昨年3月から4月にやった仲間内での野球トーク議事録その8をご紹介します。実は話の流れの中から、3.11の時にみんなどうしていたのかという話題になり、おのおのの記憶と証言をまとめてみました。(今回は野球トークはお休みです。)

 

 

【証言その1】長時間かけて歩いて帰宅

・大地震の影響で電車が止まってしまい、職場から自宅まで長時間かけて歩いて帰った。この時は携帯で仲間とやり取りしながら帰れたので、心細くならずに助かった。

 

【証言その2】部活でトレーニング中に大地震に遭う

・翌日の試合に備えてトレーニングでタイヤ引きをしていて、息を切らしていたら揺れが来たのだが、最初は貧血かと思った。そしたら大きな揺れが来た。

 

・揺れが収まって練習を再開したが、先生から帰宅指令が出た。帰宅してニュースを見てとんでもないことが起きたと知った。その日は余震などに備えて寝ずに夜を明かし、翌朝は近所のご高齢の方の家を尋ねて安否確認をした。

 

【証言その3】就活の選考に向かう所で地震に見舞われる(私の証言)

・就活の選考に向かうため埼京線の北戸田駅に降りた。予定よりも一本早い電車で移動した。最初に揺れが来た時はめまいかと思ってその場に立ち止まってみたら、直後に大きな揺れに襲われた。自分の足で立つことが困難になって近くにあったガードレールにしがみついた。とうとう首都直下地震が起きたかと思った。

 

・揺れが収まってたまたま自分の近くに車を停めている人がいて、一緒にカーラジオを聞かせてもらったら、東北で強い地震があったと知った。その後選考は中止となり、選考を受ける予定だった会社の方に、私の家の近くを通るバスが出発する駅まで車で送ってもらった。

 

・その数日後から、私の住む足立区では計画停電があった。あの時は一日を生きるのが必死だった。東日本大震災がきっかけで私は、有事の際の情報収集のために外出時にラジオを持って行くようになった。

 

【証言その4】計画停電による影響

・インフラに関わる仕事で、計画停電により電車が運転見合わせになるので、出勤可能者と不可能な人の確認、人をどうやりくりするかを打ち合わせした。

 

【証言その5】東北新幹線で移動中に大地震に遭う

・東北地方へ出張していて予定より早めに仕事を終えて、別の顧客の所へ行くことを考えた。しかし、行ったところで担当者が会社を留守にしているかもしれないので、行くのをやめて新幹線で東京へ帰ることに決めた。

 

・この仲間の証言におけるポイントは、別の顧客の所へ行くのをやめたこと。その顧客のいる場所は、福島県で津波の被害が甚大だった所。もし行っていたら、津波に巻き込まれていた。

・東京行き東北新幹線に乗車。その移動中に車内の照明が突然消えて、新幹線がだんだん減速していった。減速するにつれて大きな揺れに襲われて、新幹線は駅ではない所に停車した。それから10時間以上新幹線に閉じ込められた。取り乱す乗客もいた。

 

・深夜12時過ぎに栃木県の警察と消防団による救助隊が到着した。実は先頭車両から順に乗客が救助されていた。混乱を避けるためJRは、救助が来ているという情報を車内放送では案内しなかった。救助されて案内された那須のホテルに向かい、テレビをつけたら気仙沼の町が大火事になっていていてことの重大さを知った。翌朝ホテルは朝食をたくさん振る舞ってくれた。

 

・朝食後に那須のホテルから近隣の市役所に移動すると、電車が止まっているためこの市役所で待機となると通知された。しかし、同僚がたまたま車移動で福島県から東京へ向かっていて、幸運にも迎えに来てもらって東京へ向かうことができた。コンビニはどこもやっていなくてなかなか食事ができず、小山市でようやく営業中のラーメン屋を見つけられた。

 

 

あの日から13年が経過しました。干支は一回りしました。あの時の恐怖・大変さ・記憶を忘れないように、ここに記しておきます。

 

野球トーク議事録はその9へ続きます。