護憲章派なる造語は、どこまで有効か | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

国際政治学者と国際法学者がどういう議論をされているのか知らないが、私は日本国憲法は条約に優位している、という立場を取っている。

勿論、日本が批准した条約は尊重しなければならないことは当然だが、条約の規定がそのまま日本における法規範になることはない、という立場だ。

篠田さんという国政政治学者の方が、護憲章派なる新語を創られ、日本国憲法を国連憲章の理念に添うものに書き改めることを提唱されていることを知った。

篠田さん曰く、日本国憲法は国連憲章を受けて策定された憲法だそうだ。
確かに時系列を追っていくと、そういう一面もないとは言えないのだが、やはり日本国憲法と国連憲章を同じ系列に置いておくのには無理がある。

日本国憲法には国連憲章という文言はどこにもないのだから、法の形式において日本国憲法が国連憲章を受けて策定されたものだとは到底言えない。

篠田さんの頭の中では国連憲章が相当大きな地位を占めているようだが、私から言わせると国連憲章はいわゆる第二次世界大戦の戦勝国連合の憲章ぐらいな位置付けでしかない。
国連憲章は、あくまで第二次世界大戦の勝利国の指導者たちが自分たちの都合のいいように作り上げた協定でしかない、ということを素直に考えれば、国連憲章が世界で唯一、絶対、最高の崇高な最高法規範だ、などと単純に崇め奉る気にはなれない。

国連は、どこまで言っても第二次世界大戦の戦勝国連合でしかなく、第二次世界大戦の
敗戦国であった日本は今でも戦勝国からは敵国の扱いとなっているのだから、日本の憲法を国連憲章に添うような内容に書き改めるべきだ、などと言われても、はい、分かりました、とはならない。

そもそも日本国憲法が制定された当時、日本は連合国の支配下、連合国軍の占領下に置かれていたのだから、日本は国連の加盟国であったわけではない。
日本が占領下を脱し、いわゆる主権を回復してからも、しばらくの間は国連に加盟を認められていないのだから、あたかも国連憲章が日本国憲法の上位法に当たる、かのような篠田さんの物言いに、私が異議を述べたり、抵抗したくなるのは仕方がないのではなかろうか。

学者の方は、しばしばこういう独自の説を提唱して議論を楽しんでおられるようなところがあるから、篠田さんがどこまで本気で護憲章派なる新造語に固執されるのか分からないが、まあ、これも一つの話題提供かな、と思っておけばいいのだろう。