苛めはいけないが、風刺はあらゆる場合に許されるべきである | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

言葉の暴力は、ある。

暴力とは人の身体に対する物理的な有形力の行使だと思っていたら大間違いだ。
言葉で人を傷つけることもあるし、時には人を死に至らしめることもある。

言葉には、いいにつけ悪いにつけ大変な力がある、ということを知って、十分に慎重な言い回しが必要なことが多いことは皆さん、先刻ご承知のはずである。

私は出来るだけ人の心を穏やかにしていきたいと思っているから、よほど強い相手でなければ滅多に人を腐すような物言いはしないようにしている。

しかし、世の中には相手を言葉で滅多切りをする人もいる。
それ以上やったら相手が切れてしまうに違いない、と思うのに、それでも言い出したら止まらない人がいる。

危ない!

そう声を掛けてあげたいと思うようなことも稀にはあるが、大体は言論の自由だから、ということで余計な口は挟まない。

これまでは、大体は大事にならないで済んできた。
少々の悪口雑言、誹謗中傷、罵詈雑言に堪えることが出来る人が増えたということだろう。
言われたら言い返せばいい、言論戦には言論でもって戦えばいい、と思っている人が殆どだから、まあ何となく納まっているということだろう。

しかし、度を過ぎるのはよくない。
特に相手が弱い人、弱い立場にいる人たちに向かって強い人、強い立場にいる人が散々に怒鳴り散らしたり、罵詈雑言を浴びせることは差し控えた方がいい。

たとえ正論でも、時には苛めになることもある。
苛めは、いけない。

しかし、風刺はあらゆる場合に許されなければならない。

気の利いた風刺なら、たしかに不愉快にさせられ、苦虫を潰したような顔にもなるだろうが、手を出すようなことにはならない。
権力者や金持ち、有名人等いわゆる世間的に力が強いと認められている人たちが風刺の対象になることぐらいは甘受すべきである。

風刺の対象になったからと言って、そういう基本的に強い人、立場の強い人たちは殆ど傷つかないはずだ。

風刺の対象になったからと言って暴力を振るったり、相手を投獄したりする人たちはやはり異常である。
異常な人たちに正常になれ、と言っても聞く耳を持っていないだろうが、異常な人たちには武器を持たせない、暴力を振るうような場所には絶対に近づかせない、ぐらいの対策は講じておくべきだろう。

いずれにしても、私たちはそういう異常な人たちを生まないように常日頃から自分たちの身の回りを整えておく必要がある。