何歳年齢が離れていたらジェネレーションギャップ感じる?ブログネタ:何歳年齢が離れていたらジェネレーションギャップ感じる? 参加中
同性ならジェネレーションギャップとしては3年離れると感じるものがあった
付き合う関係性では5年が限界かと思う

ジェネレーションギャップと言うにはかなりかけ離れた感覚として、携帯電話世代と呼びたいものがあって、最早全く異なる脳の機能を実感する
更に情報取得の方法が変化し、10年前から別の違和感を感じてる

アナログ世代にはジェネレーションギャプなる言葉はあるが、今のデジタル世代にはギャプと言うよりも壁がある
壁と言うよりかは、枝分かれと言いたい程の隔絶がある
亜種と言っても構わないのは、脳の機能の変化だけでなく、体まで異なる点を見ているからだ

デジタル世代の人は新しいものだけでなく古い物も知っていて、親の世代に流行ったものも抑えているし、拾える情報の範囲内の事は実によく理解している
それはジェネレーションギャップと言うよりも別の名前を必要とする違いであり、単にそのものを知っているだけではなく、思考能力の違いすら感じさせるから、ネット世代と軍曹は簡単に呼んでいる
デジタル世代にはネット民とその他に分けられる
当然両者はネットを利用してるが、利用法が異なるから違いが生まれている
Twitter民とLINE民は明らかな違いがある

ジェネレーションギャップは死語だ
我々はロストジェネレーションであり、新人類たる彼らに如何にようにしても共通点は見出せない部分が存在する

どの様に育つのかにより人の性質は乖離し、情報の取得と解析応用の差は人の差別化をもたらしている
その多くは親の態度により決定し、凡そは所得の格差により二分される現象となっていて、お金がなければパソコンなどの機器は買えない時代と更に今の携帯端末のみでも十分な機能を使える世代とにも分かれていている
情報の取得だけならスマホで十分だ
パソコンは創作関連に用いられ、アウトプットの為の道具、或いはパソコンそのものを中心とするシステム構築と管理の(開発と主にネットワーク)学習の為に使われたりする

元から人は物を作る者とそうでない者に分かれていた
所詮はそれだけのことなのだが、オリジナリティの創作の為に理系脳はよりコンピュータ(デジタル演算)に近づいてるし、文系脳は意識的にそこから離れる性質が浮き彫りになってきている
創作の為によりデジタル演算に近づいてる人とわざと離れていく人の共通点は物を新しい作るとなり、物を作らない人で文系脳はただの言葉遊び(観客)として今の情報を受け止め、理系脳の観客はその能力差によりひたすら深刻なエラーを抱えている

人は知性だけで生きてはいない
前にも書いたが、ネットワークの広がりは新しい人の可能性を示していて、人との出会いは偶然ではなく必然的な部分があり、単にパソコンにつおいだけの存在ではない
無機的で肉体を用いない人との繋がり方に関する考察が不十分である為に霊的な素養の現れない方には理解され難いが、これは全く新しい人の能力の表れであり、これからネットワークを積極的に活用する人と単に自分の必要な情報を得る道具として扱うかで大きな差を生み出すものと警戒する必要のあるものとなっている
人はその霊的な能力に置いてもネットとの関わりに可能性を示している

今の電脳世代にも大きく2種類の人があり、携帯端末の普及に伴いネットワークを積極的に活用しない人との解離は大きなものとなっている
それはジェネレーションギャップとは異なるものと扱う方が正しい言葉の使い方となる

ジェネレーションギャップで片付ける人は既に牧歌的な昭和の世代だ
人の本質は変わらず同じだなんて考えは直ぐに棄て去り対応すべきなのは、その肉体にも変化を認めるからだ

それはネットワークの普及とその利用頻度だけの問題ではなく、食作法や食事の内容の変化をも含めて捉えなければ認められない事象なのだが、脳腸相関をよく理解し、再考願う

なぜこれ程までに彼らは病的な思考に偏る様に見え、実際に精神疾患と診断され、腸の病気として考えられる鬱、アレルギー、体温の異常、癌の増加をみるのかを知るとこの違いは認識される

25歳以下の人の中には我々と全く異なる種が混在している
10歳以下はそれ以上の差異をこれからみると予見しておく

スマホはともかく、ネットワークの利用における年齢制限について討議対応しないのであれば、大きな社会変革を求められることになるだろう

先ずは肉体ありきで物事を捉える習慣がなければ今の人の枝分かれが見えてこない
頭だけを使っては何かが足りなくなる