想定していなかったのは本人だけ、ということもしばしばある | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

みんなの党の方々が多少気の毒だが、みんながみんな駄目だということではない。
対等合併だとか丸ごと合流などと言うから反発されるので、私も仲間に入れて欲しいと素直に頭を下げればいいことだ。

政党のガバナンスを考えておく必要がある。

みんなの党は代表と幹事長の間には実際には隙間風が吹いているのに如何にも一枚岩であるかのようなパフォーマンスを繰り返すから呆れられてしまった、ということである。
正直なのがいい。
自分たちの組織が抱える問題点から目をそらさないで真摯に改革に取り組んでこその、みんなの党である。
自分の党の代表選挙の規程を有耶無耶にしてなんとなく現状を維持しようとする姑息さがすべての違和感の源である。
オープンなようでオープンでないところに欠陥があった。

ここは出直すのがいい。
既に大勢は決している。
これ以上悪あがきをしないことだ。
大人しくしていればいずれは必ず救いの手が差し延べられると思っておけばいい。

私には何の権限もないが、外野席から応援の声を上げることぐらいは出来る。
なにしろ、みんなの党には私が信頼できる仲間が多い。
こういう人たちの力を借りないのは損だ。
こういう人たちの力を活かさないのは損だ。

渡辺喜美氏はいつも単独で飛び出す傾向がある。
それが突破力の源泉になることもあるが、大きな組織は作るときにはこれがマイナスに働くこともある。
こういう人は廻りにイエスマンばかり置きたくなるから、しばしば判断を誤る。
私は別に自分の周りにイエスマンを置いていないが、それでも独善的、独断専行の傾向があると言われているから決して他人の批判が出来るような立場ではないが、間違いはやはり間違いである。
こういう時は、素直に誤りを認めて一から出直すことだ。
笑顔で上手に謝ることが出来れば、案外上手く行くものである。

いずれにしても、大阪維新の会の歩む方向は決まっている。

大阪維新の会のパートナーは、私たち道州制型統治機構研究会のメンバーしか今のところあり得ない。
バスに乗り遅れるな、などと慌てる必要はいささかもないが、いつまで経ってもドライバーが現われないバスを待つのはあまり上手の人がやることではない。