【カメラマン三島タカユキ】

 

 

 

都内で撮影が終わり、路駐のバイクにキーを差し込みまたがった。

前の道路に乗り入れ、赤信号で停まると、さっきまで撮影してくれていたカメラマンの三島君が、信号待ちしている背中が見えた。

オレはバイク、彼は徒歩。

その日はポカポカ陽気で、ビルに囲まれた交差点を車がどんどん抜けていく。

やがて信号が青に変わり、バイクを発車させる。

当然三島君も歩き出すと思ったら、彼は立ったまま動かない。

「何やってんだ?」とゆっくり右折させながら振り返ると、

彼は胸ポケットに入れてある小型のカメラを取り出し、

目の前の空をパシャリと撮った。

その時つくづく思った

「この人、よっぽど写真が好きなんだ」

 

 

ギターウルフはずっと三島君に撮ってもらっている。

「まあこの辺でいいんじゃないの」と自分が切り出さない限り、

彼はずっと撮る。

決して自分から見切りをつけようとしない。

いつもシャッターを押すフレームの向こうにある何かをとらえたい

衝動に駆られていた。

彼を見るといつも思っていた。

技術より愛だなと。

 

 

日本はもとより、海外にもしょっちゅう付き添ってくれた。

いつも柔和なほほえみを持ち、彼がいるとホっとした。

ツアー特有の緊張感も彼がいるとなごみ、ひょうひょうとした

春風のような人だった。

あまり感情を激しく出す方ではなかったが、

一度アルゼンチンからブラジルに行く飛行機に乗るブエノスアイレス空港で

チケットのトラブルがあった。乗れないという。

言語はスペイン語、英語、日本語ですったもんだを繰り返し、

ついには次のお客があるからとカウンターを追い返されたりしたが、

ここで引き下がるわけにはいかないとごねにごねたら、

なぜか飛行機が立つ直前にチケットが降りた。

その瞬間目の前の三島君が「やった-!」と手をあげて子供みたいに飛び跳ねた。

それがおかしく、オレは大爆笑をした。

後々、その話題に触れる度に、「飛び跳ねたりしてませんよ」と恥ずかしそうに

はにかむ笑顔がまたおもしろかった。

 

 

三島君の写真展には何回か行かせてもらった。

アーティストの写真と共に、彼の写真展には「なんだろうこれ?」という写真がたくさんある。

ただのドアノブや、道の溝、壁のひび、何でこんなもんをと思うが、

どれも彼の写真の中で不思議な魅力を持って収まっていた。

ある時、その中であれ!?と思う写真に出会う。

白黒加工されている空の風景、何の変哲もないビルの上にある空、

雲の色合いがなんとなくおもしろい、ひょっとしてあの時の空じゃないだろうか?

聞いてみようと思ったが、とうとう聞きそびれてしまった。

ただ、彼はいつも彼にだけ見える何かを切り取ろうとしていた。

あの時、あの交差点で三島君がカメラを向けていた方向を、オレはすかさず振り返ったが、正直、おもしろくもおかしくもない空をよく撮るわと、

少し吹き出すような気持ちがあったが、彼にはあの空に何かを見たのだろう。

今となってやっとわかった。

人が見逃すような日常の何でもない物に、魅力を感じることができる人は

心が豊かで、幸せだ。

あの春風のような雰囲気もそこから生まれていたのだ。

よく一緒にツアー車に乗っているとき外の景色をぼーっと見ている

三島君の表情を思いだす。

あの目には、きっと彼の好奇心をくすぐる景色が、次から次へと飛んでいたに違いない。

 

 

「まあカメラという機械なので誰が押しても同じです。」

そんな事を彼は言ったことがある。

ちょっと耳を疑ったが、考えるとギターを持つオレにも似た気持ちはある。

技術は相当大事だが、それを伝家の宝刀のようにかざす専門家をオレは憎む。

それとは別の、気合いとか愛とか迫力、ひらめき、挑戦する気持ちのような

技術を超えた何かがないと、夢を実現できない事をオレは知っている。

自分はロマンティストだと思う、だが彼も相当なロマンティストなカメラマンだった。

カメラマンは、その人が持つ一瞬のひらめきとカンで空気を読み取る

瞬間の芸術家だ。

特に三島君は人と物が放つ暖かさ、ぬくもり、または熱をとらえるのがうまかっ

た。そしてここがロマンティストならではだと思うのだが、物だろうと人だろうと、

それが持つ生き様の漂う哀愁までをもとらえていたのが、

凄腕カメラマン三島タカユキの真骨頂だった。

 

 

人は何の為に生きるのか?

わからない、ただ前進するエネルギーがあるのみだ。

そのエネルギーで写真をひたすら追い求めた彼はひたすらかっこよかった。

 

三島タカユキ 享年51歳

 

PS:いつもギターウルフの側にいてくれた三島君、本当にありがとう。

オレ達は幸せだったよ。