人を見ろ、というのはそのとおりである。
もはや、ほとんどの既成政党には魅力はない。
精々が政党助成金や立法事務費の受け皿になり、企業や団体から合法的に政治献金を拠出してもらうための装置でしかない。
新党が期待を集めるのは、あくまで既成政党の批判の受け皿となり、かつ既存の政治システムを改革する力を発揮してくれる可能性があるからだ。
20名足らずで新党を作っても意味がない、と石原東京都知事が喝破したのはさすがである。
国会議員5名や6名の政党が解党して20名足らずの新党を結成しても50歩100歩、それなあに、ということで終わる。
一般に新党には期待が集まるものだが、巷間噂されている石原新党には残念ながら日本の政治をひっくり返すだけのパワーがないことが歴然としており、こういう新党で戦おうとしても無駄死にするだけだ。
今から国民新党に参加する人などいないと思う。
将来性がないことが分かったら、みんな引く。
そういうものである。
新党改革などは今どんな活動をしているのかまったく音沙汰がない。
あれは何だったのか、と狐に抓まれたような状態である。
新党を名乗った政党は、皆、潰れた。
維新の会も新党という名前を選択したらいずれ潰れる。
第三極を担う政党の存在は極めて重要だが、必ずしも新党を名乗る必要はない。
自民党も石破氏が自民党の総裁になり、執行部を一新すれば自民党を第三極を担う政党に変身させることは出来る。
民主党の内情はよく知らないが、選挙互助会体制を克服できれば変身する可能性はある。
要は、どれだけ大胆に変身をアピールできるかだ。
単なる変心では、とても期待値は上がらない。
結局は、政党ではなく、人である。
私は、大阪の橋下氏の動向(動静)に関心を持っている。