話し合いでは解決しない世界が目の前に広がっていることは十分承知している。
中東諸国の紛争を見ていると、もう話し合いでは絶対に解決しないだろうと悲観的にもなる。
正義と正義の戦いの様相を呈してしまえば、もう止まるところを知らない。
利害の対立、損得の争いであれば何とか妥協点を見い出すことが出来ることが多いが、正義の戦いは勝つか負けるかの二者択一になってしまう。
だから、どんな場合も正義と正義の戦いにならないようにすることが大事だ、というのが私の考えである。
決定的、かつ深刻な対決にならないようにするために、どんな場合も経済的利害得失の計算が出来るようにする。損か得か、という計算が成り立つようであれば、なんとか話し合いでの解決が出来るようになるのではないか。
話し合いでは解決しない問題だからと言って、それでは軍備を強化して、軍事力を背後に力づくで自分たちの要求を押し通すなどということが罷り通ったら、結局は軍拡競争になり、戦争への道を歩み始めることになる。
一旦引き金を引いてしまったら、もう元には戻れない。
多分、とことん行き着くところまで行くしかなくなる。
どんなことがあっても、戦争の引き金を引かないで済むような工夫をすることが大事だろう、というのが私の考えである。
さて、戦争の引き金を引かないで済む工夫にはどんなものがあるか。
日本の場合は、憲法9条と日米安全保障条約だった、というのが私の理解である。