フェンダー・ジャパンが無くなる⁈ | ジョバンニ松村のブルースとキャデラックな夜。

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昨夜(日本時間の昼)、に京都でバリバリのその筋の方からそんな話を聞く。

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私は、この話を聞いたときに怒りが通り越してしまった。


どうやら、山野楽器、神田商会までが撤退し、アメリカのフェンダー・ミュージック・コーポレーションという総合代理店が代わりに出来て、フェンダー・ジャパンの代わりにメキシコ製が売られるようなのである。


こんな馬鹿げた事が、起こって良いのだろうか?これではまるで戦後の、ギミーチョコレートではないか?我々を馬鹿にするにもほどがある。

フェンダー・ジャパンの功績を知らない若い人が多いのでハッキリここで言っておこう。

それはズバリ、今のフェンダーU.S.A.を作ったのはフェンダージャパンである。

そもそも、フェンダーの創始者レオ・フェンダーがフェンダー社にいたのは40年代後半から65~1968まで。その後はCBSに売却。当然、いわゆるヴィンテージとして値段があるものは1968年以前の物である。

だからCBSに変わってからとんどん品質が、離れた創業者の意図とかけ離れ、別の典型的なアメリカの雇われ拝金主義者たちによってコンセプトやバランスをうしない無残に落とされてしまった。

つまり今のアメリカ製高級ギターの全ては日本のギター製作技術が少なからず影響を与えた事実を知らない人たちが日本国内に少ないのは嘆かわしい事であるのだが、あまりにも哀しみや怒りを通り越し筆が走っているのをご了承頂きたい。

今の日本の60~70代の職人さんたちが築き上げてくれた歴史に我々は乗っかっているにすぎない事を知らず、現代の日本人自身がフェンダージャパンを過小評価してしまった部分も大きい。

私の知り合いの少なくとも2人以上バーボンストリートのミュージシャン達や音楽好きの弁護士は、フェンダー・ジャパンを使っている。その理由はアメリカ・フェンダーのカスタム・ショップより良い物だから、である。本国でオフィシャルな販売が停止してもう20年ぐらいは、少なくとも経つにもかかわらずである。

特にその弁護士はフォードのAモデルやその他の高級車を所有しているが、カスタムショップはゴミだ!と言っていた。

ストラトなどを改造している人もいればそのままマーカス・ミラー・ベースを使っている人もいる。

カスタムショップの、創設時に日本人技師の岩撫氏や杉本氏が居られた事を思い出して欲しい。

冷静に見ればコレは例えるならば、日本人からすれば漆塗りの工房に指導側の日本人が2人以上いると言う異常事態である。学びに来ているわけではない。

本当はカスタムショップの最高責任者は日本人がなるべきだったのであるが、アメリカも中国と似た嫌らしい権力主義国家である。

つまり、フェンダーUSAは80年代初期は低迷期で本当に危なかった。何故なら、日本のギターに圧巻されていた。

(レオ・フェンダーやテッド・マッカーティのような人間を失うとアメリカの企業は無茶苦茶になる。ギブソンしかりだが、近年のアップルが良い例ではないか?)

アメリカでの日本のギターの歴史は古くはテスコなどから始まるが、一般に完全に浸透し始めたのはUni Voxブランドからである。

そこからグレコや東海、アリア、アイバニーズと、マツモク工業で作られたギターなどが精巧なコピー品だと、コピー品でないものまで、沢山ギブソンやフェンダーから訴えられ始めた。

これらのギターは未だにMIJ(メイドインジャパンの略)訴訟モデル(Law Sue model)として有名だ。

その時代が過ぎ、見事にアイバニーズはブランドとしての立場をアーティストシリーズなどで確立し、フェンダージャパンを合法化しアメリカで安価版として売るところ、本社フェンダーのギターが全く売れなくなったのである。

その時期に、困ったUSAがヴィンテージ・リイシューモデルを当時の富士弦の日本の職人たちに依頼したという話まである。

そう考えればカスタムショップよりもフェンダージャパンの方が由緒正しいのである。

つまり、王様レオ・フェンダーのやり方を分析しそのまま時代起こししたデータをアメリカ人に教えたのは日本人である。そのモデルがフェンダーを救ったが、それでもフェンダージャパンの方が作りが良く人気があった為、アメリカ本国でフェンダージャパンを締め出す協定を結ばなければいけないほどであった。

ようは近年のブティーク・ブランドのような事を既に訴訟モデル期の日本人が行っていたわけであり、やっていなかったのはレリック加工だけ(わざと傷を付けてボロく観せる。古着のジーンズに見せる方法のようなもの)。ポールリードスミスはアイバニーズのアイデアのパクリ、本国のブティーク系は訴訟モデルがなければ存在していない。

それを知っているアメリカ人はレオ・フェンダーとはもう何の関係もない、カスタムショップになんの魅力も感じず、フェンダージャパンに初代のゴジラでも見るようなノスタルジーを感じるのは当然であろう。アメリカ人がFender USAなんて買わねえよ!俺はプロだ。俺の知ってるFenderはJapanだ!
と態々言ってくれているのである。
これを愛と言わずしてなんと言おう?
勝手な政治家は知らないが、民間の我々を愛してくれるアメリカ人には感謝するべきで、アメリカの拝金主義の為政者の為にフェンダージャパンを潰す事は命懸けでも抗議するべきで、アメリカの民間人の為にフェンダー・ジャパンを残す必要があるのだ!

また、今のレオ・フェンダーの意志を継げているか怪しい、アメリカのフェンダーなんかに何一つ遠慮する必要などない‼︎

FacebookやCauseなどで署名を募るべきである。

そう考えると、山野楽器は高かっただとかアメリカ製の法外な作りのギターを高く売るだとか色々言われたが、本当に良い仕事をしてくれたと今となっては感謝している。

アメリカの伝統を愛し、本社よりも美しいカタログを作り我々に「プロも使っているアメリカ製の夢のギター」という概念と敬意の念を与え続けてくれたからである。

子供の頃の私はカスタムショップのオーダーシートを観ながらどんな仕様のギターが欲しいか?とかよく想像したものだ。そのオーダーシートは英國屋のフルオーダースーツのオーダーシートのような出来だったのではないか?と今になって考える。

また、安くでならUSAのものは、逆輸入で買えた。

また、あまりのギブソンのずさんさに痺れを切らし、契約を切った山野楽器の潔さも、日本人としては認めなくてはならない。

それが、今やTPPの所為なのか?アメリカの左翼政党の所為なのか?だらしのない日本の政治家、販売業界の所為なのか?いつも間違った方向に行く日本の多数派の過小評価の所為なのか?
この美しい歴史が下手すれば日本人の手によって消えようとしている。

全てがアメリカがコントロールする直営の代理店に販売が委ねられるのだ。

こんな暴虐が許されるのなら、プロフェッショナルな日本人は徹底して国産しか買わない態度をつらぬくべきである。不買運動など意味がなく、レオ・フェンダーの意志を継承していると私は思わない。

かねてから、某京都の大手の販売店にフェンダージャパンを置かなくなったぐらいの時に、こいつらはバカだ!アメリカの犬だ!と腹を立てたことがあるが、こんな悲しい日が来るとは思ってもみなかった。

(その反面日本製のギターを主に売るようになったKey楽器はまとも。)

フェンダージャパンの特徴は、物凄く丁寧な作りと完成度。アメリカのサドウスキーのようなプロ用以上の完成度である。

短所はギターに向いていない電気パーツが音を悪くしているところある。みんなこれに気がつかず過小評価をし、訳のわからないアメリカ賛美の蘊蓄をたれているのである。
電気パーツなど簡単に交換できるし、今作っているパーツでも良い音がする物はある。

フェンダージャパンを過小評価したのは何よりも、多くのアメリカ様々の60年ぐらいしかない歴史のフェンダー新興教団にハマった愚かな日本人たちである。

考えても見て欲しい。
アメリカはグレッチのギターすら存続する事が出来ず、それこそ神田商会がグレッチを作り続けたのである。ホットロッドと言う古いアメ車の改造の概念をアメリカ人に、ギターでも出来るよ!と教えたのは日本人だ!

現地のアメリカで過大評価される事はあっても、海外にあそこまで丁寧なネックの作りに塗装の完成度を誇るギターで、あの値段で作っているメーカーなどない‼︎

これからの後世の若者達はフレットの浮いたようなガタガタのフェンダーをフェンダーだということだけを理由にありがたがって使い出す事を考えてもみてほしい。

日本の良い文化は充分過ぎるほど海外に伝わっている。

しかし、これからの我々は伝統を保持するのではなく、血を通わせ続けなければならない。

また、最後に言及するフェンダージャパンの落ち度は、電子パーツが貧弱で音が微妙だったところもある。こんな物はちょっと半田ごてがいじれれば簡単に交換出来る図画工作だが、一般素人は知らないのも原因であった。

こんなアメリカの意地悪に屈して、簡単に諦めたり、めげる事は先人の墓石に唾を吐き掛けるのと同じことである。

自国も他国も、過小評価も過大評価もせず、高級品だから値段が高いからどうとかいう価値観も捨てて、本当に良い音のするエレキを海外パーツに頼らず、もう一度作る事を考え直すべき時が来ている。

楽器は道具でありそれにまつわるパーツも道具でしかない。DCブランドではないのである。

そろそろブランドだけの高級伝統継承という概念をすて、伝統的なやり方の長短を直視し、血を通わせるやり方をとっていかねばならないのではないだろうか?