写真家
野村哲也さんの言葉
地球を愛するてっちゃんの思いをそれぞれに![]()
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僕がまだ30歳の頃、可愛がっていた俳優・林遣都のエピソードを、Yさんと話していた。
Yさんが言う。「有難いなぁ、遣都くんは僕の代わりに俳優という職業をしてくれて」。
「えっ、どういうことですか?」
「てっちゃんもこの年になれば、分かってくるよ」
???マークだけが心の底へ沈殿した。
あれから自分の外側と内側を、できうる限り旅してきたつもり。そして最近、その世界がおぼろげに見えてきた。
30歳の僕は、自分という存在は一人だけ、人生は1つだけと思っていた。でも50歳になった今は、自分という存在は様々に繋がり変化しながら動いているもの。人生は1つではなく無限の時空に無数の道が放たれていると。言葉で伝えるのは難しいけれど、だからこそ丁寧に綴ってみようかな。
そもそも、一番知っている者と勘違いしているのが、自分という存在。どうしても僕、私という理性が勝ってしまうため、冷静に俯瞰してみることが出来ない。だったら人間という動物界から、植物界へ世界観を移動させてみようか。地球上には動植物や様々な細菌類が共存しているが、命の重量だけで考えると、世界の95パーセントは植物で覆われている。残りの殆どが細菌類で、動物は0.5パーセント、人間はたったの0.01パーセントしかない。えっ、と思われるかもしれないが、それが真実の地球の姿。だから地球は植物の世界と言ってもあまり問題は無い。ではその植物世界はどのようになっているのか?古代、世界はパンゲアとゴンドワナという2つの大陸だけだった。それらがやがて分離し、ゴンドワナ大陸が南米、アフリカ、オーストラリア大陸へと分かれていく。その時に地球を覆っていた南極ブナという木々は離れ離れになるが、今も同じ時期に、パタゴニア、南アフリカ、タスマニアで青々と葉を伸ばす。僕の追って来た砂漠の花園しかり、ヤマモガシ科の花々は、ゴンドワナから離れ、パタゴニアではノトロ、オーストラリアではバンクシア、南アフリカではプロテアとして花を咲かせる。つまりは種の記憶は、今も大陸間を越えて繋がり合っている。森ひとつとっても、弱肉強食ではなく、日が当たらない、栄養が行き届かない木々は、SOS信号を出す。すると、森全体が菌糸や根を使ってエネルギーを送り、弱い木を助ける。やがて自分の使命を終えた大木は朽ち、それらを養分としてまた新たな芽が出てくる。倒木更新と呼ばれる現象だが、それが答えにならないだろうか?
僕らは人間全体として、各々が様々な人生を歩んでいく。充実した人生を歩む人もいれば、悲しみに満ちた人生を歩む人もいる。日の当たる世界を歩く人もいれば、日陰を這う人もいるだろう。でも、各々がその役目を果たすことで、人間全体で一つの命を歩いている。だからこそ、僕の人生も、あなたの人生も同じだけ大切なのだ。全体で生きていくことがどれだけ大切で幸せなことなのかを、いつも自然が、地球が、宇宙が僕らに伝え続けている。だからこそ、僕らが命を結ぶ時には、誰かの栄養分となれるよう、今を一所懸命生かさせてもらう。昨日書かせてもらった通り、地球は宇宙の中で唯一、不自由で体験を重ねられる世界。だから地球を命結ぶまで慈しみ、楽しみきって下さい。僕の人生はあなたの人生に、あなたの人生は僕の人生。すべてが螺旋状にリンクし合い、映し映される世界なのです。

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