年賀状 | デリヘルオーナーの憂鬱

年賀状

風俗を商売にするようになってから、めっきり年賀状をやりとりする相手が減った。




12年間も会社員をしていたのだが、当時在籍していた同僚や上司とはほとんど付き合いがなくなったし、年賀状を出す相手も自動的に激減。




風俗は横のつながりがほとんど無いし、たとえ有ってもこの商売を堂々とやっている人も少ないからだろうか、年賀状をやり取りする相手がほとんど居ない。




そりゃそうだ。




たとえば私から在籍の女の子の自宅へ年賀状を送ったらどう思うだろうか?




「社長、よけいなことをしないでください(怒)」 こんな感じだろう。




ほとんどの女の子・社員はこの商売をしていることは親兄弟には内緒である。(当たり前だが)




そして、辞めるときも静かに辞めてゆく。。




われわれは寂しい関係なのだ。




だからうちに在籍してくれている女の子へは働いている最中は出来る限りのことをしてやりたいと思っている。




縁があって私の元に来たのだから、無理の無い範囲で世話をしてあげたい。




一期一会




この商売をして初めて、この言葉の重みに実感が湧いてきた。




2年前に居たあの子はどうしているのだろうか?




元気に暮らしているのだろうか?




こんなことがふと頭をよぎる。でも2度と会うことはないだろうけど…。






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先日、1年半もの間うちの店で頑張って働いてくれたMちゃんが卒業をした。




これからは普通の派遣社員として地道に働いて普通の結婚をして幸せになりたいそうだ。




正直、うちの看板娘だったので辞められるのはツライ。




だが、これは私の自分本位の考えに過ぎない。




Mちゃんの幸せを考えれば、今辞める事が彼女にとっては一番良いことだと思うし、年齢も年齢(27)だったので風俗を続けるのも、限界に近い。




これ以上だらだらとやると、一生この仕事に関わらなくては生きてゆけない人になってしまう。








あるブログで50を過ぎてもまだ風俗をやっているおばさんの話が載っていたが、悲惨だった。




20で風俗デビューし、最初は吉原の高級ソープ 、だんだん売れなくなって 郊外の川口や大宮のソープへ。




それでも通用しなくなると 地方都市を転々。。




札幌のススキノをはじめ、だんだん廃れた地方都市への成り下がり。




45を過ぎてからは寂れた温泉街のちょんの間を仕事場にし、今では、1回たったの三千円足らずのお給料しかもらえないとのこと。




(月収は12万程度だそうです)




肉体的にはもうとっくに風俗をやれる年齢ではない。




彼女はそれでもなぜ風俗しかやらないのか?




それしかスキルがないからなのだ。




50を過ぎた人間がいきなり普通の仕事をやろうにも無理がある。




コンビニのレジだって同じ時給を払うならば、少しでも若い子にしたいのは経営者として当然だ。




大体、まともに世間で働いたことのない、ピントの外れた人間に仕事が出来ない事は予想できる。




うちの女の子たちよ、こんな哀れな女性にだけはなるなよ。




若いうちはこの仕事も良い人生経験になる。




でも30を過ぎれば同じ事をしていたとしても哀れな人生の始まりだと早く気が付いてくれ。