ああ、この人はもう負けを認めているのだな。
そう思うような発言を維新の橋下氏は繰り返している。
妙に肩肘を張ったり、背伸びしたようなところがないから聞きやすい。
自分自身が立候補していないとこんなにも気楽に物が言えるのだろう。
実に正しい。
政策選択選挙ではなく、政権選択選挙だ、と言われればそうだと言わざるを得ない。
どの政党、どの候補者であっても賛同出来る政策とどうしても反対したくなる政策とを抱えている。
大阪はよほどカジノを誘致したいようだが、わざわざ大阪に新しい賭場を開帳するようなことはしない方がいい、と考えているから、私は必ずしも橋下氏の政策に全面的に同調するわけではない。
まあ、ずいぶん軽口、悪口、軽率な物言いをするものだ、と思うから、政治家としても弁護士としても特別に尊敬の念を表明したくなるような人格者とも言い難い。
しかしそれでも、橋下氏には大変な可能性、危機突破力があると見ているから、橋下氏が国政の場で存分にその力を発揮してくれるのを待っている。
維新の党に集まった方々にはまだそこまでの力はない。
政治家としての魅力や実力も、日光の手前だと思っている。
共同代表である江田憲司氏にしても若い国会議員を束ね切るだけの魅力と実力を持っているとは言い難い。
橋下氏自身が国政の場に出てこなければ、まず国政の場での新しいステージは始まらないだろうと思っている。
橋下氏はその辺りのことが十分分かっているようである。
今、維新の党から立候補している人たちだけでは絶対に永田町の流れを変えられないと腹を括っているようだ。
それで結構。
そう、思っているようだ。
まるで芥川龍之介の心境である。
悲観しないために、期待しない。
期待が大き過ぎると、期待に反する結果が出た時の失望感、挫折感が大きい。
時には起ち上がれなくなる。
今回の選挙は、維新にとってはどれだけマイナスを減らすことが出来るか、という選挙のようである。
腹を括った人は、結構強かである。
橋下氏は、そろそろ次に備えているような気がする。