(前回の記事)
前回からの続きです。
一体、日本人にとってデメリット以外の何物でもない「作りが大雑把であること」の、どこが良いのでしょうか?
まず、「作りが大雑把」というのは具体的にどういうことか。
(このこと自体は今までにもお話したことがありますが。)
これはうちのGibsonのブリッジです。
レスポール・カスタム、57年リィシュー、オールマホガニー、ディープジョイント以前の初代ヒストリック・コレクションです。
ピックアップのポールピースより弦の幅が広いので6弦側と1弦側の両端に行くほど弦がポールピースの外側を通過していますが、左右のバランスは取れています。
弦とピックアップの位置関係は合っているということです。
今、合っていると言いましたが、合っているというか、調整して合わせてあるんです。
このブリッジは上下に調整可能に作られていて、駒は前後・左右に調整可能に作られています。
つまり、弦の支点であるナット側とブリッジ側の2点のうち、ナット側は固定で、ブリッジ側は上下前後左右の3次元全てが調整出来るという構造になっているわけです。
ブリッジの上下は弦高、駒の前後はオクターブ調整をします。
そして、ここの認識がなかなか浸透していないのですが、駒の左右の調整によって弦の横方向の位置を調整するようになっています。
駒は動かせないのにどうやって調整するのかというと、駒に掘る溝の位置によって調整するようになっているのです。
普通(=本来の製造方向)は、新品の駒には溝が掘られていなくて、ギターを組み立ててピックアップやブリッジなどを取り付けてから、駒の幅の範囲内で弦の位置を決めて、駒に溝を掘ります。
なので、駒に掘られている溝の位置が駒の中心とは限らないのです。
6、5、4弦
3、2、1弦
溝が駒の中心に来ていないのは、ちゃんと調整してある証拠であり、ハンドメイドだからこそ出来る丁寧な作りです。
でも私はGibsonを手にして以来ずっと、この「駒の溝が駒の中心に来ていないこと」が嫌でした。
何故ならば、日本人だからです。
日本人は几帳面なので、何でもきちんと作ります。
ちょっとでもずれないように作りたがる国民性なのです。
だから精度の良い国産レスポールは、駒の溝が駒の中心にある状態で合うようにブリッジを取り付けます。
一見すると精度が良いように感じますが、というか実際に精度は良いのですが、実はこれだと本末転倒なのです。
この駒は、そもそも最初から駒の中心に溝が掘られている駒なので、溝の位置が調整出来ない駒ですし、調整していないのです。
調整しなくてもいいように作っているというところが日本人の凄いところだとも言えますが、本来は調整するところなのです。
最初から中心に溝が掘られている駒が普通に販売されていますが、それは「調整する気が無い駒」なのです。
普通のGibson純正の新品の駒には溝は掘られていません。
(ただし最近ではGibson純正の駒でも中心に溝が掘られている駒、左寄りに溝が掘られている駒、右寄りに溝が掘られている駒も販売されています。)
もう一度Gibsonを見てみましょう。
6弦と3弦の駒が後ろに下がりきっていてオクターブ調整が限界です。
限界でもオクターブ調整は出来ていますし、駒の溝も左右に余裕があるので不良品ではありません。
つまり、検品ではじく必要はありません。
でもこれ、日本人的な考え方からすると、ブリッジの取り付け自体をもう少し後ろにずらしてやれば、駒の前後の位置がもっと中心に来ますよね。
それと、6、5、4弦側の方が駒の溝の位置が左に寄っているので、もっとブリッジを1弦側を軸に左下がりになるように取り付ければ、6、5、4弦の駒の溝の位置がもっと中心に来ますし、弦の間隔も狭くなって両端の弦もポールピースの中心を通りますよね。
分かります?
しかし、それだと弦の間隔が狭くなるわけで、これ以上狭くなると弾き辛くなります。少なくとも私は。
これらのことを総合的に考えると、最初の取り付け自体はそれほど几帳面ではないけれども、人の手によって駒の溝を一つ一つ掘って丁寧に調整されていると言えます。
この、最初の取り付け自体はそれほど几帳面ではないというところが、いわゆる「作りが大雑把」ということです。
それと同時に、丁寧に調整されているということでもあるわけですが、
そこがまず、Gibsonらしさである、と。
えぇ、そうですね。
まだこれでは「大雑把であっても不良品ではないですよ。」というだけで、
大雑把な方が良いということにはなりませんよね。
それが
最近になって、Gibsonのブリッジの取り付けが大雑把でズレているところが気に入るようになったのです。
バイオリンの影響です。
優れたバイオリンの製作家は、それぞれのバイオリンに唯一無二の個性を持たせる為に、わざとスクロールの部分(ヘッドの先の渦巻き)の形を少しずつ崩して、同じ形の物は作らないようにしているそうです。
例えば何かを金型でポンポン成型してみんな同じ形の物を作ったら、そこには芸術的な面白味は無いですよね。
一つ一つ違うからこそ、そこに個性が生まれるという考え方です。
また、わざと変えているのはスクロールの形そのものだけではありません。
まず安いバイオリンはネックに対してヘッドが真っ直ぐになっています。
これもです。
(私にとっては安物ではないのですが。)
しかしこれを見てみると、ネックに対してヘッドが左に湾曲していますよね?
これ、最初から、弦が駒の中心で合うようにブリッジを取り付けようなんて、思っていませんよね。
どうせ溝で合わせるわけだし。
チューニングでいうと、だいたい合っている状態からペグを回すよりも、わざと半音くらい下げておいてから回した方が合わせやすい、みたいな感じに思えます。
私には職人さんが
「えーと、この弦は・・・ここだな。よし、ここに溝を掘ろう。」
って、手作業で溝を掘っている姿が目に浮かんできます、
ある意味、唯一無二の特注の駒なわけですよ。
特注の駒と汎用の駒だったら、どちらの方が価値があると思うか。みたいな?
特に昔のGibsonはブリッジの取り付けがアバウトな気がします。
もちろんアバウトに取り付けてからちゃんと調整されているわけですが。
特にうちのGibsonは57年のリィシューですので、57年の当時のアバウトさを再現してわざとブリッジの取り付けをずらしたのかもしれないな、と。
うちのと同じモデルの中古を楽器店で見たらやっぱり駒の溝が中心ではありませんでした。
逆に最近のモデルは駒の中心に溝があります。
(例外もありますが。)
Gibsonのブリッジの取り付けがずれているものがあるのは、わざとである可能性が高いと思います。
真相は分かりませんが、私はGibsonのこういうところが好きになりました。