学び舎だからこそ、多様な視点からの多面的な意見交換が成り立つ | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

先生よりも生徒が優秀でないとこれからの時代を担う人材は育たない。

早川学校は自称校長よりも生徒の方がその素質において優れている。
どんどん遠慮しないで未熟な校長の言説を批判し、かつこれを乗り越えていただきたい。

文献の渉猟が得意な人が校長にあれを読め、これを考えておけ、と注文されているが、校長のキャパシティーには限りがあり、とてもあらゆる事態に備えての勉強まではできそうにないので、勉強の必要性に気が付かれた人がまずは勉強していただきたい。

なるほど、と思うような意見が出されれば、賛同するだろうし、これは無理筋じゃないかと思えばそういう感想ぐらいは述べることが出来るはずだ。

さて、日本の統治下で生まれ、日本の統治下で育ち、日本の学校教育を受けてきた人たちは日本に相当同化していたのではないか、と思っていたが、日本の統治下で暮らしていた朝鮮半島の人たちには確固たる民族意識がある、法的には日本人だったが本質は朝鮮人だった、法的側面を強調するのは間違いだという趣旨のご指摘があった。

確かに各地に朝鮮人の方だけで生活する集落があり、一般の日本人とは殆ど接点がなく、自分たち独自の教育を施していたところもあったようだが、その一方で日本本土の同世代の若者と同じ学び舎で机を並べて学び、日本の高等教育を受けて将校クラスに昇進した人たちもいたようだ。

私自身はそういう方々と接したことはないが、知覧の平和祈念館で散華された特攻隊員の中に朝鮮半島出身の方の名前を見たような記憶がある。
靖国の遊就館にも朝鮮半島出身の将校の名前が記されていたような記憶だ。
朝鮮の方々に対する根強い差別意識が社会の底辺にあったことは間違いないが、その一方でこれを何とかなくそうとしていた人もいたのではないか。

現在の時点から70年以上前の過去を振り返るのは相当に難しい作業だが、博識の方が多い私のブログの読者の方だったら何か情報を提供してくれるかも知れない。

そういう思いで、この一文を書いておく。
多様な視点から多面的な意見交換が出来れば、それで十分である。

ここの校長は、自分が間違っているかも知れないと思いつつ、自分の未熟さを曝け出すことも恐れないで、なるべく正直に自分の感想を述べている。

皆さんの考えるヒントになってくれればいい。
そう思っているからだ。
皆さんの批判は、厳しければ厳しいほどいい。

ここの校長は、そんなことではたじろがない。
ここの校長は、誰も相手にしてくれなくなることのみを怖れている。