どうぞ深く語ってください。
そう、お願いした。
私たちを案内してくれたおらが大槌夢広場の臼沢さんの言葉である。
ただ被災地を見て回るだけのただの観光目的の人たちには、とても重い荷物を持たせるわけにはいかない、どの程度のお話をしたらいいのだろうか、本当のことは1時間や2時間ではとても語り尽くすことは出来ない、そういう配慮をしていただいたのだと思う。
深く語ろうか。
それとも浅く語ろうか。
私たちも無意識のうちにそういう選択をしているのだが、それでも普段は深く語るべきか、浅く語るべきかということを言葉に表すことはない。
深く語る、ということは彼らの心の底にあることを共有してもらってもいいでしょうか、という問いかけだと思った。
どうぞ、深く語ってください。
そうお願いした。
写真は、その後で案内していただいた旧大槌市役所の建物である。
私の写真ではよく分からないかも知れないが、時計を見ていただければ分かる。
時計の長針が壊れて一部無くなっているが、この時計は午後3時20分過ぎを示している。
ここまで津波が押し寄せたということだ。
地震が発生してから30分以上経過している。
30分もあれば裏手の城山に逃げることが出来た。
しかし、大槌市の職員の方々は逃げなかった。
市役所の正面に災害対策本部が立ち上げられていたからだ。
地域整備課の職員が大勢亡くなった。
地域整備課の職員は普段は介護を要するお年寄りの方々のケアをされていたようだ。
車椅子を押してお年寄りを避難させようとして津波に押し流されてしまった。
ここは危ない、怖いと思っていた若い職員も大勢いたはずであるが、皆逃げなかった。
津波が襲ってきたのに気が付いて市役所の屋上まで階段を一気に駆け上って辛うじて一命を取り留めた職員の方もおられたが、多くの方は屋上までは駆け上れなかった。
市長がそこにいたから幹部の職員もそこにいた。
若い職員の方々もそこにいた。
そして、市長をはじめ多くの職員が亡くなった。
誰かが、逃げろー、という大きな声を上げたはずである。
津波が押し寄せる音は大きいようだ。
建物を破壊するたびにバリバリと音を立てるようである。
阿鼻叫喚の修羅場が現出したはずだ。
その声が、その音が聞こえる人にとっては、この場所に立つことは辛いはずだ。
被災地の現状を多くの方々に見ていただきたい、復興に多くの方々のお力を貸していただきたい、一度だけでなく二度、三度来ていただきたい。
大槌はこんなにいいところです。
そう、アッピールしたいという思いの一方で、大槌の人たちの心の底には、複雑な思いが去来しているはずである。
3人の方がガイド役を務めてくれた。
ガイド役を務めてくれた臼沢さんも女性の方も高校生の男の子も、これでも浅く語ったはずである。