慰安婦問題の基本 林博史さん | 群青

慰安婦問題の基本 林博史さん

ビエンナーレ展がガソリン脅迫で急きょ中止となってしまいました。
韓国の「少女像」展示に対する脅迫でしたが、本日のニュースを見ましたら一人が逮捕されたようです。ただ、その他にもう一人の脅迫者が存在しているのか・・・まだ予断を許さない状況。

 

●少女像のこと
少女像は、韓国の従軍慰安婦とされてしまった少女が正装し椅子に座っている端正な像で、隣に誰も座っていない椅子が並べられているというもの。
この展示像自体はどこも暴力的なものでもなく、そこに、割とリアルな作りのおかっぱ刈りの少女が静かに座っているもの。左肩に小鳥。重みを感じさせ、少女が存在していることを示した感じの像です。その意味で芸術作品として一定のレベルを持ったものなのかもしれません。
自分が感じたことは、私を忘れないで下さい・・・・というような感じです。空いた隣の椅子に座って下さいネという見方も出来ると思います。

中止すべきだとか、少なくとも税金を使ったところで展示すべきでは無いという地方の著名な政治家さん達の主張があります。
そもそも従軍慰安婦などというものは居なかったんだということで、この少女像は、歴史的に旧大日本帝国がやっても居ないことをさもやっていたかのような歴史捏造を意味するんだというのが、展示中止主張の根底にある歴史観。


「展示中止」だけが問題にされている訳ですが、実は、歴史の真実を争うものではないかと思います。この点、国連人権委員会や多くの国が大日本帝国の戦時の従軍慰安婦=性奴隷という認識ですが、日本政府もまた「強制連行を証明する公的文書が無い」と主張し反論しています。募集方法に強制性が無いんだ・・・と。
国際社会の認識は、募集方法(リクルート方法)という重箱の角を言っているのではないです。
故郷に自力で帰ることも出来ない遠い異国。
何千kmであっても海を泳いで帰れるじゃないか・・・というんでしょうか。
そのような地で、逃れられない性サービスに従事させることそれ自体が性奴隷なのだと言っているのに・・・です。


●戦時史研究者・林博史さんのお話
こつこつと戦時史発掘作業を続けてこられた林博史さんのお話を、Cyzo womanが取材しています。


■ Cyzo woman 今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか2019.8.7

長文なので、全体は直接に入ってお読み下さい。以下に一部抜粋させて頂きます。
(一部抜粋)

▲カッコ付き「慰安婦」という言葉と性奴隷のこと
林博史氏(以下、林氏) 日本軍「慰安婦」制度というのは、軍専用に女性たちを集めて、兵士のセックスの相手をさせることを指します。明治以降、日本では国が性売買を公認・管理する公娼制が敷かれ、その場合は「娼妓」などの言葉を使っていました。日本軍も最初は同じような言葉を使っていたんですけれども、次第に兵士を「慰安」する女性として、「慰安婦」を使い始めた。研究者も、日本軍が使っていた歴史用語として「慰安婦」を使いますが、この言葉は実態をまったく表していない。彼女たちは「慰安婦」ではなく、性暴力の被害者・性奴隷です。そのためカギ括弧を付けて使用しています。 

 

▲借金漬けのリクルート

林氏 親に何百円、今でいう何十万~何百万円というお金を渡して娘を買う。たとえば、その娘を慰安所のある中国に連れて行く場合は、それなりの服を買う費用や交通費がかかる。それらのコストと業者の取り分を上乗せした金額で、慰安所の経営者に売り渡す。そうすると「おまえは何百円で買った」と言われて、返済のために働かされるわけです

 親に金を渡すことなく、本人を騙して連れて行くパターンもあります。貧しい家の娘を、「食事の支度や裁縫など日本軍兵士の身の回りの世話をする仕事があり、食事も3食提供される」とそそのかして連れて行く。その場合も交通費などはかかるので、結局借金漬けにされる。ですから、詐欺といっても、実は人身売買だというケースが多い。

 否定派は「強制連行はなかった」といいますが(※2)、朝鮮半島から慰安所のある中国や東南アジアに連れて行くときに、腕を縛り、さるぐつわをはめて連れて行くというのは不可能です。移動だけで、何週間も何カ月もかかりますから。借金漬けにするか、1人では帰れない地点まで騙して連れて行くしかない。

※2 否定派の論客が多く名を連ねる「歴史事実委員会」は、2007年6月14日に米紙「ワシントン・ポスト」に「The Facts」(事実)と題した意見広告を出しており、これが否定派の主張のひな型となっている。その中の「事実1」では、「日本陸軍により女性たちが自らの意思に反して売春を強いられたことを積極的に示す歴史的文書は、これまで歴史家や調査機関によってひとつも発見されていない」としている。また、07年3月には参議院予算委員会で、安倍首相が「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった」と発言している。

 

▲19世紀英国・公娼制度廃止「=公娼制度は性奴隷制度」のこと

それと彼らの「売春婦」の理解の仕方にも、疑問があります。実はイギリス軍も19世紀に、慰安所に似た仕組みを持っていたんです。しかしイギリスの女性たちが1870年代に、売春を国家が公認することは女性に対する人権侵害であり、そうした女性は「奴隷」だと批判し、女性の参政権がないにもかからず、男性議員を巻き込んで、1880年代には制度を廃止させるのです。これが1870~80年代に起きたことは素晴らしいことです。

 否定派の人たちは、「慰安婦」は公娼制における売春婦で性奴隷ではない、と主張するけれども、19世紀のイギリスでは「公娼制度自体が性奴隷」という考え方が多数派なんです。ところが日本では現代でも、セックスワーカーは粗雑に扱われますし、父親による娘への性的虐待・近親強姦が無罪にされる事件があります。男の性欲を満たすために女性の人権が踏みにじられていること自体が問題なんです。その認識が、「慰安婦」問題と結びついている。そのことに気づいてほしいですね。

▲慰安婦存在を示す公文書が無い・・・のこと

林氏 まず公文書は、敗戦と同時に処分するよう、軍から指令が下りています。たとえ残っていたとしても、加害者側の文書からは、被害の実態は見えてこないでしょう。特に性暴力に関わることでは、加害者側がわざわざ「強制しました」なんて書かないでしょうしね。また海外の公文書は残っていますし、「慰安婦」について描かれた日本人兵士の回想録も多数ある

 それらの事実に加えて、想像してみればわかることなのです。例えば女性が朝鮮半島から中国に連れてこられて、性行為を拒否して帰ろうとしても、どうやって一人で帰れるのか。当時は、軍が認めなければ、自由に移動もできないのです見知らぬ土地で逃げることもできず、軍人の相手を拒否すれば暴力を振るわれ、廃業の自由もない。よく否定派の人たちは、「将兵たちとスポーツをしたりピクニックに行ったりした」と彼女たちが楽しそうにしていたから「性奴隷」ではないと主張しますが(※4)、人は過酷な状況を生き抜くためには、泣き暮らしてばかりはいられない。だからといってその人が、その状況を喜んで受け入れたわけではないのです。

※4 アメリカ戦争情報局心理作戦班が慰安所や「慰安婦」について調査した「日本人戦争捕虜尋問レポート」では、ビルマ・ミッチナーに設置された慰安所での様子について、「慰安婦」が将兵とピクニックに行ったり、スポーツを楽しんだり、夕食会に参加したといった記述がみられる。同レポートでは、「慰安婦」の募集について、甘言や虚偽の説明があったともしている

▲日本の男性はもっと怒るべきだ

また個人としては、この問題に関しては日本の男性がもっと怒るべきだと思っています。慰安所の前に日本軍兵士がズラーッと並んでいる有名な写真があるでしょう。数分ごとに男たちがどんどん入っていく。つまり男の兵士たちも、まともな人間として扱われていない。「慰安婦」問題において女性たちが深刻な被害を受けた問題であることは言うまでもないことなのですが、男の人間性も踏みにじられている問題でもある。私自身は、男性がもっとこの問題に気がつくべきだと思っています

 

 

 

 

 

●当ブログにアップした林博史さん発掘話題
林博史さんといってもご存じの方は少ないかもしれません。ご存じで無い方のためにご紹介しておきます。


※林さん発掘報告「マニラ市街戦とベィビューホテル事件」 当ブログ
06 「マニラ市街戦」その1-1.林博史さん2012年1月論文5月22日

06 「マニラ市街戦」その1-2.林博史さん論文5月22日

06 その1-3.ベィビューホテル事件被害者証言5月22日

 

当ブログの『八紘一宇の名の下に(新)』シリーズ19話題のうち上の3つが、林さん発掘報告によるものです。
「ベィビューホテル事件」は、「軍慰安所従業婦」ではなく、旧皇軍が収容していたマニラ住民等は全員殺せという司令が降りた後、上陸した米軍がマニラに迫ると、若い女性達をピックアップし、ベイビューホテル他に拉致し、連続強姦をやったものです。フィリピン女性だけでなく、収容されていた同盟国ドイツ女性なども含まれるという目茶苦茶なものです。
米軍進攻が早くて被害少女達は生き延びる事ができ、証言が得られました。
しかし実行犯の将兵は全員が戦死してしまっていたため、フィリピンBC級裁判が成立していません。
発掘報告そのものを、上から入ってお読み頂けると有り難いです。

 

 

 

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