東日本大震災の津波で死亡または行方不明になった大川小学校の児童74名のうち23名の遺族が石巻市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が仙台高等裁判所であった。(仙台高裁平成30.4.26)

判決は、一審判決と同様、学校側の責任を認め損害賠償の支払いを命じた。
ただ、今回の判決は一審判決よりも厳しい内容になった。
この判決で気になったのは、次の2つのことである。

まず、津波の予見可能性についてである。
控訴審判決においては、以下のように言及されている。

大川小の立地条件、特に、広大な水域面積を有する北上川の感潮区域を約200mの距離を隔てて隣り合っていたものであり、北上川の感潮区域と大川小の敷地とを隔てるものは、北上川の右岸堤防の存在のみであったこと、これに、想定地震動により堤防が天端沈下を起こし、そこから堤内地に北上川の河川水が流入して大川小を浸水させる危険があることを示唆する知見、谷地中付近よりも下流の北上川の右岸堤防が、堤防の両側から襲う津波の破壊力に堪えられずに破壊し、その場所から遡上した津波が堤内地に流入して大川小を浸水させる危険があることを示唆する知見を総合すれば、

「大川小が津波浸水域予測による津波浸水区域に含まれてなかったとしても、大川小が想定地震により発生する津波の被害を受ける危険性があったというべきであり、校長等がそれを予見することは十分に可能であったと認めるのが想定である。」とした。

この点につき、旧野蒜津波訴訟の控訴審判決(仙台高裁平成29.4.27)では、以下のように言及されている。

結果回避義務の前提となる予見可能性は、あくまでも過失責任を問われている主体が置かれている具体的な状況に基づいて判断されるべきであって、事前の想定を超える津波が到来することを予見できてはじめて、津波災害を前提として非難場所を提供すべきかどうかが決まるのであるから、

「本件津波が、事前の想定を上回り、本件小学校まで到達することを具体的に予見できたかどうかが問われなければならず、一般的な注意喚起だけではそのような具体的な結果を予見するに足りないというべきである。」としている。

旧野蒜小津波訴訟については以前書いたこちらのブログをご覧ください。

大川小の控訴審判決では、まさにこれを否定してしまったようなものである。
そうなると、七十七銀行女川支店と山元町の公立保育園のケースにも当てはまり、結論が覆してしまうものである。

また、これを予測するには専門家でしか分からないとものである。
それを考えると、あまりにも酷すぎると思える。
さらに言うと、これじゃ国にも責任があるようにも思えるし…

次いで、マニュアルで第三次避難場所を裏山ではなく、大川小から約700m離れた標高20m超の高台「パットの森」に指定すべきだったと、はっきり言及したことである。
その理由は、このように述べられている。

確かに三角地帯から「パットの森」に至るためには、国道398号線上の歩道(標高は2m)を通過しなければならいが、その距離は約400mに過ぎない上、速やかに第二次避難場所である大川小の校庭を離れて「パットの森」に向かえば、

「想定地震によって発生した津波が歩道を通過する前に通過し終えることは可能であったといえるから、避難経路としても不適当であるとはいえない。」と…

これは、あくまで結果論である。
何より、これはまさに、「津波てんでんこ」を否定するものである。

津波てんでんこにおいては、海岸、河口、さらには、川を遠ざける形で高台に避難する趣旨である。
この判決では、浸水区域を通っての避難を促すようなものである。

このようなマニュアルを作成するのは、相当勇気がいるものである。
何せ、自然が相手はだけに…

津波てんでんこについては以前書いたこちらのブログをご覧ください。

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