検察当局の捜査に勝ったとか、負けたという独自の価値基準を当て嵌めるのはどうも不謹慎な気がしているのだが、検察庁の内部にいた人の目からすると、甘利問題についての不起訴処分はどうやら特捜検察の屈辱的敗北に当たるらしい。
ちょっと予断が過ぎませんかね、というのが私の感想である。
犯罪の嫌疑がないのであれば早々に捜査を打ち切るのが当然であるし、いくら関係者を取り調べても有罪判決を獲得するに足る証拠を確保することは出来そうにないということで、徒に結論を先延ばしにしないで嫌疑不十分で不起訴にすることも特に非難されるようなことではない。
嫌疑不十分という理由であれば、必要であればさらに捜査を続けて新しい証拠を発見すればいいだけのことだから、「嫌疑不十分」だと担当検察官が判断していることについて適当な時期に第三者の判定を求めること自体は、決して悪いことではない。
告発人に対して検察審査会への審査申立の機会を提供するために、あえてこの段階で不起訴処分を出すことにしたのかも知れない、と考えると、この不起訴処分をもって特捜検察の屈辱的敗北だ、などと言い切ってしまっていいのか疑問である。
むしろ、そこには担当検察官の叡智が宿っている可能性がある。
公訴時効が満了して手遅れにならないうちに検察審査会で関係捜査資料を全部見てもらおう、起訴、不起訴の最終的な決定に選挙人名簿で無作為に選出される民間の検察審査員の判断を加味してもらおうという深謀遠慮があったのだったら、この段階で不起訴処分に踏み切った検察官は相当に優れた検察官である。
甘利問題について国民の目は、相当に厳しいはずである。
むしろ甘利問題は、国民の前にすべてを曝け出して、国民の目で裁いてもらった方がいい。
特捜検察の屈辱的敗北だと断定するのは、まだ早い。