先月、日本の世界遺産がひとつ増えた。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
国内での登録は22件目となった。
歴史的な意義は、
およそ2世紀に渡りキリスト教を禁教化したなか、
隠れながら信仰を続けた他に類を見ない歴史だと。
豊臣期から徳川初期、いわゆる鎖国体制になるまで
キリスト教に関する事件は多かった。
有名なものだと、
↓26聖人殉教
慶長元年12月19日(1597年2月5日)、
6名の外国人と20名の日本人が
豊臣秀吉のキリシタン禁令のため
大坂・京都で捕らえられ、長崎に護送され、
長崎の町に面したこの地で処刑された。
こうした教科書記事ばかり読むと、
「秀吉、なんて酷い奴だ!!」
なんてなるんですが、
当時の世相を鑑みると
僕は必ずしもそうではないと思っている。
まずこの時期、
大村純忠というキリシタン大名が
長崎の地をイエズス会に寄進してしまったんですよ。
勝手に。
つまり、長崎は一時ポルトガルの植民地だった。
禁教は日本の国を守るための手段だった、
自分はそう見る。
そもそもイエズス会が世界に出たのは、
キリスト教(これも本来のキリスト教からかけ離れたもの)を
洗脳道具に使い、世界征服をするためだったから。
キリスト教というのはもう既に
キリストが持っていた宗教観とは異なるものになっていて、
戦国期には世界支配の洗脳手段になっていたようだ。
(サン・フェリペ号事件)
座礁して高知沖だったかな?
日本人に助けられた宣教師が言っていたらしい。
「キリスト教は先遣隊として思想教育して、
あとから軍隊が来たときに信者に決起させ
占領をするために世界を回っているんだ」
悪っるーい
今もってバチカンは児童売買と儀式的殺害の罪で告発されてる
でも当時の民衆は棄教せず密かに信仰を続けたと。
指導者が居ないなかで、
仏教徒のフリをして
人々は拝む対象を巧みに変えて棄教せず
ずーっとずーっと隠れて拝み続けた。
聖書も何もなく、口伝で伝わり続けること400有余年。
「でうすぱーてろ、ひーりょう、すべりとさんとの みつのびりそうな ひとつのすつたんしょーの御力をもって始め奉る、あんめいぞー」
何言ってるか本人も分からないらしく、
これはずっと先祖代々伝わる韻なのらしい。
今回世界遺産になったとき、
外された場所があった。
それが、
「生月島(いきつきしま)」
明治になりキリスト教信仰が解禁になったとき、
また太平洋戦争後もカトリックへの復帰を
求められた際に、
生月島の信徒たちは「転宗できかねる」と拒んだ。
近代のカトリックに従えば、
生活に根付いた先祖伝来の信仰のかたちを変えざるをえなくなるからであると。
日本という国はつくづく、
外来のモノを自分のものに変化して取り入れてしまう、
そんなお国柄のようだ。


