全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派であるカトリック教会の最高位聖職者である次期ローマ教皇を決める選挙会議「コンクラーベ(conclave)」が、本日12日に始まりました。



20億人に影響を及ぼすと言われる人物が信者から遠い密室で選出されると言うものであり、世界的に大きな影響があることは勿論のことながら、カトリック教徒であれば、誰しもがその決定を待ちわびてる事は言わずと知れたことかもしれません。



人は、絶対的な存在を求めます。これは、古代からあった思想であり、神頼みと言う言葉がある様に、願いや想いと言うのはとても複雑であり、どの宗教も問わずしても自分一人だけでは、どうする事も出来ない事柄がある場合、そうして信仰と言うものに精神的に頼るのもであったり、時には穏やかさ、幸福を求めて頼るものであったりするものです。




国によっては、殆どが一つの信仰者であったり、時には紛争も起こる程に、信仰心と言うのは根強く、その人々にとっては欠かすことの出来ないものであることも確かであります。



実は、日本は宗教団体と呼ばれるものが、世界一多い国だと言う事はご存知でしたでしょうか?



中には悪質なものも多く、そこには事件性が含まれる様なことを行う団体も過去には多く存在しました。そうした部分に関して詳しく把握してる訳ではありませんが、少し昔には多くの事件をニュースなどで目にした事がある方も多いのではないでしょうか?



私の所に過去にも幾つかの相談がありましたが、ある団体に騙され、財産を奪われるまでならやり直しは出来ますが、財産と一緒に心まで奪われてしまった場合には人生を台無しにしてしまう程に洗脳が行われて居た方もおりました。



そうした洗脳から抜け出せず、植え付けられた観念の元に行動を行ってしまい、人道に背く様なことを平気でしてしまう程に人間の心と言うのは繊細に出来て居ます。



例えを挙げるならば、過去に、そうした心理実験が行われていた時代もありました。現在では法的に禁止されていますが、映画などにもなる程に恐ろしい心理実験です。



「囚人と看守」と言う心理実験です。


これは、どういうものかと言えば一般人の人間を十人集めたとします。そして、その十人を囚人と看守に分けます。まさに刑務所と同じ生活をさせ、もし囚人が違反を犯したり、決めごとを破った場合には、看守が、その囚人に対して罰を与える事が出来ると言うものです。



普通の人が、この実験を行うとどういう事が起こるかと言えば、自然発生的な洗脳が行われてしまいます。心理実験にも関わらず、強迫観念や敵対心、防衛本能と言う部分が無残にも崩壊し、新しい人格を生み出してしまう実験です。



この実験を続けることで何が起こるかと言う結末は、本当に間違った宗教団体によって起こされた、事件の様なものであり、ここに細かく記載するのは控えますが、そうした事を行う団体も少なからずあると言うことです。




こうして考えると、宗教と言うものに関して私は、間違っているもの以外は、どんな宗教も絶対的に否定する事はございません。ただ日本と言う国に限定して言わせて頂くのであれば、次の様な方々に関しては必ず注意が必要となります。



直ぐに人を信じてしまう人


過去に宗教で騙されたことがある人


すでに新興宗教に入信している人 などです。



特に、直ぐに人を信じてしまうと自分でも解って居ながらも、頼まれたら断れなかったり、何かを御願されると、ついそれを受けてしまったりすると言うのは日常の中にあるかと思います。



そうした日常の中に人の心理と言うのは沢山存在しており、時にそれは自分では無い自分と誰か接する相手によって変えられてしまう可能性は少なからず潜んでいると言うことです。



自分は大丈夫だと過信していてはいけません。そこに落とし穴がある場合もあるのです。そして私はこれまで多くのそうして、人生において堕ちてしまう様な状況に直面した方々を多く見て来ました。




何が正しくて何が間違っているのか?


そうして行く事が最善であるのか?


何が必要で、何が不要なのか?




生きる中で見つめて行かなければならないのは自分自身です。そこに不安や問題があっては、幸福を得ることも、感じることも遠い先になってしまうことは事実です。



今回こうして綴りの中で私が言いたい事と言うのは、宗教観と言うものは人それぞれであり、それは押し付けるものでは無く、押し付けられるものでもありません。沢山の捉え方があるでしょうが、そこには歪みが無い物が本当の宗教であり、信仰する意味があります。



時に救われ、時に懺悔をし、仏教で言えばお参りをする様な事と言うのは、そこに心の安堵があるからであり、心配無く頼る事が出来るものなのです。




何か信仰を持つことを薦めているのではありません。私はこうして発信を続けて来た中で、人と言うのは必ず間違いの無い、その人に合う環境や、周りに必要な人間が居ると言うことを御伝えしたいのです。




そして初めて幸せであったり、幸福を感じられるのです。




それは仕事場かもしれません。住んでる場所なのかもしれません。人との付き合いから生まれる気持ちかもしれません。





今月、三月いっぱいでご相談の受け付けを一度打ち切ります。それに合わせて、今月中は大きな範囲で相談を受け付けられる様に、どんな事柄にも対応出来る様に、気軽に相談やメッセージを頂ける様に、努める所存で居ります。




今回は自分自身を見つめると言う点に関して、宗教観を交えてお話しをさせて頂きました。



そして、時間が流れた先に気持ちの良い春を迎える事が出来れば、私では無く、あなたにとって一番の春を迎えられる様、受け付けを行わせて頂いています。



改めまして、宗教に関係なくどなたでもお気軽にメッセージをお寄せ下さい。