自分を空っぽにする | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

女川と閖上(ゆりあげ)を訪問したのは、東日本大震災による巨大津波の被災地の現状がどうなっているかを自分の目で見るためであった。

女川を3月22日に訪問したのは、前日の3月21日に石巻線が女川まで全線開通し、その式典が行われたというニュースを聞いたからだ。
女川には6、7回訪問したことがある。

最初は葛飾の法人会の被災地応援視察団の視察に参加した時で、2度目は個人的な被災地視察でJRの代替バスで終点の女川駅まで行ったとき、3度目がトレーラ・ホテル「エル・ファロ」の開所式、
4度目が中国人留学生等を引き連れての東北応援バスツアー、5度目がエル・フラメンコIN女川という女川の新しい祭りが開催された時、6度目が宮城県石巻の斎藤県議の後援者の案内で女川原子力発電所周辺の視察を行った時である。
それ以外にも石巻まで行ったときに女川まで足を延ばしたことがあるから、多分7回だと思う。

時々刻々と変わっていく女川を見ている。

私が東日本大震災の被災地に赴くのは、犠牲になられた方々に対する鎮魂の祈りを捧げるためであるが、同時に被災された方々や被災地が大災害によって打ちのめされ、打ちひしがれた状況から見事に立ち上がっていく、その雄々しい姿を確認するためである。

自分があの時に何もできなかった、という自責の念も働いている。
何かしなければ、という思いを今も曳づっている。
被災地の傍らに立つときに、私は空っぽになる。

女川でもついに言葉を発することが出来なかった。
閖上(ゆりあげ)でもついに言葉を発することが出来なかった。
今は、無である。

私は、自分を空っぽにするために女川と閖上を訪問したのだ、と思っている。