばれ集中治療室へ行くところである。

 

移動式のベットに横になった兄は明らかに体調が悪かった。

そこにいるみんなが最後になるかもしれないと静まりかえった雰囲気に

兄「ナシが食べたい」

重い雰囲気の中に一気に雰囲気は明るくなった。

私「早く元気になって食べなやね」

それが最後の兄との会話だった。

レシピ帳を私に渡してから24時間後には兄は他界したのである。

兄は自分の最後の時間がわかっていたのかもしれない。

だから私にレシピ帳を取りに来るように催促してきたのかもしれない。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回は、兄と私②という題で書きたいと思います。

本来、ラーメンの内容やイベントの告知をするべきですがすみません。

ちょいと暫くから、、、、

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行徳家大将のつぶやきを見て頂きありがとうございます。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、昨年9月30日 行徳家大将 行徳貴が亡くなりました。

行徳家のラーメンを食べに来てくださっていたお客様、またブログなどで紹介してくれたお客様、テレビ局や雑誌などで紹介してくれたマスコミの方々、生前兄が大変お世話になり、ありがとうございました。また御報告が大変遅れ申し訳ありません。

 

また、兄の大濠高校時代の友人や行徳家の元スタッフや従兄弟であるラーメン海鳴の大将、大久保 茂雄氏の力を借り

 

行徳家を最下位←これはあんまりうれしくない!

いや再会←けっこうちかい、確かにいろんな人に再会できた!

再開←はい!きた!これこれ!

 

少し変換で遊んでしまいましたが再開することができました。

この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

 

気に入った言葉がありましたので、誰かの言葉を借りて申し上げましたら

行徳家 第二章 昨年1218日幕開けしました。←事後報告すみません。

不肖の弟ではありますが、私、行徳 稔が兄に代わり、運営を行いたいと思います。

どうぞ、宜しくお願いいたします。

新しいギプス

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病院に行くと新しいギプスをしてもらいましたm(__)m、軽量で固定する部分も多く固める時に熱もつヤツ、!私としては頭にもモンダイが有るようですが高所恐怖症、先端恐怖症、閉所恐怖症に加えギプス恐怖症もあるやもしれませぬ、あのえも言われぬやうな自由を失いまた固定された事を喜ぶごときフルマイには得てして腹に据えかねるものがありまた其れを肯定するやうなれんとげんなんぞといふひとをヒバクさせることが合法な振りをするあたり正にこれおかしきこときはまれり、よって直ぐに新き新調したギプスも外してもらひ以前からのものを付けてもらふもギプス恐怖症とやらの恐怖心からかいかんともしがたく心落ち着かぬまま結局薬局ほうたひまで外してしまう始末(T_T)我が頭の中でイタズラにいたらぬ虫のやうなものが暴れ出した如き様を呈す。前書きが長くなりましたが本日もお休みさせて頂きますm(__)m