そうか、「日々新たなり」が私にとっては一番大事なキーワードなのか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

明日は今日の続き。明日も今日のような日が続くといいですね。

そう、つい口に出してしまった。
今日の幸せが明日も続きますように、という素直な思いを吐露したつもりだった。
素晴らしい青空が広がっている。

いいな。いつまでもこの青空が続くといいな。
そう、強く思った。

外国にも色々いいところがあるが、やはり日本に帰ってくるとホッとしますね。
地方を旅行するのも楽しいですが、やはり自分の家が一番いいですね。
いつもの電車に乗るとホッとします。

地方からどんどん若い人がいなくなりますね。
働き場所がないから若い人がどんどん都市部に流れていく。
そういう人はなかなか自分の故郷に戻らないから、地方はますます高齢化が進んでいきますね。
自分が今、住んでいるところがやはり一番よくなるでしょうね。
住めば都ですからね。

そういう他愛のない会話の延長上に、明日も今日のようだといいですね、という言葉が出てきた。

今日は昨日の続き、明日は今日の続き、という感覚でいいのだろうか。
青葉台公園のラジオ体操からの帰り道で、ふと妙な感覚に襲われた。
確かに幸せな日々を過ごさせていただいている。

しかし、明日は今日の続き、明日も今日のように過ごしたいという感覚にはどこかに問題がありそうだ、ということに気が付いた。

明日は今日とは違う、明日は今日よりももっと良くしていかなければならない、今日を乗り越えるという意思、意欲が希薄になっているようだ。

うん、今のままでは変化を恐れるようになる。
退嬰的とまではいかないだろうが、現状肯定の徹底的保守になってしまう。
まだ、晴耕雨読の隠居生活に入るのは早い。

日々新たなり、という思いが後退しているのだとしたら、問題である。

私が自分のブログを一念発起・日々新たなり、と命名した時のあの燃えるような思いを再び燃え上がらせる必要があることを知った。
今更一念発起はないだろうが、日々新たなりという感覚は私にとって極めて大切なものだ、ということを思い知った。

多分、皆さんにとっても、日々新たなりという感覚は必要なはずである。